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「avenue jam」特別対談 第13回

Planetway代表 平尾憲映インタビュー 第2回

人生を変えた元NASA職員の意外な一言

2018年01月30日 09時00分更新

文● 盛田 諒(Ryo Morita) 編集● ASCII

提供: プラネットウェイ

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 世界を変えられると本気で信じたものが時代をつくってきた。テクノロジースタートアップ・プラネットウェイの平尾憲映代表のビジョンは壮大だ。情報国家エストニア生まれの個人情報管理技術をコアに、いまのインターネット市場を破壊する新たな情報インフラをつくろうと考えている。現在の事業基盤は同社独自技術を売りにしたシステム開発。東京海上日動などの一流企業をクライアントにし、今年の1月には、総理とエストニアに同行するなど注目を集めている。現在同社はビジョンの実現に向けさらに事業を成功させたいと考え、新たなメンバーにあなたのような逸材を採用したいと考えているらしい。まずは平尾代表が何者なのかを知り、メールを送るべき相手か判断してみたい。(全4回)

NASAの天才は2~3年くらいで入れ替わっていく

── 高校以降アメリカに渡ってからは各地の大学を転々としています。

 3ヵ所の大学に行きましたね。最初がユタ、次がコロラド、最後がカリフォルニア。専攻も3つとっています。宇宙工学と、有機化学と、マーケティングです。

── ユタでは何を?

 語学学校として3ヵ月程度在籍していたんですが、1週間が1ヵ月間に思えるほど長く感じましたね。というのもユタは本当に日本人がいないんですよ。セントジョージという最高気温が44℃くらいになる砂漠の町で、言語も生活も何もかもアメリカ人と一緒。それでもユタを選んだのは語学学校のレベルが全米一高かったからです。留学をあっせんしてくれた恩師が「いきなりカリフォルニアとかニューヨークにいくとあまり日本と変わらない。日本人コミュニティもあるし、18歳の頃に行くべきじゃない。むしろド田舎でなにもない場所に行くべきだ」と言ってくれたこともあって。

── ユタで語学をおぼえてからコロラドへ。

 コロラドの大学では、宇宙工学をやりました。当時は将来的にNASAで働くつもりだったんですよね。コロラドはユタと真逆、マイナス30℃の山の中でした。「キャンパス・オン・ザ・スカイ」と言われ、標高2000メートル以上の場所にキャンパスがあり、シカやクマが出るようなところでした。15頭くらいのシカに囲まれたことや、大雪が積もって学校の扉が開かなくなったこともありました。

── 大学自体はどうでしたか。

 むかしNASAで働いていた物理学の教授がとても面白かったです。「重力の計算式があるが、数式はいい」と生徒全員を集めて、山の裏へ連れていくんです。100メートルくらい下まである斜面を指さして「一人ずつダイブしろ、ダイブして自分の体で地球を感じるんだ」と。アメリカ人はみんな喜んで行くんですよ。最後にぼくと小さい女の子ふたりだけになって、仕方ないと思ってぼくもダイブしたんですが、それがすごく楽しかった。机で勉強するより体でおぼえたことは一生忘れないなということが印象に残りましたね。そのためだけにダイブするのもどうかと思うんですけど……その先生の一言がぼくの考えを変えたんです。

── 先生はなんと言ったんですか。

 「なぜNASAで働いていた方が大学で教えているのですか?」と聞いたとき、先生がこう答えたんですよ。「NASAはたしかにすごいが、2~3年くらいで本当の天才は入れ替わっていく。NASAでの仕事は公務員のようなもの。国の機関であるがゆえ、職員1人1人にできることは限られている。想像とはちがうものなんだよ。だから僕は大学で新しい才能に教える方が性に合っている」と。

── 自分では天才の集団だと思っていたのに。

 衝撃でしたね。いちばん信頼していた先生が言っていることだからなおさらです。そこで自分のキャリアをどうしようか悩み、選んだのが有機化学です。アメリカでは専攻を変えるのも自由なので視点を変えて、それでもやっぱりピンとこなくて。最終的にカリフォルニアに行こうと決意しました。そこでビジネスの世界で宇宙産業などを発展させられる人間になろうかとおぼろげながら思い、一変してビジネスパーソンになっていきました。中でも惹かれたのがマーケティングです。

── なぜマーケティングが面白かったんですか?

 経営学や財経学などに比べて、ゼロイチの学問だったということですかね。アカデミアとしてずっと研究をつづけるのも嫌いではなかったんですが、それだと自分の力が活きないなと感じたこともありました。経済は物理に似てるので面白いなと思いましたが、マーケティングのほうがより実学的で面白かったですね。マーケティングの場合、先生として教えてるのがウォルト・ディズニーやコカ・コーラなどの一流企業で働いている人ばかりで、授業も教授もとても面白かったんです。

── そこからビジネスに興味が出てきたんでしょうか。

 学業のかたわらベンチャーを立ち上げて、就学活動生を企業といかにマッチングさせるかという求人系の事業もやったり、映画の音楽を作っていたこともありました。当時は映画音楽だけじゃなく映画をつくるプロダクションをつくりたいなと思っていたんですけど。こうして振り返ってみると、アメリカで学んだこと、エンジニアリング、マーケティング、そして起業のすべてがいまの事業に生きていると感じます。

(第3回に続く)

(提供:プラネットウェイ)

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