インターネットが普及するはるか前に、インターネットのようなものを作った男がいた。彼の名を橘川幸夫(きつかわゆきお)という。
大学在学時の1972年に渋谷陽一、松村雄策、岩谷宏らと「ロッキング・オン」を創刊。その後、完全投稿制による雑誌「ポンプ」を1978年に創刊というのが彼の主なプロフィール。彼が辞めて以降のロッキング・オンは当たり前の商業音楽誌になったが、ポンプは最初から現在のソーシャルメディアのプロトタイプのようなものとして設計されていた。早過ぎたインターネットだったのだ。
まず、文章にしても写真にしても、100%素人の投稿で成り立っている一般流通誌はほかになかったし、テーマやキーワード、地域で分けられた投稿、それらすべてにレスポンスが付く仕組み、読者主催のオフラインミーティングや、投稿者の中から岡崎京子やデーモン小暮のような有名人を輩出するなど、機能・現象の両面で現在のソーシャルメディアに近い存在だった。違うのは紙に印刷されていたこと。そしてシステムの運用が完全に人力だったことである。
しかし、現在のインターネットはポンプの刊行時に思い描いていたようなバラ色の世界をもたらさなかったし、良くも悪くもソーシャルメディアの雰囲気が世界の行方を左右するような兆候すら見られる。この先、インターネットやメディアはどうなればいいのか。
よし、早過ぎたインターネットを作った人に聞いてみよう!
というわけで連載4回目。無料でブログや動画サイトが使える今では信じられないことだが、自分から情報を発信するには、かつては結構な額のお金がかかった。まったくペイしないどころか、カネばかり出てゆく創刊初期のロッキング・オン。橘川さんはそれをなんとか維持すべく、当時のテキストメディアの根幹に関わる仕事を始めることになったのだった。
1回目からの記事はこちら。
「ロックはミニコミ」早過ぎるインターネット作った橘川幸夫が語る
深夜放送はイノベーション、橘川幸夫が語る1960年代のラジオ
「締切は不愉快」 いま明かされるロッキング・オン創刊秘話
写植屋に修行へ
橘川 雑誌のなににカネがかかるかと言ったら、圧倒的に印刷費なんだよ。原稿料なんか誰にも払ってないんだから。編集部も渋谷の家だし、出ていくカネは印刷費だけ。それが何十万とか何百万とかさ、学生にしたらデカいわけだよ。じゃあわかった、俺はそれを仕事にしようと。当時写植というのがあったんだよ。知ってる?
西牧 はい。
橘川 写真植字ね。知り合いの紹介でね、弟子にしてくださいということで、西日暮里の写植屋へ修行に行ったわけだ。こう、ガチャガチャとタイプで打つ。で、覚えちゃったんだよ。それで写植機を買ったんだ。当時文字盤入れて200万くらいしたよ。すごいだろ。
西牧 そのお金はどこから出てきたんですか。
橘川 そんなもんないから月賦だよ。ここから俺のローン人生がはじまるんだが。東中野に家マンションの一室を借りて、そこで写植屋を始めちゃったんだよ、本業としてね。それでロッキング・オンの全ページはタダで俺が打ったんだけど、写植屋は儲かったんだよ。
西牧 ほほー。
橘川 なんで儲かったかというと、まあ簡単な話だよね。それまで活版が主力だったんだ。鉛の活字を作るじゃない。あれを溶かすと鉛公害の問題がある。それと植字工さんっていう、活字を引っ張ってくる人いるんだけど、熟練の技術がいるわけだよ。ものすごい活字の量があって、そこから素早く字を引っ張ってくるわけだから。5年、10年は小僧で、20年位しないと一人前にならないという世界なんだ。
ところで写植ってさ、要はカメラなんだよ。下から光源を当てると上の印画紙に文字が焼き付く、大型の写真機みたいなものなんだ。だから現像室があれば、マンション一部屋でできるわけだ。活版だと工場がいるけど、写植はマンションで簡単にできる。
西牧 ふーん。
橘川 活字のことをホットタイプと言う。鉛を溶かしてやるから。写植はコールドタイプと言うんだ。で、その時代はホットからコールドへの移行期だったんだけど、写研という写植機のメーカーが「PAVO」っていう新しい機械を出した。俺はその普及版の「PAVO-8」というのを買って仕事を始めたんだ。すると移行期だろ。まだ仕事の値段が決まってないんだよ。
西牧 あ、なるほど!
橘川 まだ業界はないし、発注する側も発注したことがない。だから、パパッと打って、5000円ですと言ったら5000円になるわけだし、3万円ですと言えば3万円でオッケーの世界なんだ。
西牧 言い値で。
橘川 そう、こっち側が主導権持ってるわけだ。しかも写植機が結構でかい鉄のかたまりなんだ。この機械に結構お金かかってるんだと言うと、向こうはわからないから、すごい高いものだと勝手に想像するわけだよ。ホントは200万なんだけど。これはもう圧勝ですよ。
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