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「2001年に1万ニューロン、1億シナプスのネットワークでカオス研究」--東京大学 合原一幸教授

1999年03月11日 00時00分更新

文● 文:大木美穂、聞き手/構成:報道局 中野潔

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一部の初期状態がほんのわずかに異なっただけで、それが将来、全体に影響を及ぼす。そのために、長期間の予測が非常に困難になる--。こうした現象の代表とされるのが、気象現象である。先進国の多くは、天気を予報するために、世界最大級のスーパーコンピューターを投入している。それでも、ちょうど100日後の予報を出せといわれるとできない。3日後の予報なら、かなりの確度で可能なのにもかかわらず--である。

これをバタフライ効果と呼ぶ。韃靼(だったん)海峡の向こう岸で、蝶々が、羽を一振りした。それが、何ヵ月も経って、海峡のこちら岸の台風に成長するかもしれない--というのである。

こうした効果を内在する現象が、カオス現象である。カオスに関する工学的研究では、日本の、そして世界の第一人者の1人である東京大学、合原一幸教授のインタビューをお届けする。

さて、このカオスという言葉が世の注目を集めているのである。どれほどの注目度かというと・・・。下記の注を参照いただきたい。

どれほどの注目度かというと、弊社刊『週刊アスキー』に『カオスだもんね』という人気マンガが連載されているほどなどである。どれほどの人気マンガかというと、'99年3月21日14:00から16:00に、東京・秋葉原の“ラオックス ザ・コンピュータ館”で作者がサイン会を開くほどなのである。なお、まったく同じ時間帯に東京・秋葉原の“T-ZONEミナミ”では、スタパ齋藤氏のサイン会を開く。

このカオスという言葉が、一般紙にも登場するようになって数年経つ。はやり始めた言葉は、いろいろな立場の人がいろいろな思惑で使うので、定義がばらつく。カオスの定義もご多分にもれず、混沌としている。ただ、『月刊アスキー』に十数回に渡って連載された『哲学者クロサキと工学者アイハラの 神はカオスに宿りたもう』では、第1回で次のように明確に述べている。「あるシステム(系)が確固たる現象に従って変化しているにもかかわらず、非常に複雑かつ不安定な振る舞いをして、遠い将来における状態をまったく予測できない現象」--。

なお、この連載を中心に書籍をまとめるべく、『月刊アスキー』編集部が奮戦中である。

カオスの予測の困難さを、符号の暗号化に使おうという動きも出てきた。カオス研究の最近の動向について、合原教授にお聞きする。


破られやすかったカオス暗号の弱さを克服

--カオス暗号というキーワードが、産業新聞の類にも出てくるようになりました。カオス暗号とはどういうものですか。先生の研究室でも、扱っているのでしょうか。

「カオスを使って新しい暗号が提案できないかという話です。今までの暗号とは、発想がかなり違います。カオスは複雑なふるまいを生み出す--。それを使うと形態の複雑な暗号が作れます」

「これまでのカオス暗号には、簡単に破れるものが多かったのです。カオスのふるまいには、(予測しにくさ、見破りにくさを)ある方向に拡大して、ある方向に縮めるという性質があります。暗号化は、符号化ですから、複号化(もとの姿に戻すこと)をしなければ理解できません。暗号の場合は、複号化すなわち解読ですね。この複号化をするために、(予測しにくさを)縮める性質を使う。ところが、縮める性質は暗号を見破りやすくします」

「当研究室の大学院生の内田君がそこをクリアする新しい方式を提案しました。拡大の方向を使い、うまく複号化できる方式で、有限状態パイコネ変換と彼は呼んでいます。パイコネ変換はよくあるカオスの変換です。有限状態に落とすときに工夫して日本語に適した暗号方式を最近作りました」

「カオス暗号は、独自の手法で発達しています。ただ、既存の方式と比べた善し悪しの議論が今後必要です」

パイをこねるとき、小麦粉を練ったかたまりを、平たく伸ばし、半分に折り、元の大きさまで平たく伸ばし、半分に折る--という工程を繰り返す。2つの小麦粉粒子の最初にあった場所が非常に近く、また、100回パイコネした後の片方の位置がわかったとしても、もう片方の粒子の位置を推定することは非常に難しい。

カオスを制御しようという学派も

--カオスの研究では、東大が世界をリードしているといえるのでしょうか。

「総体でどうであるか、断言できませんが、工学のカオスについては、そうだと思います。たぶん我々は非常に高いレベルだと」

--世界ではどんなことが研究されていますか。

「例えば、もうやめましたが、ジョージア工科大学ではバーンズレーという人が、フラクタルを画像に使う研究をしていました。それ以降も、カオス制御やカオス通信などを研究しています。ジョージア大学や海軍の研究所の人たちが非常に活発です」

「ディッドという人もカオスを使ったコンピューターの研究をしていますが、我々の研究の方が、多分10年はリードしています」

--カオスコンピューターとニューロ(脳神経路)コンピューターとは同類と思ってよいのでしょうか。

「ニューロンとは無関係です。カオスコンピューターは数値計算だけです。カオスコンピューター派は、カオスの制御などに、すごく熱心です。カオスの制御には理論があり、その実現性を示すのに機械システムや電気回路、レーザーなどを作るのです。カオスの制御とは、カオス状態からおとなしい周期状態にすることです」

不整脈を規則正しくするのは安全? 危険?

