歴史的建造物と高層ビルが融合! 都市開発マニアが案内する「丸の内建築ツアー」 第1回

歴史的建造物と高層ビルが集中する世界的にも稀有な街・丸の内

文●きりぼうくん

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 これまで丸の内エリアに広がる地下世界をダンジョンにたとえて探索しながら、現場のレポートを交え、攻略法やその魅力などを「丸の内ダンジョン」という連載にて伝えてきましたが、今回から新たな連載として、地下から地上に上がり、いよいよ私「きりぼうくん」がもっとも得意とする高層ビルをはじめとした丸の内の街並みについて、街を歩きながらレポート! 特に、復元されて現在までその姿を残す近代の歴史的建造物と、天空へと伸びる高層ビル群“丸の内摩天楼”が融合する世界的にも稀有な街である丸の内の魅力に迫っていきます。

 いろいろと個別に深く語りたい建物がたくさんありますが、具体的な建物を掘り下げていくのは2回目以降にゆずり、連載の第一回となる今回は、まずは丸の内の街並み、建物群がいかに特殊で魅力的なのか、丸の内全体を俯瞰して見ていきたいと思います。

丸の内エリアの鳥瞰

皇居の緑と超高層ビル群のコントラストが美しい景観

超高層ビル+近代建築物の保存・復元形態の実に6棟が丸の内に集中

 大手町・丸の内・有楽町から構成される「大丸有」エリアは、「一般社団法人 大手町・丸の内・有楽町地区まちづくり協議会」のHPによると、

・区域面積 約120ha、
・就業人口 約28万人
・建物棟数 101棟
・鉄道 28路線13駅
・駐車場台数 1.1万台
・事業所数 約4,300事業所
・上場企業本社数 東証一部115社、二部上場2,550社
・上場企業売上高 約121兆8,929億円(日本の総売上高割合のうち約8.85%を占める)

 とのこと。驚きの数字が並ぶ中で、丸の内が日本の経済において中心地・中枢であることが分かります。そのような丸の内には現在64棟もの超高層ビルがあり、再開発が進む中で、ガラス張りの超高層ビルで埋め尽くされた「近未来の都市」というイメージをお持ちの人もいるかもしれません。ですが実は、丸の内は近代の歴史的建築物も数多く残されており、その多くが就業者を持つ超高層オフィスビルとセットで同じ街区に保存・復元されているのです。

低層基壇部の軒の高さが揃った美しい景観が形成されている

 もちろん丸の内以外の日本国内でも同様に、超高層への建て替え+近代建築物の保存・復元という形態を持つ再開発は行われております。例として、神戸の旧三菱合資会社神戸支店を保存して建設された「ザ・パークハウス 神戸タワー」、旧名古屋銀行本店ビルを保存して建設された「広小路クロスタワー」などがありますが、丸の内エリアにはなんと

① 「三菱一号館美術館/丸の内パークビルディング」
② 「日本工業倶楽部会館/三菱UFJ信託銀行本店ビル」
③ 「日清生命館/大手町野村ビル」
④ 「明治生命館/明治安田生命ビル」
⑤ 「東京中央郵便局/JPタワー」
⑥ 「第一生命館/第一生命日比谷ファースト」

という6棟が集中して建っています。

 さらに解体されてしまい、近代建築物の一部の部品のみ展示されている

・「東京銀行協会ビルヂング→みずほ丸の内タワー・銀行会館・丸の内テラス」
・「三菱銀行本店→三菱UFJ銀行本店」

を含めると8棟が何らかの保存・復元が行われていることになります。これは日本国内で最も超高層への建て替え+近代建築物の保存・復元という形態の建築が集中しているエリアとなっていることになり、これだけ狭い範囲に集まっているのは稀なのです。また、「東京駅丸の内駅舎」をはじめとして、そのほかにも復元された建物も多数あり、それぞれの建物やビルを見上げながら丸の内を散歩すると、その街並みの美しさについうっとりしてしまいます。

皇居側から見た丸の内の超高層ビル群

KIITE屋上の「KITTEガーデン」から見た東京駅と丸の内の超高層ビル群

特例容積率適用地区の指定により、歴史的建築物で今後、建て替えによる大規模化が行われない見込みの「東京駅丸の内駅舎」で未利用分の容積率を東京ビルディングや新丸の内ビルディング、丸の内パークビルディング、八重洲側のグラントウキョウに移転し、本来建設可能な容積以上の超高層ビル建設を可能にしている

辰野金吾設計の「東京駅丸の内駅舎」は、1914年12月開業時に建設された長さ330mのクイーン・アン様式の赤レンガ駅舎。第二次世界大戦の空襲で3階部分が焼失し、戦後に2階建てに改修、そして2012年に南北ドームを含めて創建当時の姿に復元されました。

 では今回は、今後の連載で深く掘り下げていく丸の内エリアの「超高層への建て替え+近代建築物の保存・復元」が行われたビルをざっくりと紹介していきます!

