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「Scroll(巻き物)の森のStroll(逍遥)」--シンポジウム“ディジタル・テクノロジーと美術館の未来”

1998年12月09日 00時00分更新

文● 報道局 中野潔

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12月3日に、東京・両国の江戸東京博物館で、“諸文明の饗宴 ディジタル・テクノロジーと美術館の未来”と題する国際シンポジウムが開催された。主催は“ディジタル・アレキサンドリア国際シンポジウム実行委員会”。本稿では、第3部と第4部の模様をお届けする。第3部は、グーテンベルク聖書の超高精細スキャンに携わる慶應大学教授2名の講演。第4部は、日英米蘭の4ヵ国においてミュージアムのデジタル化にそれぞれ携わる関係者4名と、日本の文化庁の室長合計5名によるパネルディスカッションである。

4日間で1300ページの超高精細スキャン

第3部ではまず、慶応大学の高宮利行教授が登壇した。高宮教授は、“HUMIプロジェクトと超高精細画像による古文書研究の実践”と題して講演した。超高精細とは数千画素×数千画素のオーダーのフルカラースキャンを意味する。HUMI(HUmanities Media Interface)プロジェクトは、慶応大学において学部をまたがったプロジェクトとして組織されたもの。稀覯(きこう)書のデジタルライブラリーに関する活動を、第1ステップとしている。

慶応大学文学部の高宮利行教授慶応大学文学部の高宮利行教授



高宮教授の研究班は、後で登場する慶応大学の小野定康客員教授とともに、英国のケンブリッジ大学を訪れた。ここで、4日間に渡り、グーテンベルクの42行聖書など、1300ページの稀覯書を超高精細でスキャンしている。

スキャンする際には、バキュームと呼ぶ、スキャン対象のページを気圧差で引き付けて平坦にする仕掛けを用いる。42行聖書のページは波打っているが、バキュームにより、ページが平らになり、より精度の高いスキャンが可能になる。

実は、慶応大学でも、グーテンベルクの42行聖書を保有している。これも超高精細でスキャンしてあるため、デジタルならではの処理が可能になる。デジタルならではのメリットの第1は、デジタルアーカイブである。物理的存在としては、徐々に劣化していくしかない稀覯書を、デジタルデータとして保存する。一度デジタルデータにすれば、そのデータは半永久的に残る。

デジタル化の第2の利点は、デジタル技術を用いた比較検討である。高宮教授はこの講演の中で、慶応とケンブリッジの2つの42行聖書の同じページを重ね合わせた画像を示した。同じ42行聖書といっても、部分的に修正が施してある場合がある。そのわずかな差に関する研究を進めている研究者もいる。そうした研究者にとっては、デジタル技術による比較処理は、朗報となる。

印刷品質に到達すればネットワーク画像の利用は広がる

第3部の後半の講師は、NTT光ネットワークシステム研究所の特別研究室長で、慶応大学客員教授の小野定康氏。同氏は、“文化遺産の保護と教育利用におけるディジタル画像の可能性”というテーマで講演した。

NTT光ネットワークシステム研究所の特別研究室長で慶応大学客員教授の小野定康氏NTT光ネットワークシステム研究所の特別研究室長で慶応大学客員教授の小野定康氏



小野氏は、まず、デジタル画像の品質について触れた。文書をスキャンして通信ネットワークに載せてしまえという考えと、それでは品質が足りないから現物を見なくてはという考えが、こうした論議の当初から存在する。オンデマンド、リアルタイムで、高精細の画像が読み出せれば、読み、眺め、画像に集中するという目的は果たせるという。その品質の基準として、現在の印刷で主流となっているオフセット印刷の品質をあげる。このレベルで、スキャンすることが重要という。アナログでは、A4判の文書を、60mmのブローニーフィルムと呼ばれるフィルムでとったレベルが、それに相当すると考えている。

これが、ユビキタス(どこにでもある、どこからでもアクセスできる)なサービスとして提供できると、利用者にとって大変便利なものとなる。1度デジタル化してしまえば、いろいろな目的に使える精細度に達しているため、ワンソースマルチユースの利用が可能になる。

小野氏は、こうした高精細画像データの利用分野として、教育、研究、娯楽などをあげた。研究には、画像の修復やその結果の収集も含まれる。娯楽という言葉にはいろいろな捉え方があるが、小野氏は大英博物館を高級な娯楽と考える人もいると、広い見地での解釈を示した。

