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情報の取り扱い説明書 2015年版 第7回

ネットの流儀が現実に逆流し、人やサービスに影響を与えている

ビジネスにもなってる再注目の「ポスト・インターネット」ってなに?

2015年08月11日 10時00分更新

文● 高橋幸治、編集●ASCII.jp

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再び注目を集め始めた「ポスト・インターネット」

 とはいえ、何も当該の学生を嘲笑したり揶揄しているわけではない。今回のテーマである「ポスト・インターネット」について考える際、多かれ少なかれ、私も含めた相当数の人々が彼女とどこか似た感覚になり始めているのではないかということである。

 10年くらい前からテレビがデジタル機器になったことなど誰もが忘れ果てているのと同様、どこからがオンラインでどこまでがオフラインなのかといった意識は、世代を超えて総じて希薄になってきているのではないか?

 そもそもポスト・インターネットという言葉は、主にアートの領域で用いられ始めた概念である。ごくごく簡単に表現すると、ネットとリアルの境界が極めてあいまいになり、人々がほぼ無意識に両方の世界を行き来しているような状況のことを言う。

 2008年にアーティストでもあり批評家/キュレーターでもあるマリサ・オルソンがインタビューの中でこの言葉を使ったことが最初とされているから、そう新しいワードではないのはもとより、時期や文脈、さらには人よって多少解釈の違いは存在する。

 しかし、「美術手帖 6月号」(美術出版社刊)で特集が組まれたり、各所でポスト・インターネットという言葉が再び注目を集め始めたのは、やはり、それなりの理由があってのことだろう。

 私自身、この連載でしばしば「メディアの液状化」に言及したり、既存の「メディア」に定着していた「コンテンツ」が剥がれ落ちてしまった結果、「インターネット的」なものが「インターネット」とは別の場所、とりわけリアルな場に転写されていると述べているのは、まさにこのポスト・インターネット的な感覚と無関係ではない。

手前味噌で恐縮だが、7月18日に第一回を開催した「編集」の可能性を探る勉強会「Editors' Lounge」も、リアルな場をソーシャルメディア化しようという私なりの試みだ。こうした現実の場を起点に「Net」を「Work」させていきたいと思っている。次回開催は9月26日の予定

ネットの感覚が、現実世界に逆流するのがポスト・インターネット

 もともとアートの世界で起きている事態を指し示す用語であったポスト・インターネットが(とはいえ、アートが題材とするのは常に現実世界の問題である)、もはやわれわれの実生活により近い、日常的なメディア環境の中にも散見される時代になってきたのではないかという気がしてならないのである。

 かつてデジタルテクノロジーは世界にとって新しく、また異物であったため、ハードウェアにしろソフトウェアにしろ、現実の物をメタファーとしてしきりに取り入れてきた。「デスクトップ」「ゴミ箱」「電子メール」……などなどである。しかし電子メールはあくまでもメタファーであり、実際の「手紙」とは異なる独自の特質を獲得しながら普及していった。

 このように、インターネットの世界で育まれた独特の感性や感覚、振る舞いが今度は現実世界のほうに逆流し始めているのではないか……。これが私の解釈するポスト・インターネット的な状況である。

(次ページでは、「さまざまある、ポスト・インターネットな事例」)

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