① 三菱一号館美術館/丸の内パークビルディング

 近代建築物の「三菱一号館」を、再開発を機に復元した三菱一号館美術館を持つ丸の内パークビルディングは地上34階、地下4階、高さ169.983m、2009年4月30日竣工の超高層ビルです。

 近代建築物の三菱一号館は、三菱が丸の内で初めて開発したオフィスビルで、日本開国後のお雇い外国人「ジョサイア・コンドル」が設計しています。

 外観意匠は、イギリス・クイーンアン様式の煉瓦造が特徴で、三菱一号館建設後、軒高と意匠に統一感の見られる煉瓦造の建物が次々と建設され、1900年代末期には一丁倫敦と呼ばれる街並みを形成しました。戦後になると、高度経済成長により進められた三菱地所による再開発事業「丸ノ内総合改造計画」によって取り壊しとオフィスビルの建て替えが計画され、1968年には解体工事が開始、三菱一号館は消失しました。時代が変わり、三菱一号館跡地に建設された三菱商事ビルヂングも老朽化してきてため、周辺も合わせた3区画の再開発が計画され、丸の内パークビルディングの建設と同時に三菱一号館は2009年4月30日に復元されました。

三菱一号館と調和する赤レンガの色合いのマリオンに、コントラストのあるアールを描いたガラスファサードが特徴的な丸の内パークビルディング

丸の内パークビルディング建設時に三菱一号館は美術館として復元された

② 日本工業倶楽部会館/三菱UFJ信託銀行本店ビル

 東京駅の北西側の再開発を機会に新築された、地下構築物の上に免震装置を介して近代建築物の「日本工業倶楽部会館」を保存するという画期的な工法を採用した三菱UFJ信託銀行本店ビル。地上30階、地下4階、高さ148.4m、2003年2月竣工の超高層ビルです。

 日本工業倶楽部会館は、1917年に実業家329人により設立された日本工業倶楽部の拠点として建設された地上5階、地下1階、1920年竣工の近代建築物で、第一次大戦後の経済及び工業の急成長を示す近代建築として親しまれてきたビルとなっていました。

 外観意匠は、アメリカ式オフィスビルの形態にユーゲント・シュティルの意匠を加味した大正建築のファサードが特徴的なセセッション様式を採用しており、再開発を機に会館の南側部分を保存・残りを再現、登録有形文化財にも指定されています。設計は横河工務所、ファサード松井貴太郎、インテリア橘教順・鷲巣昌です。

三菱UFJ信託銀行本店ビルの高層部分は、全面ガラス張りの現代的な外観デザインとなっている

セセッション様式の外観が特徴的な日本工業倶楽部会館

③ 日清生命館/大手町野村ビル

 大手町に建つ地上27階、地下5階、高さ138m、1994年2月竣工の超高層ビル「大手町野村ビル」も低層部分に近代建築物が残っています。1932年10月20日に竣工した佐藤功一設計の地上7階(時計塔9階)、地下1階のビル「日清生命館」です。1919年に制定された市街地建築物法による高さ100尺制限の影響を受けて軒の高さが100尺(約31m)(※最高塔扶壁上端まで130尺)の設計とされており、現存する丸の内の近代建築のうち、日清生命館以降のものは設計時の法令に従って軒の高さが100尺になっています。

 1941年12月、日清生命保険は野村生命保険に吸収され、丸ノ内野村ビルディングとなりましたが、バブル期に建て替え計画が浮上、建て替えられた超高層ビルの低層部分に時計塔や旧ビルのファサードを組み込む手法で保存されています。

大手町野村ビルを見上げた様子

時計塔が保存されている

④ 明治生命館/明治安田生命ビル

 皇居の目の前に建ち、昭和期竣工の建物として初めて重要文化財の指定を受けた「明治生命館」を低層基壇部に持つ明治安田生命ビルは、地上30階、地下4階、高さ146.80m、2004年8月竣工の超高層ビルです。

 近代建築物の明治生命館は、地上8階、地下2階、1934年3月31日竣工で、設計は岡田信一郎、太平洋戦争後に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に接収され、アメリカ極東空軍司令部として使用され、対日理事会の会場に指定されたことから、マッカーサー総司令官も何度も訪れています。外観意匠面では、コリント式列柱が並ぶ古典主義様式に則ったデザインとなっており、列柱の柱頭には優雅なアカンサスの葉飾りが設けられていることが特徴となっています。

