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船舶装置5兆円新市場で笑う会社、泣く会社

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9月8日、船に積む「バラスト水」なる海水の排出規制条約の発効日がようやく決定した。これで「バラスト水処理装置」という数兆円に上る新たな市場が顕在化したが、この巨大市場には複雑な事情が山積している。(「週刊ダイヤモンド」編集部 新井美江子)

バラスト水処理装置を搭載した日本郵船の船舶

 数兆円規模の巨大な新市場がいよいよ本格的に立ち上がろうとしている。舞台は船の上。船に積み込む「バラスト水」の排出処理をめぐる新市場だ。

 バラスト水とは、船体の安定性を保つため、重しとして船体に貯める海水のことだ。別の港まで航海して積み荷を載せれば、その積み荷が代わりの重しとなるため、海に排出することになる。

 問題はその際、バラスト水に含まれるプランクトンなどの生物が、本来の生息地ではない場所に一緒に排出されてしまうこと。実際、生態系の破壊等の環境問題が発生したため、2004年、くだんの水の浄化を義務付ける「船舶バラスト水規制管理条約」が国際海事機関(IMO)で採択された。

 降って湧いた「バラスト水処理装置」という新市場に、水処理事業者やプラント事業者などの関連会社が小躍りしたのは言うまでもない。何しろ、規制は新造船にとどまらず、すでに起工・航行している既存船にも及ぶのだ。対象船は世界で5万~7万隻にも上るとされる。装置の価格も安くはなく、「修理費込みで5000万~2億円」(船主)。「平均単価をざっくり1億円とすれば、5兆~7兆円市場になる」(海運幹部)。

 ただ、この巨大な新市場は長らく幻に近かった。「批准国30カ国以上かつ、その船腹量の合計が世界の商船船腹量の35%に達する」という発効要件が満たされず、実に12年もの間、発効されないまま宙に浮いていたのだ。環境のためといえども、装置を搭載するには金が掛かる。船のオーナーである船主の発言権が強い国が、なかなか首を縦に振らなかった。

 それが9月8日、ついに要件が満たされるに至り、1年後の条約発効が決定した。幻の市場が実体を伴った瞬間である。条約が発効すると、新造船は初めから、既存船は条約発効前の最後の定期検査から5年以内に、IMOの型式承認の基準に応じて各国の主管庁が性能を承認した処理装置を船に搭載しなければならなくなる。

 日本の主管庁である国土交通省の承認を受けた処理装置を持つメーカーは、JFEエンジニアリングやクラレ、三浦工業など10社以上。海外勢を含めた椅子取りゲームのゴングが鳴り響いた。

 ところが、である。巨大市場を前にしても、装置メーカーの表情はどこかさえない。それもそのはずだ。バラスト水の浄化規制は、条約の発効が決まった今もって複雑を極めている。

 まず、米国が独自に導入している地域規制が混乱の元となっている。米国沿岸警備隊(USCG)はIMOとは別により厳しい規制を敷いているというが、装置の承認作業が遅れており、その厳しい規制に対応できるUSCGのお墨付きを得た装置がまだ一つもない。

 現状、USCGはIMOに承認された装置を5年間認める、という代替措置を取るなどして承認の遅れに対処している。しかし、IMOの承認を受けた装置がUSCGの承認も取得できるとは限らない、というのが厄介なところだ。

 さらに実はIMOも、装置の承認基準を見直すことで合意している。まだ何をどう見直すか具体的には決まっていないものの、10月に開かれる作業部会で「内容が詰められるのでは」ともいわれる。

 つらいのは、自社の装置が新基準をクリアしない場合だ。現行基準で承認を取得した装置で、すでに船に搭載されているものについては新基準が定められた後も承認装置として使用できる。とはいえ、装置メーカーの営業マンとしては分が悪くなるのは明らかだ。

 こうした先の見にくい規制の波に翻弄されているが故、条約の発効日が決まっても装置メーカーは営業攻勢をかけづらい。後々トラブルにならないよう、顧客には自社商品の説明のみならず、「規制の詳細やリスクに対する丁寧な説明が欠かせない」(嶋村重孝・クラレ マイクロフェード部長)。