--わかりやすいものを、わざとわかりにくくする、例えば暗号化でカオス理論を導入するというのは、理解しやすいのです。予測しにくいことを手なづけるのにも、カオスの概念が使えるのですね。

「カオスを起こしているものに、制御を加えて、カオスでない状態にするのです。アメリカのグループは、大胆な応用を試みをしています。例えば心臓の不整脈を制御して規則的な鼓動に直すといった研究です。アメリカでは心臓病が多いので、装置も作っているようです」

--生体では、信号自体が微弱で、また、カオスのふるまいを示す式を作るのが難しそうな気がします。二進数が基本のデジタルコンピューターで、うまくいくものでしょうか」

「デジタルコンピューターの離散的アルゴリズムでも、理論的には可能です。ただ、カオスを使うのではなく殺すので、我々としてはネガティブな応用だと思ってます」

--でも世間受けはしますよね。心臓の不整脈を制御するんですから。

「他方で、健康な人には、脈に揺らぎがあるのに、心筋梗塞の直前には規則的になるというデータもあります。揺らぎが健康状態の一つのバロメーターという話しがあるわけです。だから、どっちがいいか実はわからない」

飛鳥乱舞をてなづける?

--心拍などでは、あまりに周期がきっちりしていると、かえって危ないと考えもあるのですね。

「ええ。いずれにしてもカオスの制御は、カオスを殺します。我々はカオスを使いこなしたほうがいいと思っており、ハーネスという言葉を使います。組み合わせ最適化問題に使うのは、ハーネスです。ハーネスのイメージは荒馬を乗りこなす感じ。コントロール(制御)とはちょっと違います」

「組み合わせ最適化問題もカオスを殺すとうまくできない。カオス状態をハーネスすることで問題を解くんです」

--小さな島に、草とウサギだけが存在すると、カオス状態になるといわれていますね。ウサギが増えて、草を食い尽くすと、激減します。その激減がいつになるかが、読めないというわけですね。ウサギや草の増え方、ウサギの数と食べる草の量との関係は、簡単な式なのに、総合すると予測困難。簡単なルールでもっともらしい動きという話から、CGで、鳥の群れの動きを再現する技術について思い出しました。隣の鳥がどう動くと自分がどう動くという簡単なルールを決めると、多数の鳥が、いかにも実写の鳥の群れのように動くというのですが。

「シミュレーションで鳥の群が出たとします。最初は感動しますが、何本も見せられるとテレビゲームと変わらないと感じるのです。それは、そのメカニズムに関する基礎理論がないからだと思います。シミュレーションで面白い現象を作り出す。コンピューターゲームだって面白い現象を作る。子供が遊びでも、鳥の群れのまねごとが作れる。そこから学ぶことは多いが、学問にはならないのです。理論化、数学化を施すというプロセスがないと、学問の核ができないというのが我々の立場です」

「1次元写像や2次元など低次元のカオスを、我々はかなり深く理解するようになりました。それをベースに高次元のカオスにいくことが、理論的なしっかりした道筋の1つです。高次元のカオスを僕は複雑系と呼んでいます。複雑系との関連では、高次元のカオス、カオス系の理論をどう作るか--が、今重要な研究課題になっています」

カオス的な組織からなる脳のモデル

--複雑系については最後にもう1度お聞きするとして、生物周辺の話をもう少し。先生の研究は、イカの神経が発するパルスから出発したとお聞きしています。ニューロン(脳の神経路)、脳科学とカオス研究との関係は、どうなっているのでしょう。

「その分野が今、非常に進んでいます。科学技術振興事業団に戦略研究というのがあり、その1つに脳を作る分野があります。そのテーマに選ばれた“脳の動的時空間計算モデルの構築とその実装”という研究を進めています。このプロジェクトでは、まずカオス的な組織からなる脳の理論モデルをつくり、同時にアナログの集積回路を作ります」

--脳のモデルというと、私のような素人は、つい、構築理論は理解できないが、問題をやらせてみて、賢いかどうか見てみたいと思ってしまいます。本当にうまくいっているか、手書き文字を認識させたりして判断するのですか。

「デモは要ります。でも必ずしも完成したマシンを作る必要はないと思います。それより基本的なアイデアがたくさん出てくるほうが重要です。他方で、何か解いて見せないと人は納得しない。カオスの計算の有効性が理論的によく分かっている分野として、組み合わせ最適化問題があります。そのうち、デモでよく使うのが巡回セールスマン問題です。セールスマンがN個の都市を全部回って戻るときの最短距離を算出します。そういうのを解くアーキテクチャーを作っています」

