インターネットが普及するはるか前に、インターネットのようなものを作った男がいた。彼の名を橘川幸夫(きつかわゆきお)という。
大学在学時の1972年に渋谷陽一、松村雄策、岩谷宏らと「ロッキング・オン」を創刊。その後、完全投稿制による雑誌「ポンプ」を1978年に創刊というのが彼の主なプロフィール。彼が辞めて以降のロッキング・オンは当たり前の商業音楽誌になったが、ポンプは最初から現在のソーシャルメディアのプロトタイプのようなものとして設計されていた。早過ぎたインターネットだったのだ。
しかし、現在のインターネットはポンプの刊行時に思い描いていたようなバラ色の世界をもたらさなかったし、良くも悪くもソーシャルメディアの雰囲気が世界の行方を左右するような兆候すら見られる。この先、インターネットやメディアはどうなればいいのか。
よし、早過ぎたインターネットを作った人に聞いてみよう!
ということで連載第8回は、ポンプを創刊して実現した紙メディアの可能性、そして限界について。いつものように、聞き手は若者代表20代の編集部西牧くん、そして適当にチャチャを入れる四本という態勢です。
過去の記事はこちら。
1回目 「ロックはミニコミ」早過ぎるインターネット作った橘川幸夫が語る
2回目 深夜放送はイノベーション、橘川幸夫が語る1960年代のラジオ
3回目 「締切は不愉快」 いま明かされるロッキング・オン創刊秘話
4回目 新しい技術を使って儲けるために知っておくべきコツ
5回目 デヴィッド・ボウイからパンクの移行は商業ロックへの反動だった
6回目 まるで2ちゃんねる、すべて投稿で成り立たせた雑誌「ポンプ」
7回目 ネットメディアは良質な投稿とレスポンスじゃないといけない
読者投稿による森永製菓の広告
橘川 参加型というのは、メディアだけじゃないんだ。明治以来の近代というのは、ピラミッド型の上意下達の組織が中心で、国家も社会も動いていた。その先に、上からではなく下からの、一人ひとりの声で国家や社会を動かしていこうという意識が生まれてきた。その最初がロックであり、投稿メディアだったのだ。これからますます社会装置は参加型になっていくだろうと思ったんだ。だから将来的に政治も経済も参加型になってゆく社会を想定して、私はいまも戦い続けているわけです。
四本 また大きく出ましたな。
西牧 ……四本さん、そこはあんまり茶化さないほうが。
橘川 私のモットーというのがありまして、それは時代のホットポイントにいることなんだ。1960年代だと学生運動で、キャンバスでは毎日が事件だからおもしろいわけだよ、これが。1970年代はロックとマンガ。1980年代になるとマーケティングに関わるようになるんだけど。
西牧 それ参加型メディアと、どう関係するんですか?
四本 マーケティングというと、広告代理店の仕事っぽくて、世間ではイメージ良くないよね。
橘川 俺がやっていたのは、読者にアイデアをもらって、それを企業に提案して商品化するというようなこと。マーケティングでも参加型の可能性を追求していたわけだ。あるおもちゃメーカーでは、子どもたちにゲームのアイデアを送ってもらって、メディア作ったり商品企画会議に提案したりしていた。自動車メーカーが若い女性向けの新車を開発するので、若い子の気分を集めてくれと頼まれたりした。ポンプの時代でもそのアプローチで、いろんな実験をやってきたんですよ。たとえばこのページ、森永製菓の広告なんだけど、読者の投稿でできているんだ。
西牧 広告ということは、広告費も出ているわけですよね。
橘川 もちろん。当時の森永の担当に小宮さんというポンプに理解のある人がいてできたんだけど。応募して掲載された人にはお菓子が届くんだ。これで森永のテレビコマーシャルのコピー案を募集したりね。
西牧 へえー。
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