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「お仕事は何をなさっているんですか?」

【あおきゆかの台湾まっくのうち弁当(第2回)】

2005年07月01日 04時16分更新

文● あおきゆか

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そんな風にして始まったマッサージ修行も、楽じゃなかった。
マッサージ以上に、先生は人間が凄かった。「三等身体の刈り上げ小僧」と言う容貌でありながら、自分の事をイケてると思ってたし、千里眼もあると言って、真剣にホラ吹いてた。“気”のフラッシュアウトだと言い、たくさんオナラするし、アルミの洗面器でサーブする先生作の味のないぶっとい麺(大量)は、義務で弟子に残すなと食べさせる。
私たちは、食べ過ぎて胃が痛くなると胃に効くツボを押して治し、また食べるという日々を送っていました。

また、弟子には、先生の足の裏から“気”をフラッシュアウトさせるという仕事もありました。要は先生の足の裏を楊枝使って引っ掻くだけのこと。でもルールがあって、左右交互に上下に手を動かさなければならず、もし怠けたり、左右の動きが一緒になると、先生から喝が飛びました。 

これが台湾だと思っていた私は、近所の免税店の無料ネットコーナーを利用して、この生活を日記に書いて、日本にメールしてました。そこにはiMacが設置されていたけど、半壊れで漢字変換が出来なかった。けど気にせず、客でもないのにしょっちゅう行っては、試食のパイナップルケーキをつまみながら愛用してました。

しかし、夜がメインのこの仕事。変わった食生活もたたり、先生のようにブーブーと気(屁)を操れず、逆に不健康になってきたような感じ。その上、マッサージのあのミラクルは、お客さんの意見も含め初回限定の奇蹟だったような?

で結局、足裏をマスターした段階で「マッサージでゲット!明るい未来計画」を泣く泣く断念。約5ヵ月が経つ頃でした。

それから台湾茶にハマり、また職人になって名古屋に友人と台湾式のお茶屋を作ったり、台湾の宗教体操の日本語版ナレーションをやらされたり……。

台湾のお茶の世界にどっぷり浸かり始めた頃、足しげく通っていたお茶屋で、知人にかぶり物を被せて、楽しい写真撮影をしてた私。お茶屋さんとの関係の深さがにじみ出ている一枚
台湾のお茶の世界にどっぷり浸かり始めた頃、足しげく通っていたお茶屋で、知人にかぶり物を被せて、楽しい写真撮影をしてた私。お茶屋さんとの関係の深さがにじみ出ている一枚

話が長くなるので今回はヤメときますが、とにかくその後マトモな台湾生活が始まり、人の環も広がってきました。そして、台湾で知り合ったブーさんを筆頭にアスキーとも繋がりができ、売り込みをさせてもらったのです。

アスキーへの売り込みの際、みやげにした新発明の手作りマキグソ菓子。見た目もエレガントで、予想以上に味も好評。これで、お仕事をゲット
アスキーへの売り込みの際、みやげにした新発明の手作りマキグソ菓子。見た目もエレガントで、予想以上に味も好評。これで、お仕事をゲット

私は、売り込みに名刺を忘れても手土産は忘れずに、台湾のニンニクピーナッツや、手作りのマキグソ型ケーキを用意しました。アスキーの人たちはマキグソ菓子に引っかかっていきました。

確かあのときも、自分のやって来たことをまとめるのに困ったんだ。それで、売り込み資料に過去のいいわけ文を書いたら、イラストで売り込んだつもりが、頂いたお仕事は書くほうだったという……。それから、台湾の宗教音楽CDをブーさんにクレてやったら、泣いて喜んだブーさんがチッコイデジカメを恵んでくれ、神のご加護かそれで撮った写真がきっかけで、写真のお仕事も貰えるようになった。頼まれて日本語を教えたりもしてるけど、まぁワラシベ長者のようなことをしながら、普段はプラプラしてるってことだわさ。

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