数百の英ミュージアムがデジタル化しネットワーク化

続いて、パネルディスカッションが催された。司会は、美術館の運営や管理について研究している岩渕潤子氏である。最後の討議の部分は、省略し、各氏のショートプレゼンテーションの部分を中心に紹介する。なお、英語の“museum”は、博物館と美術館の両方を包含する用語である。このため、文中にミュージアムとそのまま記すことがある。

岩渕潤子氏岩渕潤子氏



英サイエンスミュージアムのアリス・グラント氏は、ミュージアムのデジタル化の連携体制について述べた。'97年の時点で、英国の400のミュージアムの収蔵品1150万点がデジタル化されている。国立ミュージアムのドキュメントの標準形式として、SPECTRUMを制定し、情報整理やカタログやコレクションの管理に役立てている。

200以上のミュージアムがウェブページを開いている。これらが広範囲にコラボレーションして、プロジェクトを立ち上げている。これにより、ミュージアムのコミュニティー全体で、説明スキルが個人依存に終わらず、どこの館の人も同様の説明ができるようになった。

英サイエンスミュージアムのアリス・グラント氏英サイエンスミュージアムのアリス・グラント氏



図書館のネットワーク化も進んでいる。教育のためのアクセスとして、政府のリードのもとに進んでいる。生涯学習を進める社会をつなぐのが、“New Library People's Network”であるという認識が共有されている。高等教育を包括するネットワークとして、データへのナビゲーションとゲートウェーの役を果たす。このための人材、すなわち、ライブラリアンと教師を教育する体制も整備されている。

20年弱でミュージアムが倍増

蘭インスティテュートフォーアートヒストリーのヤン・ファン・デル・シュタール氏は、オランダのミュージアムの動向や運営について紹介した。まず、'80年に485館だった同国のミュージアムは、'90年に697、'97年に944と、20年弱で倍増している。'97年末で176のミュージアムがウェブサイトを設けている。ミュージアムをコレクション内容で分類すると、考古学、歴史が52パーセント、産業、技術が28パーセント、自然、博物が5パーセント、ビジュアルアートが11パーセントとなる。

蘭インスティテュートフォーアートヒストリーのヤン・ファン・デル・シュタール氏蘭インスティテュートフォーアートヒストリーのヤン・ファン・デル・シュタール氏



資金であるが、中央政府5パーセント、県12パーセント、公共団体1パーセント、財団66パーセント、企業1パーセント、個人私設12パーセントとなっている。従業員のうち、42パーセントが給与所得者、11パーセントが他の形で金銭を得、47パーセントがボランティアとなっている。中央政府の資金が少ないことでわかるように、教育科学文化省は、プロジェクト基金の骨格は作るが、その後は距離を保つようにしている。

内務省では、文化を含め、政府情報へのアクセスの整備という観点で、ミュージアムのデジタル化を見ている。美術、アーカイブをインターネットで無料で見られるようにしようとしている。公共図書館をゲートウェーにする考えである。

中央政府は、各県のやり方を尊重している。ユトレヒト県では、収蔵品のリストをデジタル化するMUSIPというプロジェクトが進んでいる。他の県にも、この方式を当てはめていく予定である。ここでは、'99年をめどにいくつかのプロジェクトが動いている。“Center of Expertees”では集められる情報を集める、“Website Reference Room Culture”では、各館のWebサイトの内容をすべてリストにし、編集係がそれを整理する。

シュタール氏の務めるRKDネザランズインスティテュートフォーアートヒストリーでは、収蔵品の登録を'90年に始めた。収蔵品の姿をデジタル化する作業が'95年6月から始まった。ギャラリーシステムとキオスクが'95年5月から、それをウェブサイトにし始めたのも同年である。

2メガ件、2テラバイトの民族学マルチメディアデータ


国立民族学博物館副館長の杉田繁治教授は、民博の仕組みと考え方について説明した。マルチメディアという言葉が人口に膾炙(かいしゃ)する前から、マルチメディア処理を実現してきた。

国立民族学博物館副館長の杉田繁治教授国立民族学博物館副館長の杉田繁治教授



たとえば、民博には、レーザーディスクを用いたビデオオンデマンドのシステムがある。動画の内容は、民族芸能などである。ビデオ鑑賞席に座って指示すれば、ジュークボックスに収納された1600枚のレーザーディスクから要望したディスクがピックアップされる。当初はビデオテープを用いていたが、ディスク化した。

スライド11万枚もデジタル化している。1画素がRGB8ビットずつで、1100画素×1500画素で読み取る。実物の標本21万点のうち、15万点分を、1枚当たり1000画素×1000画素でデジタル撮影している。上、横、前、鳥瞰など4方向から撮る。3次元の自動計測装置もある。これらを合算すると、データ件数で224万件、データ容量で2テラバイトに及ぶ。