2001年に1万ニューロン、1億シナプスのネットワーク

--私のように、解けた、アウトプットが出た、だから賢そうだ--という判断基準にこだわること自体、従来の応用型研究の姿にとらわれすぎということなのでしょうか。

「巡回セールスマン問題、組み合わせ最適化問題は、脳の特徴を象徴しています。この手の問題はNP困難問題といい、P≠NPという問題で、計算科学の最重要な研究課題です。巡回セールスマン問題でいうと、全部の組み合わせをシラミつぶしにやっては計算時間がばからしい」

P≠NPとは、考慮すべきアイテムが増えていったとき、解く時間がアイテム数に比例せず、急激に増える問題をいう。トラックの荷台に、さまざまな大きさの箱を最も効率よく積む問題を考える。箱が10個ならコンピューターでシラミつぶし型で解ける。100個になると、シラミつぶしの計算時間は10個の10倍ではなく、天文学的数値に膨らむ。人間の脳は、シラミつぶし型の解き方をしないし、できもしない。

「脳はそんなことをしない。与えられた短時間の中でまあまあの解を出す力は非常に優れています。組み合わせ最適化問題は脳のアナロジー、脳の仕組みを考える上で非常に重要なステップです」

「タイムテーブルができています。取りあえず2001年に1万個のカオスニューロン(脳の神経路)で1億シナプス(神経路の結節点)という規模のネットワークをつくる予定です」

カオスの本質はアナログ

--デジタルで実現するのでしょうか、それともアナログでしょうか。

「アナログです。新しい計算システムを作るとき、過去の遺産が使えないと、それまでのアイデアがすべて無になってしまいます。だから、デジタルコンピューターを特別な場合として含めます。つまり、アナログでカオスを出すけれども、パラメーターを設定するとデジタル回路になる。失敗してもデジタルコンピュータにはなれるというやり方です」

東京大学の合原一幸教授
東京大学の合原一幸教授


「アナログとデジタルとは、カオスの非常に深い部分にかかわる問題なのです。カオスをデジタルで作るか否かを論議していると、実数の複雑さが計算できるかという点に突き当たる。自然数も実数も、無限に存在するのですが、同じ無限でも実数の方がはるかに多いのです」

「有限のアルゴリズムをすべて集めると、その集合は加算無限集合というものになります。自然数と1対1で対応がつくぐらいたくさんあるから無限です。一方で、実数の集合全体は非加算無限集合といって自然数と1対1の対応がつかないくらい多い。全プログラムを集めてもそれは加算個で、当然デジタルコンピュータでは、すべての実数は計算できない」

「連続値の論理を管理する」

「カオスは、実数の連続という上にたって、わずかな違いが、後で非常に大きな差になるという理論です。実数が計算できないと、厳密なカオスになりません」

「厳密なカオスが計算できなければ、次は近似計算です。デジタルコンピューターは、基本的に有限の近似計算をします。常に近似だけみてそれを繰り返す。解が出たとき、それが本当にカオスの近似なのかという問題があります。ほとんどのカオスで、これが証明できない。この2つの問題があるのでデジタルコンピュータで本当のカオスは計算できないんです」

「我々がアナログを使うのは、アナログで作った回路は自分自身のふるまいとしてカオスを生み出していて、そのものがカオスのシステムだからです」

--アナログコンピューターでは、ノイズの問題が避けられません。

「普通のデジタルコンピューターと同じです。問題はカオスを出すモードで使っているときで、そのときもノイズがあります。ですから、厳密なカオスはデジタル回路でもアナログ回路でもできないのです」

「カオスで組み合わせ最適化問題を解くというのが1つですが、もう1つ、ロジックとして従来の01のロジックを使うわけです。カオスですからアナログ的に変動します。その連続値のロジックみたいなものに素子自体が入ります。そういうカオス論理とでもいう連続値の論理みたいなものを管理することもこのプロジェクトの目的の1つです」

還元主義の時代は終わっていない

--出版社などが大げさに“複雑系は近代の終焉を意味する”とか“還元主義の終焉で1つの時代が終わる”としていますが、これをどうお考えですか。

「還元主義は、終焉していません。そこは誤解されているところです。科学技術の基本的理論体系に、線形理論という美しい体系があります。もう1つが、要素還元論。要素還元論と線形理論は相性が良く、線形理論の解は、それを重ね合わせたものも解になります。要素に還元してそれを重ね合わせても解になって、重ね合わせが成り立つ。要素還元論も、要素に分解して要素の性質が分かれば、それを機械論的に組み合わせればいいのです」

「ところが複雑系は非線形ですから、線形の重ね合わせは成立しない。そのことと、要素還元論の終焉というのは本来別のはずです。要素が分からなくて全体が分かるわけがないんです。要素の性質を明らかにして組み合わせ、交接して動かすことで全体を理解する、要素還元論プラス構成論というのが非線形に関するアプローチです」

「要素還元論が終焉したから要素のことは無視して、適当なモデルをコンピュータでシミュレーションすれば分かるという風潮が学問の世界にもありますが、それは大間違いです」

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