いま、いちばん見たいと思っている映画がある。
どんな内容かというと、ある男が「テレビの有料契約(サブスク)を解約したいだけなのに、解約手続きがあまりにも複雑・不親切すぎて解約できない」という理不尽に追い詰められ、テレビ局へ銃を持って乗り込み、人質を取る立てこもり事件を起こしてしまう。
2014年に香港の有料テレビ局「有線寬頻(ケーブルTV)」で実際に起きた事件をもとにした、2026年6月18日に公開されたばかりの香港映画『一個部門的誕生』である。
タイトルの英題『Dog Day Evening』は、名作『狼たちの午後(Dog Day Afternoon)』のパロディだろう。『狼たちの午後』もやるせないストーリーだったが(私は、映画館のモギリのアルバイトをしていた映画である)、現代版の『狼たちの午後』といっても遜色のない内容に思えてくる。
香港といえば、「バスおじさん(Bus Uncle / 巴士阿叔)」という、2006年に香港のバスで乗客が撮影し、世界中に拡散された動画もあった。バスの中で携帯電話で大声で話をしている中年男性を注意したら、逆上して説教を開始するというやつだ。
世間一般では中年男性がよくないはずが、「ストレスが溜まっているんだ」と切れまくった結果、すっかり人気者になってしまった。
みんなの心の中に鬱積したモヤモヤというものは、意外な形で表出することがままあるということなのだ。
パソコン業界的には、アップルが2006年から展開した「Macをはじめよう」というCMキャンペーンがあった。米国オリジナル版は、PCくんのダサさとアップルくんのスマートさを比較する内容だった。ところが、サエないオッサン風のPCくんの人気が出てしまった。みんなの心の中にある何かのモヤモヤがそうさせたのだと思う。
たかだか解約のために、と言うかもしれない。
しかし、解約手続きには、それくらい理不尽なたらい回しや面倒な手続きを迫られることがある。いまの時代をネットやスマホの前で生きる全世界数十億人が共感する内容ではないか。立てこもるとは、逃げ場のなくなった弱者がとる最悪の戦術である。それをやらなければならなくなった人物の心の痛手を、あらゆるサブスク系サービス業者は肝に銘じて見るべきである。
ある台湾料理店の決済画面
ここで、ちょっとボヤくように書いておきたいのが、開店当時からよく行っている東京都内のとある台湾料理店の決済画面である。
私のかなりのお気に入りの台湾料理店で、台湾に研修にも行ったりして味に関してはお勧めのお店である。かといって、現地ガチ系でもなく、何十年も日本に土着した台湾料理店でもない。ちょっとオシャレで、むしろいまの若い台湾のお店に近いといえる。
そんなお店で、いまどきよくあるQRコードで料理を選んで注文し、魯肉飯や雲吞(豚肉4個)、台湾ビールなどを堪能させてもらう。
ところが、いざ支払いとなると、いつも違和感を覚えてしまう。「支払い方法を選択し、会計を確定してください」と出ているのだが、選択もなにも「ログイン/会員登録して支払う」しか選択できないのである。魯肉飯を食べて、会員登録してカード登録しないと料金が払えないとは!
