「マニタ書房」オーナーでもあるとみさわ氏にインタビュー
馬鹿じゃないのと言われても、楽しい。エアコレクションの魅力を『無限の本棚』著者に聞く
2016年07月31日 17時00分更新
古書店経営とコレクションの関係
――そもそもなぜ古書店を始めたのですか?
とみさわ「マニタ書房を開店する前、2009年に会社を辞めました。ゲームフリークでポケモンのシナリオを書いていましたが今のゲーム作りに自分の限界を感じたんですね。もともとコンピュータが得意ではなかったのですが、シナリオライターもスクリプトを書くようになったんです。イチから教わって毎日やり方を見ながらやっていたんですが混乱して、仕事が楽しくなくなってしまって。僕はしんどくてしんどくて仕方なかったんですが若い人はできちゃう。それできつくなってきて辞めました。カッとなってしまってたんですね、お恥ずかしながら(笑)。
そこからフリーライターに戻ろうとしたんですが、30年キャリアを積んできたゲーム雑誌はみんななくなってしまっていて仕事もなくて。そのあとハローワークに行ったんですが仕事がなかったんです。自分に合っているかもと思って米沢嘉博記念図書館にも応募したんですが落ちてしまいました。そうこうしているうちに女房を病気で亡くして」
――人生としては大変ですよね。カッとなって仕事を辞めてかつての自分のフィールドもなくなってしまって、ひとりで子どもを背負って。
とみさわ「絶望的な気持ちでした。そこで突然そうだ、古本屋やりたかったんだって。老後にやるもんだと思ってたけど、もう俺老後じゃんと(笑)。女房が亡くなって保険が少し入ったのでそれで古本屋を開こうと思いました。蔵書があったのでそれほどお金はかかっていないんですが。そのあと2012年の5月に神保町の物件を決めて10月末に開店することにしました。その間にブックオフなどで本集めをしていました」
――どうして神保町に?
とみさわ「最初は家賃が高いだろうと思って神保町にするつもりはなかったんですが、意外に安かったんです。そのときの景気もあったと思いますね。もともと神保町が好きだったので結果的にここに店を出せて、いますごい幸せです」
――なんでも、たしか家賃は10万円に満たないと。エレベーターのないビルの4階というのはあるけど確かに安い!
とみさわ「実際は、管理費とかいろいろあってもっとかかってるんですよ(笑)」
――最近、神保町といえば“澤口書店”じゃないですか。老舗の厳松堂のところを買ってかしこく看板そのままにしてやっていますが、店舗を増やして神保町をガンガン浸食しているんですけど。
とみさわ「知ってます知ってます。神保町に3店舗ありますね」
――その澤口書店に、うちの奥さんが実家の蔵書の買い取りを依頼したら、社長本人が来て(笑)どんどん梱包していったと。それで、もう1度来てもらったら今度は定年退職した社長のお父さんが取りに来たと。先日、そのお父さんが神保町のお店の前にバンを停めて笑顔で本の束を運びこんでいるのを見かけました。たぶん、澤口書店にとっては、本は、なにか自然の恵み、収穫みたいな感じなんじゃないかなと。とみさわさんも古本屋さんですけど、本に対してはどんな感じですか?
とみさわ「かなり昔から好きだったんです。夢があるんですよね。というのも、子どものころに見た2つの光景が強く影響しているんです。子どものころよく母が働く洋裁店にくっついて遊びに行っていて、そこに社長の息子さんの本棚があったんです。漫画がいっぱい入った本棚で、それに強く憧れたんです。
もうひとつは福島の母方の親戚の子どもの本棚ですね。それも漫画がいっぱい入っていて。自分はたいして裕福ではなく自分の持っている本なんて数えるほどしかなくて、いつか本棚に自分の好きな本がびっしり詰まった状態にしたいと思ったんですね。この刷り込みが今でも本だけでなくモノを集めることへの憧れになっています。だから今古本屋をやっているっていうのは夢に描いた光景を毎日目にしているんですね」
――なるほど、いいですねぇ。「マニタ書房」という店名というのは?
とみさわ「会社を辞めたとき一つ救いだったのが、人喰い映画祭というブログの存在でした。いつか本になるといいなと会社にいる頃から毎日一本人喰い映画を見てレビューをそのブログに上げていました。会社を辞めてなんにもなくなったときに唯一人喰い映画祭というコンテンツだけが財産になったんです。それを本にしようと思って本にして。そのころは精神的に人喰い映画が支えてくれましたね」
――何が人を救うか分からない。
とみさわ「なので店を始めるときにマンイーターで「マニタ」にしようと。マニア的な響きもありますし」
――神保町といえば、有名なウニタ書房とは関係ないんですね。
とみさわ「そのときはウニタ書房のことを知らなかったんですよね。だから関係ないですね」
