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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第425回

業界に痕跡を残して消えたメーカー 優秀なマシンを輩出するも業績に悩まされたApollo Computer

2017年09月18日 12時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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経営危機に窮したところをHPが買収
Prism搭載マシンをなんとか出荷

 Apolloは1988年にPrismをなんとか完成させ、Domain/OS SR10.0にあわせて投入されたDN10000に搭載する。DN10000はPrismチップを最大4つ搭載できた。実は初代のDN100は2プロセッサー構成ながら、実際は非対称マルチプロセッサー構成で、実質的なプロセッサーは1つだった。

Prismを搭載する「DN10000」

 これはAegisが基本的にシングルプロセッサー向けのOSだったことに起因しており、マイクロカーネルベースのDomain/OSになったことで、初めて同社はマルチプロセッサー対応を実現する。

 Apolloはこれに続き、倍速となるPrism 2プロセッサーの開発を予定していたが、それ以前の問題によりこれはキャンセルされ、DN10000はPrismを搭載する唯一の製品ということになってしまった。

 ではその「それ以前の問題」とはなにかというと、赤字問題である。1987年10月8日付けのBoston Globeは「昨日Apollo Computerは、不正な外為取引の結果、第3四半期は100万ドルほどの損失が出ると思われると述べた」という記事を出している

 実はPoduska氏は1984年に同社を去っており、冒頭に書いた通りStellar Computerを1985年に立ち上げている。Poduska氏の代わりに、GTE CorporationのCEOだったThomas A. Vanderslice氏が1985年よりApolloのCEOの座についている。

 悪いことにこの1985年、同社の業績は急速に悪化した。有価証券報告書が全然見つからないので正確さにはやや欠けるのだが、1984年に同社は2億1500万ドルを売り上げている。1983年は1億ドルほどなので、1年で倍増した形だ。1983年3月には無事新規株式公開も果たしている。

 ところが1985年の第3四半期には1850万ドルほどの損失を出したことを発表(1984年の第3四半期は630万ドルの利益を出している)、株価は発表直前の15.50ドルから9.25ドルまで下落した。

 これが一時的な動きであれば問題はなかったのだが、この後も同社の業績は低調から脱することなく、そこにきて外為の損失といった問題も出てきたことで、Apolloは1988年頃から本格的な経営危機に陥る。

 そんなさなかによくPrismやDN10000を開発できたものだという気もするが、1989年に入るともうにっちもさっちも行かなくなる。結局1989年4月、HPがApollo Corporationを買収した。買収金額は1株あたり13.125ドルの現金で、買収総額は4億7600万ドルとなっている。

 そんなわけでDN10000に関しては、発表こそ1988年ながら、実際の出荷はHPによるApolloの買収後となった。またこの買収にあわせてPrism 2の開発はキャンセルになってしまった。

 HPはなにを考えていたかといえば、HP自身のワークステーションHP9000シリーズとDNシリーズのシェアを合わせれば、Sunを上回ることが「計算上は」可能になる。シェア拡大には手ごろな手段であった。

 また、HPのPA-RISCの開発もやや遅れ気味だったため、ApolloのPrismを手にするのは悪いことではないと考えたようだ。結果から言えば、この目論見はどちらも外れた。

 まず売上については、Apollo部門(*)は1989年の5億5000万ドルから1991年には3億6000万ドルに下がり、HPのワークステーションやテクニカルデスクトップまで含めた全体の売上も、1988年の9億ドルが1991年には7億2500万ドルに下がっている。

(*) 買収当初は“Apollo Division”だったが、同年“Apollo Systems Division”に改称され、1991年には“Workstation Systems Division”に併合された。

 なんのことはない、1+1が0.8位になった計算である。またPrismも、それをHPの製品ラインに導入するということもなく、結局PrismベースのDN10000を1000台ほど生産して終了することになる。

 強いて言えば、Prismのメカニズムのいくつかは、HP-PAアーキテクチャーに影響を与えることになったが、その行き着いた先がItaniumなことを考えると、これも果たして役に立ったというべきなのかどうか怪しい。

 HPは買収した企業の製品をわりと大事にする文化があり、実際買収後もDNシリーズのワークステーションは引き続き販売されていた。とはいえ、確か2000年になる前に製品提供は終了したはずだが、その際には既存のユーザーがあわてて最後の機会とばかりに買い足していた記憶がある。

 そういう意味では、「既存のユーザー」には非常に愛された製品ではあったのは間違いないのだが、価格性能比の壁は高かったというべきだろう。

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