このページの本文へ

私たちがソーシャルメディア上で「自主規制」する理由

2014年09月05日 16時22分更新

文● Selena Larson via ReadWrite

  • この記事をはてなブックマークに追加
  • 本文印刷

政治についてはあまり話さないほうがよさそうだ。

MTIxNDI3Mjk1NTMzODkzMTMz

オンラインの友達から受け取るであろうネガティブな反応を予想して、投稿の前にそのフェイスブックのステータス更新を自分で削除したことはないだろうか。

私にはある。そしてPew Researchの研究によると、恐らくあなたにもその経験があるだろう。

ツイッターやフェイスブックはニュースや情報を配信するための有用なツールとなり得る。しかし論争の的になるようなニュースの共有に関しては、友達が自分の意見に反対するかもしれないと思っている場合、アメリカ人はそれをソーシャルメディア上で共有したいとは思わないようだ。

一般の意見を分裂させるような議論や討論についてのソーシャルメディアの持つ効果の研究のため、研究者は2013年にエドワード・スノーデンによるNSAのプライバシー問題の暴露に関して1,801人のアメリカの大人を調査した。彼が暴露したのは、アメリカ人の電話や電子メール記録の監視を通じて政府が大量のデータ収集を行っていたというものだ。

たった42%のユーザーが、NSAの監視計画に関する自分の意見を自ら勧んでフェイスブックやツイッターに投稿した。一方直接の会話では85%の人々がその話題に勧んで触れている。この研究ではさらに、オンラインとオフラインの両方で、人々はそのトピックに賛成した相手とはそれについて喜んで話すことが分かった。

またこの研究では、ソーシャルメディア・ユーザーがオンラインやオフラインで、自分の持っている反対意見を共有することを何より一番躊躇していることが分かった。

平均的なフェイスブック・ユーザー(一日あたり数回利用する人)は、他の人々が友達とレストランで自分の意見を口頭で話すのに比べて、恐らく半分ぐらいの発言(投稿)率だった。もし彼らがフェイスブック上の知り合いたちがその問題に関する自分の意見に賛成だと感じた場合、対面の議論でそれを友達と話すことに関する彼らの意欲はさらに高かった。

Pewによると、ソーシャルメディアよりもかなり前に生まれた用語「静寂のスパイラル(spiral of silence)」は、意見や討論に関してオンラインとオフラインのどちらにも当てはまるという。これはつまり一般的に、少数的な意見は皆が発言することを躊躇してしまうため、1つの支配的な見解が全体の会話を制圧してしまうということだ。

最近では歴史的にアメリカの政治は意見が分かれやすく、従って人々は自分自身の周りに壁を作り、自分の意見に共感的な人々とだけ議論をする。ソーシャルメディアでは否定的なコメントによって討論の口火が切られそうな意見を投稿するよりも、多くの「いいね!」を得られるだろう更新だけを共有して「自主規制」することは簡単だ。

Selena Larson 「人々はフェイスブック上では意見の分かれるような話題を取り扱いたくないのだと思う。だから軽いふわふわした話題ばかりになる。ニュースの共有にはツイッターのほうが向いているみたい」

古い格言に「食卓では政治や宗教を語るべからず(Don’t talk politics or religion at the dinner table)」とあるが、これはソーシャルメディアにも当てはまりそうだ。

トップ画像提供:bryan

Selena Larson
[原文]


※本記事はReadWrite Japanからの転載です。転載元はこちら


週刊アスキー最新号

編集部のお勧め

ASCII倶楽部

ASCII.jp Focus

MITテクノロジーレビュー

  • 角川アスキー総合研究所
  • アスキーカード
ピックアップ

デジタル用語辞典

ASCII.jp RSS2.0 配信中