「合計金額:¥2,250」はそのとおりだ。「ご利用明細」、「わりかん計算」というボタンはいいとして、「ログインすることで、ご注文履歴からの再注文が可能となり、次回からカードでのお支払いがカンタンに!」とあって、「ログイン/会員登録して支払う」というボタンしか見当たらない。
私は、「テーブルでお会計」という選択肢が出てくると思っていたが、それはない。その代わりに見えるのは、「新規クレジットカード」と書かれたカード登録の入力欄である。気の弱い人は、いいやと思ってカード番号を登録するような気もする。
この件に関しては、「エンドウさん、それはあなたの考えすぎじゃない?」という人もいるかもしれない。「あなたのこのコラムが掲載されているASCII.jpはどうなの」という意見にも繋がりかねない。私だって、こんなクレーマーめいた、粘着質な人間と思われそうなことは書きたくない。
しかし、この決済画面を見て、ネットにあふれるダークパターンに通じるものを、少なくとも私は感じずにはいられない。
ダークパターンとは、利用者が本来なら選ばなかった行動を取るように、画面の構成やボタンの色、文字の大きさ、操作手順などを意図的に設計することである。
「同意する」は大きなボタンなのに、「拒否する」は薄い文字で書かれている。登録は一画面で終わるのに、解約するには「たらい回し」にされたあげく、電話でなければ解約できない。広告を閉じる×印は、冗談のように小さい。こうした画面デザインやUX(ユーザー体験)のことをいう。
ご贔屓にし、心の底で応援しているお店について、こんな批判めいたことを書いていいのかと思われるかもしれない。
そこは心配無用で、実際には、私が戸惑っているといつも店員さんがやってきて現金で決済できる。アプリ画面への私の違和感は、店員さんのお仕事っぷりと店舗内ルールで、きっちりカバーできていたわけなのだ。
【追記】
実は、この原稿を書いたあと、念のためお店を訪れてやり直してみると、画面がアップデートされていた! 画面下の「お会計」というボタンを押すと、以前からあったのかどうかはわからないが、画面に「当店は現金、PayPayの支払いが可能です」とあるのを発見した。おー、よかった。ちゃんと「テーブルでお会計」が選べるようになったのかと思ったのも束の間。その下にある「お支払い方法の選択へ進む」というボタンを押すと、出てきたのは、いままでとほぼ同じ画面だった。
「支払い方法を選択し、会計を確定してください」が消えただけで、相変わらず「ログイン/会員登録して支払う」しか選べない画面である。
しかし、今日などは、店員さんがすぐににこやかにやってきて現金で決済してくれた。お店の親切さ・快適さは変わらないというわけなので、ご安心あれ。やっぱり、人間はすばらしい。
こういう内容の文章なので、お店のご迷惑にならないよう念のため店名を伏せてしまったが、ホントお勧めのお店である。実は、この原稿の後半で登場する及川卓也さんに原稿チェックをお願いしたら、「食べたくなったのでお店を教えてほしい」というメッセージが届いた。決済画面にブーブー言いつつ、これだけフォローするのだから美味しいに違いない、というサインになったのか。鶏肉飯と雲吞(豚肉)、馬告香腸(ソーセージ)などをご賞味あれ。
ダークパターンの歴史は古い
現代のダークパターンやアテンション・エコノミー、さらには炎上マーケティングやステルスマーケティング、フェイクニュースの原点は何かといえば、思い当たるのが19世紀アメリカの興行師P・T・バーナムである。
バーナムといえば、サーカスの『地上最大のショウ』で知っている人も多いはずだ。私も、1952年の映画は見ているし、お台場で行われた公演に出かけたこともある。大人のゾウの後ろについてそのシッポに鼻をからめようとついていく子ゾウがとても可愛かった。ところが、この『地上最大のショウ』で知られるP・T・バーナムというのは、ペテン師としても伝えられている人物なのである。
私が月刊アスキーの編集長になったときに、広告のことを知りたくて読んだのが『西洋広告文化史』(春山行夫、講談社、1981年)である。上巻460ページ、下巻491ページという分厚さだが、その下巻で、P・T・バーナムのことがかなりのページを使って紹介されていた。
自らを「騙しの王子様」と名乗り、「カモは毎分1人ずつ生まれてくる」と言ったともいわれている(真偽は定かでないが)。「人々は奇跡が起きるのを見たいと強く望んでいる……ならば騙しを我々のモットーとしよう」は、実際に評伝に出てくる言葉である。
P・T・バーナムは、ときにはほんの小手先の看板1枚で人々を誘導するような騙しをやったかと思えば、まさに『地上最大のショウ』のような大規模なパフォーマンスをもやってのけた。広告には、人間の注意を引き、欲望を動かそうとするメカニズムが働いている。そうしたことを、最初に本能的にかぎ取って近代化したひとりとしてP・T・バーナムが紹介されていたわけなのだ。
