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業界人の《ことば》から 第526回

PFUの歴史と次のステップは?

リコーになってもScanSnapの火は消えない

2023年02月20日 09時00分更新

文● 大河原克行 編集●ASCII

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今回のひとこと

「トップシェアであるからこそ、お客様に対して新たな価値を提供し、新たな用途を提案していく使命がある。リコーグループとしてのシナジーにより、スキャナーを中心としたドキュメントイメージング事業をさらに成長させたい」

(PFUの村上清治社長)

 2022年9月、富士通の100%子会社だったPFUの株式の80%をリコーが取得し、PFUは、リコーグループ傘下で新たなスタートを切った。

 PFUの創業は1960年。IT産業の黎明期からの歴史を持つ企業の1社だ。

 その歴史を辿ると2つの潮流がある。

PFUの歴史

オフコンのウノケ電子工業

 ひとつは、1960年創業のウノケ電子工業である。

 日立製作所で国産第1号コンピュータの開発に携わっていた竹内繁氏をはじめとする技術者がスピンアウトし、日本初の国産小型コンピュータ開発会社として設立。竹内氏の郷土である石川県宇ノ気町を本社とし、町長や地元医師などからの出資を得て誕生した。

 1961年11月にUSAC5010を開発。12月にはUSAC3010を製品化した。これはオフコンと呼ばれる日本独自の小型コンピュータの発端となった製品のひとつだ。

 ちなみに、USACは、「Unoke Standard Automatic Computer」の頭文字を取ったものである。

 ウノケ電子工業は、製品開発のための資金調達と販路拡大を目指して、同じ石川県出身であった久田忠守氏が会長を務める内田洋行に協力を要請。1962年には内田洋行と販売提携し、ウノケ電子工業が生産するすべての製品の販売を内田洋行が引き受けることになった。

 だがウノケ電子工業では、設立当初の販売低迷と、生産増強を図って導入した機械の不安定などによって資金難に陥り、協議の末に、株式の51%を内田洋行が取得。1969年にはユーザック電子工業に社名を変更した。

 大ヒットとなったのが1971年に完成した「USAC720」である。会計機の機能に小型コンピュータの思想を盛り込んだ製品として、高性能と低価格を両立。2年間で1000台以上を販売し、それまでの累積赤字を一掃するほどの勢いを持った製品だった。

 1972年は内田洋行と富士通が提携を発表。その流れを受けて、小型コンピュータの品揃えを強化したかった富士通が、1974年にユーザック電子工業と提携。ユーザック電子工業では、富士通のFACOMブランドの小型コンピュータの開発、生産を行うことになった。

富士通と松下の合弁で誕生したパナファコム

 PFUのもうひとつの流れが、パナファコムである。

 1973年7月に、ミニコンピュータおよび関連装置、ソフトウェアの研究、開発、製造、販売を行うことを目的に設立した合弁企業で、資本金10億円の出資比率は、富士通が35%、富士電機が15%、松下電器産業が20%、松下通信工業が25%、松下電送機器が5%と、ミニコン事業における富士通とパナソニックの連合軍としてスタートした。

 松下電工の丹羽正治社長が会長を務め、富士通の高羅芳光社長がパナファコム社長を兼務。出資各社のすべての社長が取締役に名前を連ねたことからも、両社の力の入れ方がわかる企業だった。

 パナファコムでは、1977年にパソコンの前身となる日本初の16ビットマイコンキット「LKIT-16」を製品化。1978年には16ビットパソコン「C-15」を発表。富士通の企業向けパソコン「FACOM 9450シリーズ」は、このC-15をベースに開発した「HIT80」が前身になっているという。その後、パナファコムが開発した「C180」は、FACOM 9450と同じ仕様の製品であり、1983年の多機能パソコン「C280」の開発へとつながっている。

 また、1986年にはUNIXワークステーション「PANAFACOM A200UX」を開発。同年には、ミニコンの「PANAFACOM A-30」を開発し、その後のUNIX関連事業の拡大につながっている。

 そして、1987年にはユーザック電子工業とパナファコムが合併し、PFUが誕生。現在に至っている。

PFUの名称は存続

 歴史からもわかるように、PFUの社名は、パナソニック、富士通、ユーザック(ウノケ電子工業、内田洋行)という3つの社名の頭文字を取ったものだが、いまは、親会社であるリコーのRの文字を含まないまま、これからもこの社名を存続することになる。

 現在、PFUは、3つの事業で構成されている。

 ドキュメントイメージング事業は、オフコンで培ったプリンタやスキャナー技術を活用するとともに、2001年に富士通から移管したスキャナー事業を統合。イメージスキャナーでは、日本で70%、米国で40%、欧州で33%といずれもトップシェアを誇る。

 エンベデッドコンピュータ事業は、かつてのオフコンやミニコン、サーバー、パソコンなどのコンピュータ事業が発端となっている。2002年にサーバー事業などを富士通に移管したことをきっかけに、開発製造受託サービスのProDeSビジネスを開始。現在は、同サービスとともに、組み込み型コンピュータや、産業用コンピュータのコア部分の開発および製造、セキュリティアプライアンス事業などを行っている。

 そして、インフラカスタマサービス事業は、オフコンの保守からスタートした長年の実績を活かし、現在ではシステムインテグレーションビジネス、インフラ構築運用マネージドサービス、マルチベンダー保守などを展開している。

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