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「avenue jam」特別対談第34回

対談・Planetway CEO 平尾憲映×元ソフトバンク同期メンバー 前編

「日本発を海外に広げるビジョンを見たい」元ソフトバンク社員が語るPlanetwayを選んだ理由

2019年01月29日 11時00分更新

文● 盛田 諒(Ryo Morita)編集●ASCII

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 プラネットウェイ平尾憲映代表はソフトバンク出身。スタッフにも元ソフトバンクの同期が多い。平尾代表に言わせれば同期の中でも粒ぞろいだ。どんな才能が集まっているのか、彼らがソフトバンクをやめてプラネットウェイにジョインしたのはなぜなのか。ソフトバンク出身の4人が平尾代表を交えて語りあった。(前後編)

Speaker:
プラネットウェイ 代表取締役CEO
平尾憲映

1983年生まれ。エンタメ、半導体、IoT分野で3度の起業と1度の会社清算を経験する。学生時代、米国にて宇宙工学、有機化学、マーケティングと多岐にわたる領域を学び、学生ベンチャーとしてハリウッド映画および家庭用ゲーム機向けコンテンツ制作会社の創業に従事。在学時に共同執筆したマーケィングペーパーを国際学会で発表。会社員時代には情報通信、ハードウェアなどの業界で数々の事業開発やデータ解析事業などに従事。

同 事業戦略室 アシスタントマネージャー
山崎慧
同 事業戦略室 アシスタントマネージャー
大塚直登
同 CEO室 アシスタントマネージャー
肥沼勇志
同 CEO室 担当部長
松山享平

粒よりの元ソフトバンク同期たち

──初めにみなさんがソフトバンク時代に何をしていたのか教えてください。

事業戦略室 アシスタントマネージャー 山崎慧氏

山崎 ソフトバンクには7年間。配属は東京近郊の法人の新規開拓営業でした。2012年、PayPalとのジョイントベンチャー立ち上げに抜擢され、スマホのカード決済事業の企画、推進を担当していました。その後ジョイントベンチャーのクローズを経て、au Walletのソフトバンク版(ソフトバンクカード)ローンチにも携わっています。余談ですが、PayPayには当時一緒に仕事をしていた仲間もおり、構想していた企画の一部が今となって実現され感慨深いです。

事業戦略室 アシスタントマネージャー 大塚直登氏

大塚 ソフトバンクには9年間、5年間スマートフォンの開発を担当していました。主にAndroid新機種のメールやカメラなどの機能開発です。ホットだった案件はSprintと初の共同端末を作るための開発リーダーを担当したこと(シャープ「AQUOS Crystal」「AQUOS Crystal 2」)。仕様を一緒に書いたんですが、Sprintとはまったく文化がちがうのでコミュニケーションに苦労しました。一週間ずっと夜中にミーティングをしていたこともありました。そのあとは自発的に異動してIoT事業の事業戦略立案、サービス企画・開発を担当してました。

CEO室 アシスタントマネージャー 肥沼勇志氏

肥沼 ソフトバンクには2年間。当時のソフトバンクテレコム、鉄道系の会社からソフトバンクが買収した会社で法人営業をやっていました。都内ならびに東海側を担当していたんですが、3つのキャリアに平等に対応しているような取引先だったので、その中でどうやって大きなパイをとっていくかを考える、泥くさい営業でした。鉄道で電波調査して客に発信していくとか、やってましたね。

CEO室 担当部長 松山享平氏

松山  ソフトバンクでは約10年間、法人営業で、製造業などの堅い企業を中心に営業していました。最初は携帯と固定電話の営業が多かったのですが、ネットワークとクラウドの販売促進部隊に所属し、営業に同行してネットワークとクラウドだけを販売していた時期もあります。7年目に営業課長になったとき「ソフトバンクアワード」という社内の賞を受賞しています。

あのころ、企業風土と人に惹かれて

──なぜソフトバンクに入社したんですか?