いまのネットとスマホの時代では、そうしたものがP・T・バーナムとは比較にならない頻度で現れる。『西洋広告文化史』は1981年の本であるが、いまでもまったく古びない。というより、ネットにあふれかえるダークパターンの時代には最適な本のように思える。人類史的なスケールで、広告の根底にある魅力と宿命的な構造を文化史的に解き明かしている。これは、講談社学術文庫にぜひとも入れて欲しいと思う。
プロダクトを評価する軸に「倫理」を加えよう
それでは、利用者ではなく、そうしたシステムを提供する、あるいは作る側は、このことについてどう捉えるべきなのか? そこに正面から取り組んでくれているのが、及川卓也さんの『プロダクト倫理――あなたのプロダクトは誰かを傷つけていないか』という本である。
いまでは、すっかり仕事の中に馴染んでしまったのがKPI(Key Performance Indicator)だ。要するに、その仕事なりビジネスなりサービスなりの良し悪しを測るための指標のことである。ITの世界では、それが容易に計測可能であることもあり、こうした言葉を頻繁に耳にする。
PV(ページビュー)
登録数(ユーザー数)
ARPU(平均収益)
CVR(コンバージョン率)
コスト(費用対効果)
リテンション(継続率)
精度(正確性)
こうした指標は、「飛行機の操縦」にたとえられ、本書でも「計器」という言葉が使われている。KGI(最終目標を測る指標)やダッシュボードなども、これと一緒に好んで使われる言葉である。
これらは、会議における基本的な共有事項であるとともに、プロダクト開発の現場で日々見つめられている。及川さんの本では、その計器が照らしていない場所で、それによって、ユーザーの自律性が奪われ、信頼が壊れ、時に人命が失われているという問題を指摘している。
マイクロソフトやグーグルで活躍されてきた及川さんだからこそ、経験と知識に裏打ちされた「開発現場のリアルな視点」からこの問題に切り込んでいってくれている。数字だけを追うことが、結果的にユーザーを騙すダークパターンを生む土壌になっている。
具体的かつ生々しい国内外の事例がいくつも書かれている。Amazonの解約妨害「Project Iliad」、TikTokの依存設計、コンプガチャ問題、DeNAのWELQ問題、グーグルの社是である「Don't Be Evil」と地政学的な問題、倫理的フェーディングという人間の慣れの恐ろしさ、AIにおける代理変数の話など、「なぜ現場は踏み外してしまったのか」を構造的に分析している。
そこで著者は、従来のプロダクト開発で重視される3つの軸に加えて、第4の軸を提案する。
これまでは、「技術的に作れるか」、「ユーザーが求めているか」、「ビジネスとして成立するか」という三つの軸でプロダクトを評価してきた。しかし、その三つがすべて青信号でも、誰かを傷つけるプロダクトは作れてしまう。そこで「倫理性」という第4の軸を置こうというのである。
さらに、自律性、透明性、公正性、安全性という四つの原則から、グロース施策、解約画面、推薦アルゴリズム、AIなどを点検する。
他の3軸が「作るべきものを見つける」道具であるのに対し、倫理性(Ethicality)は「作るべきではないものを見極める」道具である。
企業がボランティアではなく、利益を上げて生き残り、従業員の雇用を守らなければならないのはいうまでもない。企業の「生きていくための現実」と「倫理」のジレンマがあるんだよというのはまぎれもない事実である。
一方、台湾や欧米など規制が強化された国・地域では、巨額の罰金が科される例もある。この本にもあるが、ユーザーを騙す片棒を担がされた優秀なエンジニアやデザイナーが、嫌気がさして会社を辞めてしまうこともある。
昨今のClaude Fable 5などのAIは、もはやプロンプトエンジニアリング的な関与も不要というレベルで、自動的かつ高精度に一つのプロダクトを作り上げてしまうことさえある。
非常に広範かつ重大で、同時進行的に状況が変化していく課題なのだと思う。
実際の開発現場で仕事をされてきた及川さんが、このテーマをこのような形で落とし込んでくれたことは、きわめて貴重なことである。高校の情報や大学の専門科目で教えてほしいと思ったが、逆に、「倫理」の中にデジタル時代の倫理というものを入れていくべきなのかもしれない。
遠藤 諭(えんどうさとし)
角川アスキー総合研究所リサーチパートナー、MITテクノロジーレビュー日本版アドバイザー、ZEN大学客員教授、ZEN大学 コンテンツ産業史アーカイブ研究センター研究員。プログラマを経て1985年に株式会社アスキー入社。月刊アスキー編集長、株式会社アスキー取締役、株式会社角川アスキー総合研究所取締役などを経て、2025年より現職。雑誌編集長時代は、ミリオンセラーとなった『マーフィーの法則』など書籍も手がけた。著書に、『計算機屋かく戦えり』、『近代プログラマの夕』(ともにアスキー)など。
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