丸の内LOVEWalker総編集長・玉置泰紀の「丸の内びとに会ってみた」 第31回

名優なのにチラシ配りもして「丸の内行幸マルシェ」を仕掛けた丸の内びと――永島敏行さん

文●横前さやか/ASCII、撮影(インタビュー)●曽根田元

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今回の丸の内びと/青空市場 代表理事 永島敏行

 丸の内の中心部で定期開催されている「丸の内行幸マルシェ」。昨年まで行幸通りの地下で開催されていたが、今年から東京駅地下の新丸ビル前で行われていることをご存じだろうか。

 そしてこのマルシェ、実は、俳優の永島敏行さんが企画・運営に携わっている。都市と地方をつなぐ場として、食を軸にした交流の場づくりを続けてきた永島さんに、活動の始まりから現在までの流れを聞いた。

俳優のつながりを生かして都心にマルシェを実現

――丸の内行幸マルシェの始まりや、それ以前の活動について教えてください。マルシェは2004年頃開始とのことですが、その経緯はどのようなものだったのでしょうか。

永島「僕自身が秋田でずっと米作りをしていて、りんごやぶどうの生産者の人たちと友達になったんです。みんなすごく美味しいものを作るんですよ。でも、『これ直接売ってくれない?』と聞いたら、それはできないと言われて。全部JAに卸すからできないっていうことだったんです。
 当時はまだ直売所がそんなにない時代で。海外へ行くとマルシェみたいなのがあって、日本だと市場っていう形だったんですが、それを東京のど真ん中でできないかなと思ったんですよ。そこで、友達に声をかけたら出店してくれるという話になって。でも一人でやるのは大変なので、農水省の外郭団体に直談判しに行きました。そうしたら歌舞伎座の向かいのビル9階にある、知り合いのレストランでできることになったんです」

――そうだったんですね! ビル9階のレストランが最初の開催だったんですか。

永島「そうです、2002年ぐらいですかね。僕も下でチラシを配って『9階に上がってください』とやっていたら、500人ぐらい訪れてくれたんです。1階でも路面でもないし、宣伝もチラシくらいしかないのに人が来てくれるのってすごいことだなと。保健所の許可も取ってあったので、有機牛乳を販売したりマグロ問屋の知り合いがマグロを出してくれたり、生鮮系も扱えたんですよ。結構評判が良かったんですね」

2005年9月に東銀座の松竹ADKビルでも開催したときの様子

東銀座とは思えないほど大盛況!

――そこから継続して開催していったんですか?

永島「定期的にやらないとお客さんがつかないのでね。単発だとイベントで終わっちゃうじゃないですか。松竹の本社跡地を借りて開催したりとか、資生堂パーラーさんと組んでランチで野菜を使ってもらったりとか、そうやって続けていったんです」

――東京国際フォーラムでの開催にもつながっていったそうですね。

永島「青空市場という会社ができる以前に個人でやっていた頃なんですけど、どうせならもっと大きいところを狙おうと思って。役者をしながら『東京国際フォーラムでマルシェやりたい』って言い続けていたんですよ(笑)。そうしたら全農の『お米ギャラリー』(2011年閉館)と組めることになって、月1で20ブースぐらい出してやるようになったんです。その後に三菱地所さんから声がかかって、行幸通りで開催できるようになったんです」

――現在の丸の内につながっていく流れですね。

永島「2011年の震災後は復興マルシェみたいな、東北支援の意味合いも出てきました。風評被害の中でも出店し続けてくれた生産者の方がいて、それがすごく印象に残っていますね」

2025年10月24日から新丸ビル地下エントランス付近 (丸の内駅前広場地下)に移転した

――現在では丸の内以外にも四谷や豊洲でも展開されていますが、その広がりについて教えてください。

永島「丸の内行幸マルシェを続けていく中で、四谷は買い物が不便だから毎週やってほしいという声があったんですよ。生鮮を買うのに、銀座や新宿まで行かなきゃいけないからと言われて。それでコモレ四谷マルシェも始めて、もう7、8年になります。隔週水曜日開催なんですけど、一軒家も多いし住んでいる人が予想以上に多くて。あと個人経営の飲食店も多い地域なんですよ。今でも野菜が30万円近く売れることもあって、タケノコの季節になると自転車で来て、段ボール三箱分買っていく方もいる。リピーターが多くて、生活に直結した買い物の場になっていますね」

――都市生活の中に根付いた市場のような役割になっているんですね。

永島「そうですね。コモレ四谷マルシェの会場の1階にスーパーが入っているんですが、そこにないものを求めて来られるようです。キャリーケースを引いて電車に乗って買いに来る方もいますよ」

