「インターネットください」って買いに来るお客さん本当に多かった
フジヤン 「当時やっていたことと言えば……。インターネットマガジンの相互接続マップをみてプロバイダーを選んでましたね。IXがあって1次プロバイダー(ティア1)、2次プロバイダー(ティア2)ね。下に行くにつれてどんどん遅くなってくるからね」
すーさん 「下の方だと64kbpsとか。これに何十人、何百人ぶら下がるわけですから」
フジヤン 「この図を見て、ここなら安心だとか、考えてプロバイダーを選んでいた」
天の声 「なるほど回線の太さは1.5M? 一番太いのにこれですか?」
フジヤン 「当時はテキスト主体だったからねぇ」
まっちゃん ごめん、これじゃあ写真送れないんじゃない?
── あー当時は画像出てくるまで時間かかりましたからね。粗いモザイクがちょっとずつ高精細になってきたりとか」
一同 (爆笑)
フジヤン 「そうそうプログレッシブJPEG。ISDNだって64kbpsだし、パケット制限かかった状態のほうが速いわけだから。えっ! 250kbpsも出るのって感じだよね」
天の声 「この図が最終的に、ここまでくるわけですね」
フジヤン 「うわっ細かいな! こうなるとキリないですよね。2001年から5~6年でここまで増えるたのか」
まっちゃん 「プロバイダーって最初、概念がよくわからなかったな。結局面倒だからADSLじゃなくてケーブルテレビにした記憶が」
── そしてやってきた常時接続とブロードバンドの時代。
フジヤン 「当時は『インターネットください』って買いにくるお客さんが結構いました(笑)」
すーさん 「iMacとこの機器を組み合わせて、すぐインターネットにつなげるパッケージを作ったら売れましたね。鉄板商品でした」
クマさん 「一方、モデムはしぶとく生き残ったね」
フジヤン 「インターネットにつなぐというより、ファクスを使いたいという人が多くて。DOS/V機でもモデムカード追加してくださいっていうパターンはあったな」
クマさん 「IBMとかVAIOとかも最後までやってた気がする」
── 最初の505は、確かパソコンのマイクで直接話せましたよね。