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渡辺由美子の「誰がためにアニメは生まれる」第31回

『翠星のガルガンティア』村田和也監督インタビュー 前編

村田監督と虚淵玄氏が回した“利他的な歯車”

2013年10月12日 12時00分更新

文● 渡辺由美子(@watanabe_yumiko

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「組織」特有の落とし穴に嵌っていた少年兵士レドが、「船団」で新しい生き方を見つけていく――。 (C)オケアノス/「翠星のガルガンティア」製作委員会

『ガルガンティア』は若い社会人に向けた「仕事もの」

―― レドは、ガルガンティアに来たとき、『殲滅すべきヒディアーズがいないこの世界で、自分はどうすればよいのか』と悩んでいました。

村田 レドはそれまで人類銀河同盟が命じるままに戦闘を行なっていただけで、『自分自身はどうしたいのか』ということを考えたことがなかったんですね。だから、ガルガンティアで知り合った少年ベベルに、「人類銀河同盟がヒディアーズを全部倒してしまったら、レドさんどうするの?」と聞かれて、レドは衝撃を受けた。

 じつはレドのいた、人類銀河同盟では、敵の殲滅以外のことは巧妙に“目隠し”されていて、人間の自発的な思考や行動が封じられていたということです。

―― 高度なテクノロジーを持つ人類銀河同盟が、人間を効率的に管理するシステムを作っていたのですね。

村田 そうです。人間をコマとして使うために、戦う以外にやりたいことを想像させる余地を排除しています。人類銀河同盟の最終目的は「人類の存続」なわけですが、その構成員であるレドたちはとにかく目の前にいる敵ヒディアーズを撲滅することだけが生きる目的として刷り込まれています。だから敵を倒してしまったあとはどうしたいかと問われれば、答えを持っていなかった。人類銀河同盟は、人を管理して効率的に動かすシステムを持った、極端な効率偏重の「組織」です。

 それに対して、ガルガンティア船団は組織ではないという位置づけで描いていました。ベベルにも「ガルガンティア船団は組織じゃない」とはっきり言わせています。

 「船団」はどちらかというと町に近いですね。人々が住むため、生活するために集まって自然発生的に生まれた集合体。さらにそこから発展して有機的なつながりを生み出した共同体です。

ヒディアーズとの戦闘以外を知らないレドは、ガルガンティア船団に住む少年ベベルの何気ないひと言に衝撃を受ける (C)オケアノス/「翠星のガルガンティア」製作委員会

―― 「組織」に属するレドが触れた異なる価値観が、人々の集合体である「船団」だったということですね。「組織」と「共同体」との違いは何でしょうか。

村田 「組織」というのは、必ず外部に対しての「目的」を持っているものなんですね。必ず何かの目的を達成するために存在し、そのための機能を備えていると。それに対して共同体は、構成員の生活であったり利益を守るという内的な目的しか持ちません。外部に働きかけるとしても、それは手段であって目的ではない。目的はあくまでも内部にある。

 人類銀河同盟は、当初は人類存続のために宇宙に新天地を求める共同体のはずだったんですが、それがヒディアーズとの戦いが続く中で、敵を殲滅するという目的に特化した軍隊、つまり「組織」に変質してしまったんです。

 そして作中では、その「組織」が陥りがちな“落とし穴”を、強調して描いています。

―― 「組織」が陥りがちな落とし穴、とは?

村田 本来の目的、つまり最終的に得たいものや果たしたいことが何なのかを見失ったまま、組織自体を維持するためだけに活動が行なわれるようになる」ということですね。

 例えばトヨタのカイゼン方式っていうのがありますよね。常に工程やシステムを改善して、どうやったら生産効率を上げられるかをやり続けているんですけれども、なぜそれをやっているかというと、最終的によりお客さんが喜ぶ車を、より多く、より早く届けるためです。その方針が明確だから、トヨタのカイゼンは機能する。

 あれがただ単に、とにかく何でもいいから早くたくさん造りさえすればいいのだとなってしまうと、何に向かってのカイゼンなのか分からなくなってしまう。

「レドは組織の中の兵士として優秀だが、『自分は何がしたいのか、どうなりたいのか』というビジョンを持っていない。それは視聴者層である若い社会人たちにも言えることではないか」(村田監督)

―― ビジネスの現場では、作り手による「カイゼン」の結果、エンドユーザーが求めるものとは異なる製品ができてしまうケースを聞くことがあります。

村田 「何のためにそれをやるのか」が明確でない組織では、働いている人も「自分たちは何のために働いているのか」が不明瞭になります。

 組織の中で使命を与えられて働いている人たちすべてに、その“落とし穴”に陥る可能性がある。特に組織の規模が大きいところではそうなりがちだと僕は思います。

 日本で働く多くの会社員の人たちは、レドと同様に優秀です。与えられた使命に対してのスキルが高い、つまり高い職能を持っている。自分が組織の中で果たすべき役割も理解している。そして、そうでない若い人はそれを目指そうとしている。

 でも、そのことだけに意識が集中しすぎると、「自分の属する組織が社会の中において何を為すべきなのか」「自分自身はどうなっていきたいのか」というビジョンについて、考える機会を失っていきがちです。少なくとも僕自身には、20代の前半に、そういうことを考えられなくなっていく状況に強いジレンマを持った時期がありました。

 自分が何を求めているのかが分からないで、ひたすら目の前に次から次へと現われてくる問題をクリアすることだけが生きる目的になってしまう。若い頃は特に、そんな状態になりがちだと思うんです。

 そこが、僕が『ガルガンティア』を、若い人に向けた「仕事もの」にしたいと思った理由です。自分の目指すべき方向や、自分が為す仕事の意味をまだつかめていない人達に向けてこそ、作品を通じて考えるきっかけを持ってもらう意味があると。

―― レドというのは、そうした若い人たちや、組織で働く日本人の代表のようなものだと。

村田 仕事の種類も色々あるし、それに対する向き不向きというも、様々にあるとは思うのですが、「自分が何のためにそれをしているのか」を考えた方がいいというのは、どんな人でも共通していると思います。

 レドの場合だと、ヒディアーズを殲滅するという組織の大目的に従って生きているけれども、それが達成された後、自分はどう生きていくのかを考えていませんよね。

 だから、物語の軸は「レドが自分自身の考えを獲得していく」ところに設定しました。

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