コモレ四谷マルシェの様子

多くの人が立ち寄って買い物をしていく

――駅近立地ということもあり、生鮮品の鮮度面でも特徴がありそうですね。

永島「出店者さんの中にも、大きなキャリーケース2つぐらい持って電車で来る方もいますよ。四谷も丸の内も、駅を降りたところがマルシェ会場だから東京駅から移動しやすいんですよ。そういう意味では、鮮度が高い商品が並ぶのが特徴ですね。例えば先週はイチゴが出ていなかったんですが、旬の季節になると朝採れのものがもっと並ぶようになるんです。卵なんかも、この前見せてもらったらまさにその日の朝に産み落とされたばかりの卵なんですよ。その方は午前中に卵を収穫して、午後2時から出店していますね」

――扱う商品は地域や会場によって変わるのでしょうか。

永島「基本は同じですが、出店者自身が場所に合わせて考えていますね。丸の内だと、イスラエルの非加熱はちみつとか生コショウとか、日本にあまりないものも並びます。コーヒーやオリーブオイル、塩なんかもそうですね。北が産地のものを南にお土産として買っていく需要も多くて、手に入りにくいものが喜ばれることもあります」

野菜や果物、スイーツやコーヒーなどバラエティ豊かな商品が並ぶ

――見た目より中身の価値を伝える取り組みも印象的です。

永島「そうですね。最初の頃から出店している『もったいないフルーツ』というお店は、実は元某有名フルーツパーラーの方が経営しているんです。一級品はパーラーに行くけど、傷がついたりしたB級品は売れないんですよね。でも、見た目がいまいちでも、フルーツパーラーで使われるくらいだから食べたら美味しいんですよ。それまでお金を払って廃棄していたものが、ここで売ることでプラスになるようになったんです」

「そのフルーツを贈答用に送ったら、『なんて美味しいんだ、来年からも送ってくれ』と言われたりしてね(笑)」と話す永島さん

現在につながる、千葉で育った子ども時代の経験と映画『遠雷』

 俳優として全国を訪れる中で出会った人や土地での経験が、現在の活動の原点となっている。自然の中で育った記憶や映画制作の現場での体験が重なり、食や地域との関わり方を模索する現在の取り組みへとつながっていった。

――地方の生産者との関わりはどのように始まったのでしょうか。

永島「役者の仕事で地方に行くことが多かったのがきっかけですね。秋田の『あきた十文字映画祭』の立ち上げに関わっていて、毎年十文字に通っていたんです。秋田は米どころでもありますし、野菜も含めて本当に食べ物が美味しい。酒もうまいしね。
 でも当時は通販もありませんし、基本的には直接売ることはできないという話だったんです。じゃあ少しだけ、と市場で扱うようになったのが始まりですね。マルシェを始めたら、今度は地方の方々に口コミで広がっていったり、農水省の方が産地を紹介してくださったりして、関係が広がっていったんです」

――僕の一番好きな映画が、永島さん主演の『遠雷』なんです。農業がテーマの作品で、つながりを感じる部分もあります。

永島「よく言われるんですが、偶然なんです。ただ、千葉の海の近くで育って、潮干狩りで貝を取ったり、風で飛んできた海苔を拾ったり(笑)。自然の中で暮らしていた経験は大きいですね。
 その後、京葉工業地帯の開発で海が埋め立てられて環境が大きく変わってしまったんです。釣った魚の顔がただれていたり、重油が付着していたりして。経済的に豊かになる一方で何かが失われていく感覚がありましたね。
 そんなことを感じていた頃に『遠雷』の脚本を読んだら、都市化が進んで農地が失われていくという話が重なって見えた。都市を中心として経済的に豊かになっていくことが本当に幸せなのかという思いが、自分の中でつながったんです。今の活動の根底にはその感覚がありますね。このマルシェも、消費地として買うだけじゃなく、お互いを理解できる関係を作りたかった。地方の人が作ったものを都市で売るだけでなく、背景まで伝わるような場を作りたかったんです」

――映画の現場経験が現在の活動に影響している部分もあるのでしょうか。

永島「ありますね。先輩から『映画っていうのはエネルギーが映るんだ』と言われたことがあって。現場の雰囲気や人の力みたいなものがそのまま画面に出るんですよ。映画『サード』の頃の経験も含めて、自分が出演する立場でもそのエネルギーを受け止めて仕事をする感覚が続いています。そうした感覚は、自然や土地の変化を体験してきたことともつながっていて、人や環境のあり方が変わっていく中で何かが失われていくような感覚として自分の中に残っているんですよね。
 僕自身、東陽一監督に出会わなければ今はないと思います。あの頃は芝居の経験もなくて、台詞が決まってない場面も多くてね。喫茶店のシーンなんか30分雑談して、その中から使われたりするような作り方でしたし、スタッフも若くて怖いもの知らずのエネルギーがあった。そういう体験が今の価値観にもつながっていると思います」

