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大事なことはみんなウィルコムから学んだ

2011年09月30日 21時00分更新

文● ASCII.jp編集部

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ウィルコムファンサイト最終回企画
歴代担当者がウィルコムを振り返る

 2006年から始まったウィルコムファンサイトも今回で最終回。これまで数々の記事を制作してきた、歴代担当者が集まって座談会……と思ったのだが、初代担当は産休に入ってしまったし、2~4代目担当者で集まったらみんな好き勝手に喋ってまとまらなかったので、各人のウィルコムに関する思い出を語ってもらった。ちなみに、2代目担当はシラガを経てコバヤシ、3代目担当はオカモト、4代目担当はスエオカである。

 3人とも30代半ばと年が近いこともあり、ウィルコム黎明期から現在までを知る、まさにウィルコム直撃世代だ。そんな3人が語る思い出話に「そうそう、こんな端末あったよね!」とか「へ~、そんなこともあったんだ」などなど、反応していただければ幸いである。

 これまでエポックメイキングな端末やサービスを提供してきたウィルコムだが、先日、新端末の発表があったように、これからも歩みを止めずに進み続けていくだろう。

すべてはここから始まった! スマートフォンの先駆け「W-ZERO3」


編集部コバヤシはかく語りき

編集部コバヤシ。ASCII.jp内でも数少ないフィーチャーフォンユーザー。しかし、さまざまな企画でいろんな端末を触っているので、とくにスマホに移行する気はないようだ。ウィルコムユーザーではないが、初期からPHSを見続けてきた男

──昔のウィルコムを振り返ってみて、なにか思うところはありますか?

コバヤシ:いまでこそ主要キャリアが競って新製品を投入しているスマートフォンだけど、ゼロ年代と呼ばれる21世紀最初の10年間は、PCサイトを自由に閲覧できるオープンプラットフォームの通信内蔵端末を、積極的に自社のラインアップに加えようとするキャリアは、ほとんどいなかったんだよね。日本独自の進化を遂げたフィーチャーフォン(ガラケー)が市場では主流だったし、キャリアの関心も当然のようにそれを守ることに向かっていた。あえて冒険に挑む必要はなかったんだろうね。

 そんなゼロ年代のまっただ中、ウィルコムから「W-ZERO3」が登場したのは2005年の終わり。これを「日本のスマートフォンの始まり」なんて言う人もいるけど、当時はスマートフォンという言葉はあまり良い印象を与えるものじゃなかった。使いにくいうえに売れない。極論するとそんなレッテルが貼られていたんじゃないかな。実際、ウィルコム自身もW-ZERO3がスマートフォンであるという言い方に神経質だった印象があるな。当時の広告コピーを見直すと、パソコンのサイトやファイルも読める高機能な電話、あくまでも「ケータイの延長線上にあるもの」という売り出し方だったんだよ。

──じゃあ、W-ZERO3は売れなかったんですか?

コバヤシ:いや、「スマートフォンは売れない」という業界の常識を大きく裏切って、W-ZERO3はヒット作になったんだよ。実はゼロ年代の初めの何年かは、1999年のWorkPad発売以降、日本でもちょっとしたPDAブームが来た時期で、各社からさまざまな端末がリリースされてたの。でも、誰もが望む通信内蔵、インターネットの魅力を存分に楽しめる端末にはキャリアはあまり積極的じゃなくて、その火は徐々に消えていって……。2005年の2月に、ソニーがCLIE関連ビジネスからの撤退を発表した頃には、PDA市場は事実上終息という空気が漂ってたんだよね。

──そんなときに颯爽と現われたのがW-ZERO3だったと。

コバヤシ:そう! 割安な価格で通信内蔵。実用性の高いQWERTYキーボードや、PCサイトも読める高解像度のディスプレー。PDA好きのマニアはもちろん歓喜したけど、一桁多いPHSのユーザーもまたこれを歓迎したんだよ。

スマートフォンは売れないという常識を覆したのもW-ZERO3

──その頃、コバヤシは何をしてたんですか?

コバヤシ:当時は、月刊誌(月刊アスキー)からウェブ(ASCII24)の編集部に移ったばかりで、編集部のケータイ担当と10月の発表から12月の製品発売まで、試作機や開発者のインタビューなど新しい情報が出るたびに嬉々として記事作りに励んだのを覚えてるな。デイリーでの更新は、ともすると苦しさを伴うけど、得た情報をすぐ出せるのはウェブ媒体ならではであり、その楽しさを純粋に実感できた時期だったね(笑)。

──では、そんなケータイ担当の目に、W-ZERO3はどう映りました?

