前回、NFC(Near Field Communication)の故郷がモナコだという話を紹介した。モナコはイタリアとの国境に近い南仏の東端にある小国家だが、こうした経緯もあってかモバイルNFCの世界では比較的昔から複数のフランス企業が取り組みを行なっていることが知られている。今回はこの取り組みの中でも最前線にあった国家プロジェクト「Cityzi(シティジィ)」を紹介したい。
Cityziのスタートは2010年と(日本での取り組みと比べれば)最近ではあるものの、NFCを使った非接触決済や公共交通のモバイルチケット、観光ガイド、さらに店舗のロイヤリティカードやクーポンをモバイル端末1台に集約してしまおうという、「モバイルウォレット(Mobile Wallet)」の先駆者とも呼べる取り組みだ。当時、これに匹敵するレベルで似たような仕組みを展開できていたのは日本を除けば韓国くらいだったので、最先端を走っていたともいえる。まずはパイロットとして実験的に1都市で取り組みをスタートし、これをフランス全土に順次拡大していくというのが当初の計画だった。この最初のパイロット都市にはニース(Nice)が選ばれ、モナコにもほど近いこの南仏の観光都市はNFCの先駆けとして注目を浴びることになった。
残念ながら、このニースは2016年7月14日に80人以上が死亡し、300人もの怪我人を出す惨劇の場となってしまったわけだが、普段の街は欧州中からやってきたバカンス客で溢れる穏やかな場所だ。こんな場所からスタートした「Cityzi」プロジェクトだが、次回の「ストラスブール編」までの2回にわたって、その概要と変革、そして失敗までの軌跡をなぞっていく。
「NFCの街ニース」ができるまで
モバイルウォレットとは、決済機能から店舗カード(ロイヤリティカード)、身分証から家の鍵まで、さまざまなカードや鍵情報をスマートフォンなどのモバイル端末1台に取り込み、普段の生活で活用しようという「持ち歩ける財布」を実現する仕組みだ。構想自体は前回も説明したようにNFC Forumが2004年に設立された時点ですでに存在し、技術やインフラが成熟するのを待っていた状態だといえるだろう。日本ではNTTドコモのおサイフケータイでお馴染みのものだが、電子マネーやロイヤリティカードだけではない、さらに先を見据えた取り組みとして「Google Wallet」が発表されたのが2011年。GoogleはAndroid OSや周辺サービスを提供する、どちらかといえば端末メーカーに近いポジションのベンダーだった当時、Googleの進出を警戒する携帯キャリアらは、さかんに同社に対する妨害行動を仕掛けており、その対抗のプロジェクトの1つがCityziだといえるだろう。結果としては双方共倒れとなってしまい、一時はモバイルNFCそのものが瀕死の状態にまで追い込まれてしまったわけなのだが……。
ここでCityziそのものの説明に話を戻す。もともとは2008年にフランス政府出資の下で「モバイル端末で非接触通信を使ったサービス」に関する取り組みがスタートし、これを実現すべくフランスの3大メジャー携帯キャリア「Bouygues Telecom(ブイグテレコム)」「Orange」「SFR」が共同で「AFSCM(Association francaise du Sans Contact Mobile)」を設立し、いわゆる「モバイルNFC」を使ったサービス展開の研究開発をスタートしたことに端を発する。この過程で、最初にモバイルNFCを展開するテスト都市に選ばれたのが「ニース」で、これが2010年夏のこと。同年内にはCityziのニース市内への同時展開が行なわれ、「NFCの街ニース」が誕生した。翌年にあたる2011年9月にはニース近郊のソフィアアンティポリス(Sophia Antipolis)において、世界の携帯キャリアの業界団体であるGSMA主催で「NFC World Congress」が開催され、このニースでの取り組みが大々的に関係者らにアピールされることになった。3日目の会期最終日にはニースでの「Cityzi視察ツアー」が催されたが、今回のレポートはそこで紹介されたものをベースにしている。
買い物から移動、観光ガイドまで野心的な取り組み
Cityzi視察ツアー参加者にはニース到着とともにSamsung製のスマートフォンが配られ、これを使って実際にCityziを体験してほしいという体裁だった。CityziはNFCを使ったサービスであり、端末そのものがNFCに対応していなければならない。当時まだNFCを内蔵した端末はほとんどなく、ツアー参加者が手持ちのものでも「BlackBerry Bold」が唯一の対応端末だった。配られたSamsung端末はレスポンスが非常に悪く、お世辞にもできがいいとはいえないものだったが(そもそも端末OSはAndroidではなくSamsung製のBadaが搭載されていた)、必要な環境はすべてセットアップが行なわれており、一通りのサービスを体験することが可能だった。
端末にはOrangeが提供する「Cityzi」サービスに対応したSIMカードが挿入されており、これがCityziの実体となっている。あらかじめプリインストールされているモバイルウォレット用のアプリを呼び出して、各種支払いやチケット購入を行なうようになっている。決済については、NFC決済に対応した店舗で支払時に「Cityziで払う」と伝えれば、あとは端末を読み取り機に載せるだけでいい。今回訪問した店舗はカフェだったので金額的にはたいしたものではないが、決済にあたって特にPINコードを入力することもなく、すぐに決済が完了する。
一方で乗り物はやや面倒だ。
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