博物館をデジタル化するのは、まず、空間的制約の解消のためである。実物の展示では、展示点数が限られてしまうからである。次に、詳しい情報を実物のそばに置きたいが、物理的条件でそれが難しいことがある。これをデジタルの力で補う。たとえば、'99年5月には、解説用のパームトップ様の電子ガイドといったものを導入しようかと検討している。それぞれの部屋、それぞれの収蔵品の前で、そこに関係深い情報が端末機に表示される。

博物館のデジタル化には、遠くの収蔵品と比較するという目的もある。民博では、大英博物館、米コーネル大学、日本IBM東京基礎研究所の4者と組んでいる。それぞれが個別のミュージアムを持ち、横断的にそれにアクセスするという分散型ミュージアムの仕組みを目指して活動している。

パブリックドメインのフェアユースで広がる教育利用

米ゲティーインフォメーションインスティテュートのジェーン・スレッジ氏は、教育との関係に重点を置いて講演した。米国では、ミュージアムと主に公立学校との連携が多い。たとえば、バージニア大学には、自然科学、なかでも神経科学を中心にして、広い範囲の資料の集積があるが、それをデジタル化して各地の教師が使えるようにする。

米ゲティーインフォメーションインスティテュートのジェーン・スレッジ氏米ゲティーインフォメーションインスティテュートのジェーン・スレッジ氏



“National Environment for Humanity”を核にして、学校、後援会、財団などが組んで教育資料を整備している。それがデジタル化され、ウェブになり、無償で公開されている。米国でこうした蓄積作業と無償の公開が進んでいるのは、政府の資金で製作、デジタル化されたものは、パブリックドメイン(誰もが使えるもの)になること、そして教育のようにフェアユース(公正な使用)とみなされる使い方ならば、対価を払うことなく自由に複製、使用できること--の2点が大きい。

文化情報システムの構築と新時代の著作権

文化庁の文化政策室長の垣内恵美子氏は、“情報化社会において美術館に期待される役割と課題”といった視点で述べた。要旨は次のとおりである。

文化庁の文化政策室長の垣内恵美子氏文化庁の文化政策室長の垣内恵美子氏



まず、国内では、美術館、博物館、水族館、動物園などが、文化振興のために存在すると博物館法で定められている。一方で、国内外を通事社会全体が情報化していること、地理的、物理的格差なく情報にアクセスできるようにすべきであること--の2点から、コンテンツのデジタル化、ネットワーク化といった動きがほぼ必然になっている。

'95年にG7で、高度情報化社会に向かって各国が各種の整備を実施し、さらにグローバルに手を組んで対応すべきといった方針が決まった。閣議で、高度情報化社会の推進が基本方針として固まり、今年の11月、この基本方針が改訂、教科された。電子商取引の拡大、ネットワークインフラの整備、プライバシー対策の強化などがキーポイントである。

この中で、社会のあるべき姿として、知的で多様なライフスタイルの確立がうたわれている。そのために、地域文化を身近なものとすることと、一方、国内外にそれを発信することの必要性が確認された。今年の3月に文化振興マスタープランとして策定された。

左から、スレッジ氏、杉田氏、垣内氏
左から、スレッジ氏、杉田氏、垣内氏



資源の少ない日本では、文化立国を図るしかない。デジタル技術が発達すると、芸術に新しい刺激を与える。情報化を、教育文化や生活文化との相互関係の中で捉える必要がある。国としては、文化情報に関する総合的なシステムの構築の重要性を感じている。美術館、伝統芸能といった各種の内容について、文化財情報システムを整備しなければならない。また、情報化の進展や国際的動向に対応した著作権施策を展開すべきである。

日本以外は走りながら考えている

司会を務めた岩渕潤子氏は最後に次のように述べた。「逍遥学派と呼ばれた一派があった。デジタルムセイオンは、美の資産の森の逍遥である。美術、公共、時間、情報といった人間の根元の課題をどうしていくかが問われている」

左からグラント氏、シュタール氏、スレッジ氏
左からグラント氏、シュタール氏、スレッジ氏



「しかし、この日の海外からの出席者がそうであったように、誰も立ち止まっていない。走りながらコラボレーションし、走りながら考えて、アチーブメントを積み上げている。皆が、決して立ち止まらないサイバー逍遥学派となって、次の時代を切り開いていくしかない」と締めくくった。

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