手前の石造り風の重厚感ある明治生命館とは対照的にガラスを用いた軽さを感じる外観の明治安田生命ビル

まるでヨーロッパの近代建築物のような「明治生命館」

⑤ 東京中央郵便局/JPタワー

 東京駅丸の内口を出ると南側に見えるV字型にガラス張りがなされ、白亜の鉄筋コンクリート造の柱梁が目立つ東京中央郵便局を低層基壇部に持つ超高層ビルのJPタワーは、地上38階、地下4階、高さ200.0 m、2012年5月31日竣工の超高層ビルです。

 東京中央郵便局は、6mスパンに配された柱と梁によって格子状に連結されたこの建物の主体構造で、これまでの近代建築の特徴であった数多くの装飾を排除し、建築構造が外観にそのまま出てくる戦前のモダニズム建築となっています。地上5階、地下1階、1933年12月25日竣工で、JPタワーの建設される再開発により、一部が保存・再生されました。設計は逓信省営繕課の吉田鉄郎です。

2012年竣工のJPタワーもガラスファサードが美しい超高層ビルです

への字型にファサードが保存された東京中央郵便局

⑥ 第一生命館/第一生命日比谷ファースト

 皇居沿いに建つ太平洋戦争後にGHQの本部にもなり、マッカーサーが6階の社長室を執務室にも活用した「第一生命館」を低層基壇部に持つ、第一生命日比谷ファーストは地上21階、地下5階、高さ99.8m、1993年10月29日竣工の超高層ビルです。

 近代建築物の第一生命館は、地上7階中2階付、地下4階、1938年11月3日竣工で、渡辺仁、松本興作による設計、西側には方柱10本が立ち並んだ花崗岩を主として装飾を排除した無駄はなくとも力強い外観が特徴となっています。

 超高層ビルの建設に伴い、東側部分を1989年12月に解体、西側部分を1993年10月1日に改装し、外壁は屋上塔屋部分、新館との接続部分を除くほとんどが保存されましたが、内部は保存室以外は一部の躯体を除いてすべての間取りが変更されています。

第一生命日比谷ファーストの外観は低層基壇部の第一生命館に合わせた重厚感ある外観が特徴

国家総動員法の公布がされ、本格的な戦時体制へ突入した1938年に竣工したこともあり、外観は力強くかつ無駄な装飾が見当たらない

解体済みの近代建築物の一部パーツが超高層ビルの脇に残る2棟

 松井貴太郎による設計のモダンルネサンス様式の煉瓦造近代建築物「東京銀行集会所」跡地に東京銀行集会所のファサードを低層部分に組み込んで地上20階、地下4階、高さ82mの超高層ビル「東京銀行協会ビルヂング」が建設されましたが、再々開発によってこちらも解体されてしまい、残念ながら近代建築物であった東京銀行集会所のファサードも消えてしまいました。

 跡地には、地上29階、地下4階、高さ149.7mの超高層ビル「みずほ丸の内タワー・銀行会館・丸の内テラス」が建設され、東京銀行協会ビルヂングの手すりのみが保存されています。

再々開発で建設されたみずほ丸の内タワー・銀行会館・丸の内テラス

建て替え前の東京銀行協会ビルヂング(2012年8月撮影)

東京銀行協会ビルヂングの窓にあった手すりがみずほ丸の内タワーの脇に保存されている

 1922年3月に竣工した桜井小太郎設計の古典主義様式のファサードを持つ「三菱銀行本店」は、超高層ビルへの建て替えにより、1977年4月に解体され、跡地に建設された地上24階、地下5階、高さ110.65mの超高層ビル「三菱UFJ銀行本店」の敷地内の植栽部分にイオニア式列柱の柱頭のみ保存されています。

三菱UFJ銀行本店ビルの外観

イオニア式列柱の柱頭が植栽の中に佇んでいた

 以上、今回の連載はこれにて終了。歴史的建造物と超高層ビルが融合する街・丸の内の魅力が少しでも伝わりましたでしょうか? さまざまなビルを見上げながら、街中をただただ散歩してもまったく退屈しない街、それが丸の内なのです。ビルの細部に目をやれば色々な発見があります。今後、この連載では、私「きりぼうくん」がカメラを片手に丸の内を歩きながら、今回ざっくりとご紹介した各建物や高層ビルをがっつり掘り下げて紹介していきます。次回以降もお楽しみに!

文/きりぼうくん

超高層ビル、タワーマンション、駅ビル、地下街、再開発ネタを発信する「超高層ビル・都市開発研究所」の運営をしているブロガー。デベロッパー、ゼネコンのニュースリリース、さらには内閣府や都道府県など行政機関が出す情報を得て、現地を実際に巡るスタイルで取材。記事は9年間ほぼ毎日更新。Twitterでもアツく情報を投稿し、フォロワーは約3.6万人に及ぶ筋金入りの都市開発マニア。

・ブログ「超高層ビル・都市開発研究所.blog
・Twitter 「超高層ビル・都市開発研究所の中の人 (きりぼうくん)