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中卒ニートで赤塚賞! 「地獄のミサワ」のつかめない半生

2010年10月01日 12時00分更新

文● 広田稔、盛田諒

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2時間しか寝てないから

ミサワ こういう取材は初めてで不安なので、両親を連れてきました。

── は?

なぜかご両親がいらっしゃった

ミサワ それではお願いします。


── 昨日はどれくらい眠れましたか。

ミサワ 2時間です。



── ブログ、すごい話題ですよね。

ミサワ あれは知り合いにやれよって言われたので。

地獄のミサワさん(26)


── 言われて始めたんですか。

ミサワ そうです。2008年に赤塚賞を取って漫画家としてはデビューしたんですけど、半年に1回くらいしか掲載されない期間があったんです。漫画は1週間くらいで描けるので、半年に1回だと24週中、23週は暇なんですよ。ならブログやろうよって話になって、2009年1月から始めて。


── そもそも漫画を描き始めた理由は何だったんですか?

ミサワ 「BLEACH」(漫画)のノベライズをやっている小説家の松原真琴さんが知り合いで、その人から言われて、しょうがないから描き始めました。


── えっ。漫画家になりたくてなったわけじゃないんですか。

ミサワ そうですね、あんまり。


── しょうがないって、どういう状況だったんですか?

ミサワ 松原さんに「ミサワ、パーティー来いよ!」って言われて、行ったのが手塚賞・赤塚賞の懇親会を兼ねたものだったんです。まだ集英社と全然関係なかったのに。そこで「j-BOOKS」というレーベルの人たちの輪に加わって、この先はいったいどうしたらいいのか、みたいな熱い話に参加してたら、いつの間にかその場を仕切ってて。

いつの間にか場をしきっていたという


── 何者なんですか!

ミサワ そのときも、あいつ誰なんだみたいな話になったんですよ。妙に偉そうで、本人に聞くのも失礼かな……みたいな空気になって。そこで松原さんが、「来年、今度は壇上に立ってたら面白いから、応募してみなよ」と言ったので、赤塚賞に出したんです。そしたら運良く受賞させてもらったという。


── いや、運がいいだけじゃ受賞できないですよ。それまでも漫画賞に応募していたり、アシスタントで修行されていたとか。

ミサワ 「オモコロ」ってサイトでイラストネタは投稿していたんですけど、漫画は全然やってなかったですね。

オモコロ


── 美術系の大学や専門学校で習ったりとか?

ミサワ 小学生のときはノートの漫画に描くみたいなことをやってましたけど、ちゃんと描いたってことは全然なかったです。

ミサワ父 そう。全然、勉強もしてなかったし。


── いやいやいや、まさかまったく描いてないってことはないですよね。

ミサワ 模写とかはやってましたよ。あの絵は井上雄彦さんの絵をずっと真似ていたらああなったんです。


── えっ。あ、でもそうか。漫画は読んでたんですね。

ミサワ そうですね。読んでました。でも、描いてはいないというか。


Image from Amazon.co.jp
バガボンド(1)(モーニングKC)

── きっかけみたいなものはなかったんですか。

ミサワ あ、そうそう。中学生くらいのころからウェブページを作ってました。今と似たようなイラストを描いてたんですけど、それを「オモコロ」編集長のシモダさんに見てもらって、声をかけてもらった感じです。


── たまたま見つかったという?

ミサワ あー、ほんとそうですね。それがきっかけでイラストレーターも少しだけやってたんですよ。テレビ番組のちょっとした挿絵とか。二十歳前後のころですけど。

── それは「オモコロ」を見た人から?

ミサワ いや、それも知り合いです。太田プロのウェブページで大喜利みたいなのをやってて、その頃に知り合った投稿仲間がのちに放送作家になっていたりして。テレビ業界の人ってイラストレーターを探す手間をかけないのか、「お前、絵描けたよね」ってことで頼まれたり。



(次ページに続く)



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