山崎 20代でいちばん力を伸ばせる会社はどこだろうというのがスタートでした。決め手になったのはiPhoneです。入社を決めたのはちょうどiPhoneの独占販売が発表されたとき。ソフトバンクなら事業がグローバルに広がっていく期待をもって入社を決めました。もちろん、孫社長のビジョンへの共感も根底にありました。

大塚 わたしもやはり20代のころ自身の能力を伸ばせる会社はどこだろうと思ってソフトバンクに決めていました。他はベンチャーばかりを受けていて、大手はソフトバンクだけ。まだiPhoneの独占販売が決まる前でしたが、スライド式の「インターネットマシン」(Softbank 922 SH)は面白い取り組みだなと思っていました。キャリアプランとしてエンジニアサイドからビジネスサイドに転向したいとも考えてましたね。

肥沼 いろんな企業を比べる中、「スマホがこれから広がっていくだろう」と考えている中、孫社長が目立っていたので、シンプルにここしかないなと。競合からも内定もらっていたんですが、そこはお堅いところだったので、自分のキャラクターに合わなそうだなと思ってやめました。当時のソフトバンクはぶっとんでましたが、今はもっとぶっとんだ会社に来てしまったなと思っています。

松山 実家が熊本県で田舎出身。普通に公立高校で地方の国立大学に入りました。電話はNTT、車はトヨタ、家電はパナソニックという、大企業気質や安定志向がいやだったんです。そんなとき、ベンチャー気質があり、総務省ともゴリゴリやっていて、年功序列でなく、若くても仕事をまかせられるというソフトバンクが目にとまり、中にいる人も面白そうだなというところで入社を決めました。

平尾 ぼくは人でした。孫正義社長です。アメリカで映画関係のスタートアップ会社をやっていたんですが、両親が体調をくずしたとき日本に戻るかどうか悩んでいた際に、ロサンゼルスで面接を受けた最初の企業がソフトバンクでした。いわゆる就活をしたこともなかったので、A4用紙1枚に5行くらい自分の特徴を書いて「買いますか?」と言った。そうしたらすぐ二次面接をしたいと言われ、2日間で7次面接までやりました。そして採用時に「志高く」という孫正義が書いた本をもらったんです。その本を読み、自分と似たようなバックグラウンドがあるのかと知って驚いたことが、最終的に入社を決めたきっかけですね。本は同期800人のうち30人だけに配られた本で、ぼくの本だけに孫社長の直筆サイン入りだったんです。

10年前、ソフトバンク時代から変わらぬ平尾代表のビジョン

──ソフトバンクと比べてプラネットウェイはどうですか?

松山 プラネットウェイはまったく新しいことをしようとしてるのが魅力です。ソフトバンクも新しいことはしていましたが、だんだんグーグルやマイクロソフトのような既存企業と組むようなことが増えてきました。独自サービスを日本で広げて海外展開するビジョンはないように見えてきたんです。国内営業をしていてさみしかったところはありました。その点プラネットウェイは日本でプロダクトの実績をつくって海外に広げようというものです。仕組み自体も、人々の暮しを変えるような価値観があります。

肥沼 平尾とは10年来の付き合いなんですが、ソフトバンクにいたときから言っていることは変わらないです。当時は具体的な話ではなくて、もっとふわふわしてましたけど。世界を変えたい、資本主義を変えたいくらいの。

平尾 同期何十人かにBCCでA4用紙2ページくらいのビジョンを送りつけたことがあったんですよね。いまでも言ってることはそのときと大体一緒です。

肥沼 社内で「変なメールが送られてきたぞ」と話題になりましたよね(笑)。

松山 今でもわかる人は少ないと思いますよあれは。

平尾 メールを送った人には会社を起こしたときに来てほしかったんですよ。

松山 (声をかけられたときは)10年前に言っていたことがついに来たかという感覚でした。ぼく個人としては事業内容には関係なく、平尾が会社を興して人をとるというなら断る理由がなかった。ジョインした理由はそんな感じでしたね。

後編につづく

(提供:プラネットウェイ)

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