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【“テクノロジーと障害者”ロサンゼルス国際会議Vol.1】エベレストに登った最初の障害者--トム・ウィッテイカー氏が基調講演

2000年04月03日 00時00分更新

文● 岡部一明

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3月20日から25日、ロサンゼルスで、カリフォルニア州立大学ノースリッジ校(California State University, Northridge:CSUN)主催による“テクノロジーと障害者”国際会議が開かれた。今年第15回目になるこの会議は、障害者とコンピューター技術に関する会議として世界最大。

カリフォルニアの青い空のもと、ロサンゼルス空港近くのヒルトンホテル、マリアットホテルを舞台に、約4000人が集まり活発に情報と意見を交換した。地元米国はもとより、日本からの約100名をはじめ世界35ヵ国からの参加があった。障害者自立活動にかかわる人々、専門家、研究者、コンピューター企業、行政担当者などが障害のあるなしにかかわらず積極的に参加した。

会場となったロサンゼルス空港マリアットホテル(左)とヒルトンホテル(右)
会場となったロサンゼルス空港マリアットホテル(左)とヒルトンホテル(右)



開会総会は朝7時半からという強行スケジュール
開会総会は朝7時半からという強行スケジュール



2日間の予備会議の後、22日に始まった本会議は、朝7時半からという強行スケジュール。大広間に約1000人が集まった。基調報告に立ったのは、障害者で世界で最初にエベレスト(チョモランマ)に登頂したトム・ウィッテイカー氏だった。

「テクノロジーの進歩で障害者が社会で重要な役割を果たすようになり、技術と人間精神の融合が生まれました。今日、私が特にお話したいのは、この人間の精神の方です」

そう前置きして、ウィッテイカー氏は'89年のエベレスト登頂に至るいきさつを話した。

基調講演の模様。7年越しでエベレスト登頂に成功したウィッテイカー氏
基調講演の模様。7年越しでエベレスト登頂に成功したウィッテイカー氏



「'89年でした。エベレスト登山隊に加わらないか、という電話が私のところに来たんです。唖然として、こちらは片足がない者なんですが……と聞き返したわけです」

ウィッテイカー氏は'79年に自動車事故にあい、右足首下を切断、両膝も障害を受けていた。当初医者からもう歩けないだろうと言われたくらいだ。しかし、義足を付け、リハビリにつとめ、昔からの登山経験を生かして障害者の野外活動組織化に積極的に取り組んでいた。

3度目の試みで世界の最高峰に

説得に応じて'89年の登頂隊に参加した。悪天候で登頂はならなかったが、7300メートルまで登り、しかも猛吹雪に会いながら生還するドラマを演じた。やれそうだ、という自信が生まれた。'95年に再び友人と登頂を試みる。友人が登頂に成功し、彼は体調を崩してベースキャンプに残った。

「ほら、この小石はエベレストの山頂から取ってきたものだ。おまえ、これを今度返しておいてくれ、とその友人が石を渡すのです。強烈なモチベーションになりました」とウィッテイカー氏が会場をわかす。

そして'98年に3度目の試み。今度は登頂隊の企画を根本から練り直し、障害者の仲間の登山プロジェクトを組んだ。妻と6才の娘も同行した。費用を2年間にわたり全米を駆け回って集めた。「私はそれまで自分のエゴのために登っていた。他人のために登っていなかった」と気づいてやり方を変えた。

いっしょに活動してきた野外活動障害者で構成する“全能力登山隊”、エベレストのゴミ掃除をする“環境復元プロジェクト”、学生の支援ボランティア隊“サービス学習”の3プロジェクトを起ち上げた。それらを連係したエベレスト登山だった。ベースキャンプより上は、障害者としてはウィッテイカー氏が代表して頂上を目指した。

「あの山の上で何かが起こりました。長らく一緒に活動してきた彼らがベースキャンプにいる……。私は今彼らからバトンを渡された、と思いました。この山を登るのが今、私に与えられた仕事になった、と思いました」

「私を定義できるのは私だけ」

'98年5月27日朝、ウィッテイカー氏はエベレスト山頂に立つ。その様子を伝えるビデオが会場に流れた。3年前に友人から渡された小石をウィッテイカー氏が山頂に戻す場面も流れた。

「私を定義できるのは私だけ。私が何ができてできないか、ほかの誰も定義づけられません」

締めくくりの方で彼はそう何度か繰り返した。障害者がエベレスト登頂を目指すことには批判もあった。自身や友人を危険にさらすのは無責任だ、と。しかし、それは社会が障害者を一方的に定義しているからではないのか、と彼は言う。

「(このプロジェクトで)気が付いたことは、障害者に対する社会的期待はとても低い、ということです。障害者がちょっと努力して何かやるとほめたたえられます。しかし、本当に限界まで試そうと決意すると大きな壁にぶつかる。誰にとっても難しい相当な課題に取り組み、しかもそれが障害者だいうと、とたんに大きな疑惑に囲まれます」

世界の頂上に立って彼はこの壁を打ち破った。「障害者は(与えられた定義を超えようとする)スピリット(精神)をも持つ。それがテクノロジーと結び付けばアメリカが求める経済の活力が生まれる。世界に出て挑戦しよう」と結んだウィッテイカー氏に盛んな拍手がわいた。

マーフィー氏の名前を冠した“賞”を設置

この“テクノロジーと障害者”会議を15年間率いてきたのは、CSUN障害者センターのハリー・マーフィー所長だ。開会総会で活発に司会をしていたこの人が3月でセンターを退官するという。最後に小さなハプニングがあった。ウィッテイカー氏が、講演の後もマーフィー所長にマイクを返さず、「ここで勝手をさせて欲しい。トレース研究開発センター(本部 ミネソタ州)のグレッグ・バンダーハイデン所長を紹介する」

壇上に立ったバンダーハイデン所長は、何をはじめるのかと思っていると、彼らのセンターとCSUN共同でマーフィー氏の名前を冠した“賞”を設置したと発表。第1回の賞をマーフィー所長その人に贈るとし、その場でトロフィーを授与した。マーフィー所長は事前に知らされておらずあわてたようだ。同賞はこれから毎年、障害者とテクノロジーの分野で功績の大きかった人に贈られていく。

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