カメラ事業の売却によって、コニカミノルタの技術者がソニーに合流したとき、絵作りに関する議論も綿密に行なわれた。両者の間で多く意見交換したのが“青の表現”だったと中山氏は回想する。
デジタルカメラには、フィルムには出せない色があると中山氏は話す。
高画素化によって、撮像素子がフィルムに近づく
エントリークラスの一眼レフカメラでも1000万画素機が主流になっていくなか、筆者が懸念しているのが撮像素子にレンズの性能が付いていかなくなるのではないかという点だ。高画素な撮像素子の性能を生かすためには、付属の標準レンズではすべて不十分に感じる面もあり、それ相応のレンズが必要になる。しかし、それには高価なレンズが必要になる。これは正しいあり方なのか疑問に思うのだ。
α100と同時発表されたレンズ群。コニカミノルタから引き継いだGレンズに加え、カールツァイスレンズも加わっている |
デジタル一眼レフカメラの撮像素子は、今後も向上し続けていくものと考えられる。もちろんカメラメーカーとしては「せっかくの一眼レフだからレンズにもこだわってほしい」という気持ちも持っている。
現状では、どんなに高性能なレンズであっても、100メガピクセルの撮像素子とか、そういう桁が違う話には、まず対応できないと思います。しかし、解像力という点では足りないのですが、これによってフィルムとレンズのような関係が鮮明になってくると思います。つまり、フィルムの側には十分な解像度があるんだけれどもレンズのほうがそれに追いついていない状況になる。そうなることで、初めて撮像素子がフィルムに近づくのです。
高級なものは素材として提供したい
中山氏は、サイズダウンやコストダウンのために、ソフトウェアの技術を使って、レンズの表現の限界を補うというアプローチを否定はしなかったが、現状では積極的に行なうことは考えていないと話した。「高級なものはなるべく素材として提供したい」という意識なのだという。
もうひとつ、ノイズリダクションに対する考え方に関しても聞いてみた。デジタルカメラでは、なぜかピクセル等倍で画質を評価する文化が根付いてしまっている。しかし、実際に写真を鑑賞するのは画面であればせいぜい200万画素クラスまで。プリントするにしても、極小のドットをわざわざルーペで確認するといった作業はしない。1000万画素のデータを等倍で評価する必要があるのかは疑問だ。一方で、暗部のざらつきなどに敏感に反応するユーザーの声を意識して、高解像度本来の奥行き感が感じられないほど、強めにノイズリダクションを掛けてしまっている製品もある。
高感度のノイズに関しては、ソニー/コニカミノルタそれぞれの出身の技術者の間でも、あまり大きな議論はなかったですね。可能な範囲で抑えたいという意向はありましたが、全体的な絵の美しさよりも優先したいとは考えなかった。むしろ実用的なトーンで、絵が汚くならないかどうかという部分を重視したかった。青の議論のように白熱したものにはならなかったです。