映画『遠雷』ではトマト農家の息子を演じた。永島さんは第55回キネマ旬報賞主演男優賞、第5回日本アカデミー賞優秀主演男優賞などを受賞している

――改めて、現在取り組まれている食の活動の根底にある考え方を教えてください。

永島「人は食べないと生きていけないですよね。だから食を通して人がつながれると思っていて。生産者と消費者を分けるんじゃなくて、自分が作ったものを評価してもらう関係を作りたいんです。
 東京農大の学生が授業でここを使ったことがあって、生産者にとって一番良かったことは売上じゃなく評価されることだと言っていました。良いも悪いも含めて反応があることで改善できる。ここはマーケティングの場にもなっているんです。
 最近始めた新しい取り組みとしては、地域おこし協力隊の人たちが集まれる場をここに作ろうとしていて。任期が2〜3年で終わるんだけど、情報交換の場がないんですよ。だからここを集まる場所にして意見を集めて次につなげたいと思っています」

マルシェの一角にノートなどを用意。地域おこし協力隊の人たちの情報交換の場としても活用できることを目指している

――食の場づくりからさらに一歩踏み込んだ、体験などの活動も行っているそうですね。

永島「都会で働いている人たちと生産地を直接つなげたいと思っていて。例えばタケノコの季節になると掘りに行く企画をやったりしています。竹林は放置すると密集してしまうので、掘ることで整備にもなる。掘ったタケノコは食べられるし、参加した人も喜ぶんですよ。
 企業の副業制度が広がっていたり、定年後でも体力がある人がいるので、販売を手伝ってもらったり農業に関わってもらったりする流れを作りたいと思っています。米作りの参加型もずっとやっていて、20人くらい参加することもあります。ほかに丸の内の人たちと一緒に川越の農地へ行って落ち葉を掃く活動もやっています。雑木林の落ち葉を堆肥にするという江戸時代から続く農法があって、人が関わらなくなると成立しなくなるんです。落ち葉を集めて発酵させて肥料にする。そのあと焼き芋を食べたりして交流が生まれる。物の売買だけじゃない関係づくりを広げたいですね」

――農業人口の高齢化も課題ですもんね。

永島「平均年齢がもう60代後半で、後継者がいない農地も多い。だから都市の人が関わって収穫を分け合うような仕組みを作ることで維持できる可能性があると思っています。
 成田の農地も東京から一時間で行けますから、土に触れる機会を作ることがお互いのためになるんじゃないかなと思うんです」

丸の内だからこそできる「都市」と「地方」の交流

――今後の展開について教えてください。

永島「丸の内だけでなく行幸通り全体を使うような大きな展開も考えています。地域おこし協力隊と連携したブースづくりなど、都市と地方の交流をさらに広げたいですね。ここを単なる販売の場ではなく、意見が集まり次につながる場所として使っていきたいと思っています。地域おこし協力隊の人たちと組んで、行幸通りでもブースのような形にしていけたらいいですね。地上では納涼祭もやっていますし、地下と地上の両方で広がっていくイメージです」

 近年の取り組みは販売の場にとどまらず、農業体験や人材交流など都市と地方を直接つなぐ活動へと広がっている。継続的な関係を生む接点として、その役割は年々大きくなっているそう。

――長く活動を続けてこられた中で、丸の内という場所への印象や思いを聞かせてください。

永島「父の実家が川口だったので、子どもの頃は東京駅で降りて有楽町や日比谷に映画を観に行ったりしていました。特別な時に来る場所という印象でしたね。日本の中心でもありますし、ここからもっと発信できると思っています。かつて金融街だった場所でマルシェができるというのは象徴的だと思います」

――最後に丸の内で好きな場所はどこでしょう?

永島「地下を歩くのが好きですね。迷路みたいな空間を歩きながら街の気配を感じるのが楽しい。綺麗に管理されているだけじゃなく、人の動きが感じられるところに魅力があります」

永島敏行(ながしま・としゆき)
●1956年、千葉県生まれ。「青空市場」代表取締役、「スクーリング・パッド 農業ビジネスデザイン学部」学部長。芸能活動を続けるかたわら、秋田十文字町で1993年以来20年間米作りを続ける。農林水産省「食と地域の絆づくり」「地域食品ブランド確立委員会」「地域食品ブランド表示基準専門委員会」の選定委員を歴任。現在は農林水産省の「ディスカバー農山漁村の宝」有識者委員も務める。

聞き手=玉置泰紀(たまき・やすのり)
●1961年生まれ、大阪府出身。株式会社角川アスキー総合研究所・丸の内LOVEWalker総編集長。国際大学GLOCOM客員研究員。一般社団法人メタ観光推進機構理事。京都市埋蔵文化財研究所理事。産経新聞~福武書店~角川4誌編集長。

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