1982年頃の話である。筆者は、始めてUNIXなるものを触った。VAXというDEC(現Compaq Computer)のミニコンでBSD(たぶん、4.1とか4.2だったと思う)が動いていたのである。当時、パソコン(という言い方はまだ定着していなかったが)は、BASICインタープリタが動くものが主流で、まあ、電源を入れればすぐ、プログラムが作れたし、ダイレクトモードで、ちょっとした処理(たとえば、文字列のタブをスペースに置き換えるなんて処理)もできた。さすがにカセットテープを使うのはたいへん(知らない人のためにいうと、プログラムやデータを音楽用のカセットテープに記録していたのである)だったが、フロッピーが使えるとかなり使い物になった。特に画面上のテキストをカーソルを動かして、ちょっと編集すれば、同じコマンドを再度実行できたので、簡単なヒストリ機能のように使えた。
それで、UNIXなのだが、なんだかこのBASICマシンによく似ていたのである。ご存じのようにUNIXでは、ログインするとシェルが使える。BSDだったのでcshだったが、これもスクリプトを使ってすぐにプログラムが組めるし、コマンドから、foreachなんかも直接使うことができる。そんなコマンドもプログラムもという環境をどちらも実現していたからである。もっとも、UNIXの場合は、パイプなどで、コマンドの出力を別のコマンドに入れて、連続処理なんかができたし、そろっているコマンドの数や機能なんかは、BASICマシンと大きく違う。そして、BASICマシンは、誰でも買えたが、VAXは、個人では買えなかった。
それから、17年、UNIXとパソコンは別々に進化していった。パソコンは、DOSの時代を経て、Windowsが主流になった。しかし、高度な機能を備えるにつれ、かつてのDOSマシンが持っていた、「触る楽しみ」がなくなってしまった。パソコンは、オフィスで利用する「道具」でもあるが、かつては、「趣味」のものという色彩が濃かった。すくなくともとDOSマシンまでは、そういうものだった。config.sysを書き換え、バッチファイルでちょっとした処理を自動化する(ロールプレイングゲームを作った人もいた)。
だが、Windowsでは、「初心者にも使いやすい」ことをめざし、一般ユーザーには触ることのできない領域――ブラックボックス――が増えていった。プログラミングは高度化し、システムの奥深くを触るには、それなりの知識と技術が必要で、シロウトには手の出せる代物ではなくなってしまったのである。
そこにきて、このLinuxをはじめとするPC UNIXのブームである。インストールでつまづくこともあるし、インストールしたあとに、ウィンドウマネージャや各種のプログラムのインストールと、やることは一杯ある。好きなだけカスタマイズができるし、さらに、ほとんどがソースコードが公開されているものなので、手をいれることもできる。
なんだか、これって、DOS時代の再来のような気がするんですけど、どうでしょう? 仕事で使っている人には関係のない話かもしれないが、趣味という領域で、コンピュータの環境を整え、プログラムを改造したり、新たに作ったりするというのは、Windows系のマシンが失いつつある、かつてのDOSマシンの楽しみ方に通じるものがあるのではないだろうか? BASICしか動かない(それ以前においては機械語しか使えない)マシンが、あれだけ受けたというのは、そういう楽しみ方というのが、ある種の魅力を持っているのでしょう。それは、やはり、コンピュータを動かしているって実感があるからでしょうね。ワープロを使っていて、メモリ保護違反とかのエラーが出ると無性に腹が立つけど、自分が作ったプログラムのデバッグ中なら、当たり前のこととして受け入れられるものねぇ。
というのが、先月の続き、趣味でLinuxという話なのである。このコラムを読むような方は、おそらく「インターネットしたいからパソコン買おうかな」という感覚とは無縁の方とお見受けするが、こうした「コンピュータを使っている感覚」を味わうってのは、趣味ならではものという気がするのですがいかがでしょう? っていうのが、前回の続き、趣味でLinuxを使うって話である。
(塩田紳二)