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【INTERVIEW】【ビジョンプラス7 vol.3】情報デザイン国際会議を終えて――実行委員長の1人、須永剛司氏に訊く

1999年10月19日 00時00分更新

文● 文・聞き手/野々下裕子

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先日、多摩美術大学上野毛キャンパスで情報デザイン国際会議“ビジョンプラス7”が開催された。終了直後、イベントの実行委員長の1人である須永剛司教授に、会議の感想を語ってもらった。

すべてのデザインに関わる人たちが手作りで。ボトムダウン型の国際会議

――まずは3日間の会期を無事終了されての感想はいかがですか?

「正直言って、すごいものにしてやるとは思っていましたが、これほどすごい結果になるとは予想していませんでした。“ビジョンプラス7”を日本で開催することが決まって、準備そのものは1年前から進めていたのですが、まず決めていたのがボトムアップ型の会議にしようということでした。つまりトップダウンではなく、現場からの声をそのまま反映した会議にしようと」

「ですから、資金も人も1から集めねばなりませんでしたし、会場のセッティングなどもかなり大変でした。スタッフもほとんどが学生ボランティアで、彼らにはほんとに活躍してもらいましたね。もう1人の実行委員長のアンドレアス(・シュナイダー教授)も含め、それこそ関わっている全員が満身創痍(そうい)になりながら実現をめざしてきただけに、とにかくみんなでよくやった、という気持ちでいっぱいです」

――ボトムアップというのは国際会議が持つアカデミック色を避けるという意味ですか?

「それも1つですが、今回の“ビジョンプラス7”では、デザイン一本やりではなく、とにかくいろいろな立場から意見を出してもらいたかった。ですからスピーカーの方々にしても、大学や研究所からばかりというのではなく、ビジネスの現場に携わっている人、それも日常生活のデザインに深く関わっている人たちを意識して声をかけていきました」

「その他にも、最終日のセッションに登場してもらった市民銀行の片岡氏のように、直接デザインとは関係ないけれど、社会のデザインという意味で活動されている方にも参加してもらったり。こうした幅広さや柔軟さは、トップダウンという形式では実現できなかったと思います」

今回の“ビジョンプラス7”は日本だからこそ出来たものだ、と語る須永教授
今回の“ビジョンプラス7”は日本だからこそ出来たものだ、と語る須永教授



――分科会のような形式をとらず、3日間を通じて1つのセッションを同じ場所でやるというプログラムにしていたのもそのためなのですね。

「そのとおりです。参加者全員が、スピーカーも含めて同じ場所で同じ話を聞くという共有体験をしてもらいたかった。壇上に席を作らず、あえて座席と同じ高さの白くて丸いテーブル(電気通信大学によるVPテーブル)を使ったのもそのためです。もっとこじんまりとさせて、スピーカーとの距離を近づけたかったのですが、それはさすがにキャパの問題がありますから(苦笑)」

「スピーカーの皆さんが張り切ってくれたおかげで、時間配分が足りないと感じた場面もありましたが、それについては、セッションの後に話が盛り上っていたようでよかったです。とにかく、世界中からこれだけ多彩な人たちに集まってもらって、さまざまな意見を参加者全員で聞く、という体験が大切だったんです」

Diver Cityという日本の特性が生かされた“ビジョンプラス7”

――須永氏は“ビジョンプラス1”にスピーカーとして参加されていますが、過去の“ビジョンプラス”と今回の“ビジョンプラス7”とはどういった違いがありましたか?

「これはもう、まったく別の会議だったと言うしかないですね。今回は最初から、“ビジョンプラス”というお皿を借りて、まったく違った会議をやるんだという自負もありましたし……」

「私が“ビジョンプラス1”に参加したのは、'89年から多摩美で情報デザイン学科を始めたのがきっかけでした。そこで電子スケッチブックというインタラクティブツールを制作していたんですが、それを見て面白がった太田教授が、IIDのピーター・シムリンガー氏に連絡したところ、“ビジョンプラス”という国際会議をやるので、そこで発表してはどうかということになったのです。会場はオーストリアだったんですが、他にはインタラクティブ性みたいなものを取上げた発表がなかったし、日本からの発表ということで、かなり驚かれました」

「“ビジョンプラス7”では、デザイン以外にインターネットやIT技術といったものへ話題が拡がっていきました。過去の“ビジョンプラス”を知っている人は、かなりIT色が強いと感じているかもしれません。しかしそれは意図したものではなく、日本という国が、東西も未来的なものもひっくるめて自然に取りこめる許容量を持つ、Diver Cityという要素を持っていたというのがかなり影響していると思います」

お別れパーティーでスタッフの労をねぎらう実行委員長のアンドレアス・シュナイダー教授(右)
お別れパーティーでスタッフの労をねぎらう実行委員長のアンドレアス・シュナイダー教授(右)



「もう1つ、初めてのアジア地区開催ということもあって、発表ではビジュアルを多く使ってほしいという要望は出しました。それが結果として、多彩な視点につながっていったのでしょう。私たちにとっては、西洋の人たちが見る東洋の世界観に触れることもできましたし、その逆も大いにあったと思います」

中日に行なわれた記者会見で会議の運営体制を説明する須永氏。中には一部、進行に関する厳しい意見もあった
中日に行なわれた記者会見で会議の運営体制を説明する須永氏。中には一部、進行に関する厳しい意見もあった



東西の出会いの場。新しいつながりが宝物に

――またここ日本で開催したいという思いはありますか?

「いや、今はもう勘弁してくださいって感じですね(苦笑)。けれども、本当に苦しかったけれどやってよかったと思っています。プログラムを作る過程からすでに“ビジョンプラス7”は始まっていて、そこでたくさんのつながりも生まれました。これがまさしく今回の一番の成果であり、参加者全員にとっての宝物になったと思います。すでに、ここから北海道大学の田中教授が開発している“インテリジェントパッド”をフィリップス社が使いたいという話も持ち上がっています。田中教授は早々にもオランダへ行かれるそうで、近いうちにフィリップス社から“インテリジェントパッド”で作った製品が発表されるかもしれませんね」

今回の“ビジョンプラス7”については、IIDのピーター・シムリンガー氏も「まさしく東西の出会いの場であり、新しい試みであった」とコメントしている。その一方で、「新しい技術やツールばかりを追い求めるものではない。古いツールや技術を内包しつつ、築かれていくものが情報デザインという分野になっていくのだろう」とした。

ビジョンプラスを主催するIIDのピーター・シムリンガー氏は「今回の日本での会議は、全く新しい試みになった」と語る
ビジョンプラスを主催するIIDのピーター・シムリンガー氏は「今回の日本での会議は、全く新しい試みになった」と語る

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