 視界が開けるまで根気は必要だが、市場自体は大きく、うまみはある。USCGの承認にしても、2年~2年半の試験期間と数億円の“受験料”が必要と、コストは高い。それでもクラレはいわば残存者利益を狙って「まずはしっかり承認を取り切る」(梶田栄・アクア事業推進本部長)考えだ。

発効日が決まるも大損しかねない問題が山積み

 装置メーカーの苦労は、そっくりそのまま海運各社にも当てはまる。本来、承認装置や装置の承認基準の分かりやすさは、現場が環境保護策を講じる上で最も重要なことのはずだ。特に、船は世界中を航海するというのに、そのバラスト水についてIMOとUSCGの規制というダブルスタンダードが存在することにそもそも疑問を呈する向きは多い。海運会社の幹部が「近年まれに見るお粗末な仕切り」とあきれるのも無理からぬことといえる。

日本郵船 の自動車運搬船に搭載したJFEエンジニアリングの処理装置「JFEBallastAce」

 海運で国内最大手の日本郵船は、10年9月に日本の船会社として初めて装置を船に搭載するなど、バラスト水処理装置という未知の代物について知見を深めてきた。しかし、このままでは「早くから環境のため、積極的に装置を搭載してきた企業ほど、(装置の交換を迫られるなどの)損をする可能性が高い」(北山智雄・日本郵船環境グループ兼きらり技術力推進グループ長)といった“ねじれ”が起こる恐れがある。

 一方、海運業界では装置搭載のコスト負担を懸けた“ババ抜き”も始まろうとしている。例えば既存船の場合は、船主が全額コストを負担するのか、はたまた船主から船を借り受け、オペレーションを行う運航業者と痛み分けするのか──。バラスト水の浄化は荷主の直接的なメリットにはならないが、処理装置の搭載によるコストの増加分を荷主からもらう運賃に上乗せできるか否かも鍵となる。

 こうしたコスト負担については今のところ、船主と運航業者の世間話として話題に上るくらいで、「『いやいや、そのうち』と、はぐらかされて終わる」(前出の船主)のが常という。そう遠くない未来には水面下で船主、運航業者、荷主の熾烈な交渉が始まっているはずだ。

 結局、条約の発効日が決定したことで、現時点で腹の底から笑える企業はごく一部に限られる。装置の搭載業務を担う造船所も、船の修理・修繕を得意とする造船所以外は必ずしも楽観視していない。

 海運市況がどん底の今、装置導入のための修理費用は、「きっと、そんなに取れない。にもかかわらず、装置導入の想定をしていない既存船には、装置を置く場所がなく、配管工事などに苦労する」(造船大手関係者)。手間ばかりかかってもうけがない、という状況に陥る不安が渦巻く。

 問題は今後も山積みだ。USCGの承認装置が決まらない上、IMOの規制内容が変わる可能性もゼロでないため、海運各社の間では装置の導入をできるだけ先延ばしにする動きがあるという。ただ、そうなると今度はIMOの搭載期限の22年に向け修理依頼が殺到し、造船所が混んで費用高騰に見舞われかねない。装置メーカーの生産が間に合うか心配する声もある。

 さらに、装置の運用面での課題にも直面するだろう。「いつでも、どんな海水の温度、濃度でも完璧に浄化するなんてことが本当にできるのか。浄化の成否の検査だって、そんなに頻繁にできないだろう」。関係者は口をそろえて語る。

 ただ一つ、うっすら差し込むメリットという名の希望の光は、これで高齢船の解撤が進むかもしれない、ということだ。間もなく寿命が来る船に、わざわざ金を掛けてまで装置を搭載しないだろう、というわけ。もしそうなれば、船の数が減って需給バランスが締まり、今の最悪の海運市況が回復の方向に動く可能性がある。悲喜こもごもの海運業界だ。


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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