朝日新聞社によるCNET Japanの事業買収がまとまったとき、交渉の席で笑みを浮かべたのは朝日新聞社なのか、CNET Japanの運営元である米CBS Interactiveなのか、あるいは話を持ち込んだ投資銀行なのか。
朝日新聞社はもともとデジタルに強い会社だ。かつては「アサヒパソコン」や「ぱそ」などのパソコン誌を発行していたし、新聞社としては比較的早い1996年8月にニュースサイト「asahi.com」を開設した。一時期はシリコンバレー(サンノゼ支局)にWeb担当者を送り込み、時差を利用し、24時間体制でサイトを更新するほど力が入っていた。
しかし、asahi.comには日経BP社やITmediaほど深いIT記事がない。毎日.jpのように巨大ポータルの集客力を味方に付けているわけでもない。「ITに強い」CNET Japanの買収がうまくいけば、ニューヨーク・タイムズがabout.comを買収してWeb事業を強化したように、IT系の広告を獲得できるITに強い広告営業が手に入る。CNET Japanにホワイトペーパーなどを掲載してもらえる有料サービス「企業情報センター」の記事をasahi.comにも掲載すれば、掲載料を値上げできるかもしれない。asahi.comとCNET Japanが連携することの潜在的価値は大きく、朝日新聞社の大西弘美デジタルメディア本部長は満面の笑みを浮かべながら覚書きに署名したかもしれない。
一方、CNET Japanはシリコンバレーの香り漂うWebメディアだ。日本オリジナルの記事と翻訳記事が混ざり、選りすぐりのブロガーによるエントリーが、1つの文化圏を作り出している。パソコンやケータイなど、国内IT企業の話題から、Firefoxのようなオープンソースの動向記事や「山根康宏の中国トンデモケータイ図鑑」など、特定の広告主とは結びつかない良質な記事がそろっている。また、サイジニアの情報推薦エンジン「デクワス(deqwas)」を使った関連記事表示など、目立たないところで先端技術を積極的に採用するメディアであり、同業として尊敬できる。
しかし、昨年のリーマン・ショック以降、CNET Japanの様子がどうもおかしい、とWebメディア業界でささやかれていた。○○さんが退社したらしい、○○社の契約が終了し、広告売り上げが厳しいらしい――そんな噂話を耳にしたことが何度もあった。朝日新聞社はIT系の広告営業力を期待しているのかもしれないが、費用対効果が明確に数値化されるのがWebメディアの特徴だ。億単位の月間PVがないCNET Japanは将来を描きにくかっただろうが、(「紙」の将来性が不安視されるとはいえ)朝日新聞社は日本有数のメディアグループである。シーネットネットワークスジャパンの神野恵美社長は安堵の笑みを浮かべながら覚書きに署名していたかもしれない。
そもそも新聞は若者が読者にならず販売収入が落ち込んでいるし、広告の紙離れも深刻で、広告収入も落ち込んでいる。しかも、最近流行の行動ターゲティング広告は閲覧中のコンテンツとは関係なく、ユーザーの閲覧履歴で広告を表示するので、大新聞社の老練なコラムニストの記事と、大学生が寝る前に書いた雑文の広告的価値が等しくなってしまう。行動ターゲティング広告により、Web専業メディアは存在意義すら脅かされているのだ。朝日新聞社とCNET Japanの共通点は、明るい将来を明確には描けなかったことなのかもしれない。
では、朝日新聞社とCNET Japanを仲介したのは誰なのだろうか。米CBS Interactiveの代理人が朝日新聞社の米国法人に接触したとも思えるし、国内で投資銀行が仲介したとも思える。公式発表がないのでなんともいえないが、大きな手数料が入って、一番にんまりしたのは仲介者かもしれない。
朝日新聞社の目黒昌氏は、研究論文誌『朝日総研リポート』(2006年4月)で米新聞社のビジネスモデルを評価し、ニューヨーク・タイムズのインターネット事業についてこう結んでいる。
「about.com 買収に451億円もの金を使って、合計の売り上げ増が2%にしかならないという事実は、インターネット・ビジネスのむずかしさを物語ってもいるだろう。これらのサイトを連携させながらどのように新聞全体の売り上げ増を図っていくのか、今後のニューヨーク・タイムズ社の方策が注目される。」