コバヤシ:そうねえ、W-ZERO3は「電話の文化」と「PCの文化」を交差させた端末と見ることもできるよね。でも、何となく記憶をたどってみると、もっと他愛のない話、例えばこの端末で通話している姿は果たして世間からどう映るのか、と随分と議論したことを思い出す。「この姿はありえないだろう」「いやカッコいい」みたいな、どうしょうもない会話(笑)。そんなやり取りがにじみ出るような記事も書いた(関連記事)。いまでは編集部のスマホ関連を仕切っているオカモトが、W-ZERO3で電話をかけられず苦闘している姿が微笑ましかった。

──ウィルコムファンサイトが始まったのも、その頃ですよね。

コバヤシ:このW-ZERO3の発売とともにスタートしたんだよ。もともとはW-ZERO3の活用本を手がけた筆者陣と、(Palmマガジンなどを担当していた)初代担当者でもあるホンダなどの書籍編集者が立ち上げたサイトで。W-ZERO3という新しいカテゴリーの製品の魅力を伝え、積極的に活用していくことが狙いと聞いてた。改めてそれを読み返してみると、(特に初期には)W-ZERO3の魅力を世の中に伝えたい、そんな情熱が伝わってきたよ。

──では、コバヤシが担当を引き継いだのはいつなんですか?

コバヤシ:実は私がサイトに関わるようになったのはずっと後のことで、端末で言えば「WILLCOM 03」から「HYBRID W-ZERO3」が出るまでの1年強くらいかな。その間にiPhoneやAndroid端末が登場し、ウィルコム自身の立ち位置も少しずつ変わっていった。尖っていたW-ZERO3のコンセプトが、より「ケータイ的=ユーザーの裾野を広げる」方向に試行錯誤を続けていた時期でもあるけど、3G回線の低価格化や高速化、いまのユーザーがイメージする一般的なスマートフォンの姿(キーボードレスのマルチタッチ端末)が固まっていく中で、ウィルコムとしても難しい選択を迫られていたんだろうね。

WILCOM 03

──激動の時期に担当になったんですね。

コバヤシ:状況が変化していくにしたがって、ウィルコムファンサイトからはW-ZERO3の文字が消えて、音声専用端末を含む、ウィルコムの製品全般を扱うサイトへと変わっていった。そして、スマートフォンが形を変えて進化を続ける中、サイトの枠組みも見直す時期が来たんだろうね。思えばW-ZERO3には、DDIポケットの時代から新しいものに積極的に取り組んできた、同社の魅力が凝縮されていた気がする。ファンサイトという名称には、サイトの作り手も、またひとりのファンとして、そんな端末と新しい時代を楽しみたいという思いがこめられていたんじゃないかな。

京セラ製の「VP210」。テレビ電話の先駆け

──コバヤシの思い入れのある端末ってどれですか?

コバヤシ:一応印象深い端末というと、キャリアから販売されたものではないけど、PHSも使って、位置情報の精度を上げていたエプソンのロカティオのPHSユニットとか(関連記事)、LOOXに搭載していたAirHとか(関連記事)。ケータイは通話、PHSはデータ通信みたいな住み分けの時期が合って、ケータイよりもPHSのほうがパソコンユーザーにはなじみ深かった印象があります。通信速度が速かったとか音声がクリアーだとかはご存じのとおりですが。

 あとはメール機能ですね。文字電話とかさ。ケータイの人がショートメールとかチマチマやってた時代に、インターネットメールが1000文字まで送れたのはスゴイ! それと、すっかり定着した着メロだけど、これって実はPHSのほうが先行していた時期があったんですよ。着メロの商標を持ってたのはアステルだったけど。テレビ電話への取り組みも早かったですね。京セラの「VP-210」とか(関連記事)。

 こうみると、1995年からの10年間、DDIポケット→ウィルコムはいろいろな挑戦をしてたんだなと感慨深いです。

──では、最後に一言!

コバヤシ:W-ZERO3の登場後、5年以上続いたウィルコムファンサイトは、今回を持ってその役割を終えるけど、ASCII.jp編集部が今後もウィルコムの動向を注視していくのには変わりません。長きにわたって愛読してくれた読者の皆さん、ありがとう! またどこかでお会いしましょう!

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