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【INTERVIEW】眼球以外まったくなにも動かせなくなる人も出るALS患者の支えに----日立製作所の活動

1999年02月10日 00時00分更新

文● 報道局 白神貴司

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 こんなテレビコマーシャルをご記憶の方もいるのではないだろうか。

----何かの病気で寝たきりになり、話すこともできない男性がベッドに横たわっている。男性は言葉を発する代わりに、パソコンのディスプレーに自らの意思を文字で表示させて家族とコミュニケーションをとる。息子夫婦にできた孫の名前を考え、思いついた名前を、ベッドの上からポケットベルに送信したりもする----。

 このコマーシャルは、日立製作所(株)が開発したコミュニケーションツール『伝の心』を紹介するものだ。『伝の心』はALS(筋萎縮性側索硬化症)患者のコミュニケーションツールとして、同社情報機器アクセシビリティ推進室が開発、'97年8月に発売したシステム。ALSは全身の筋力が衰えていく難病で、40~50歳代の男性に発病する率が高い。現在国内には、約4000人の患者がいると言われている。

 今回は、同事業部の小沢邦昭氏に、『伝の心』開発のエピソードなどをうかがった。

先輩がALSに冒されたことが契機に

情報機器アクセシビリティ推進室長、小沢邦昭氏
情報機器アクセシビリティ推進室長、小沢邦昭氏



----情報機器アクセシビリティ推進室(通称アセ推)が発足した経緯を教えてください。

「'90年に通商産業省から、身体に障害のある人を総合的にサポートするための指針、“アクセシビリティ指針”が発表されました。これに対応するため、日立では同年8月に社内委員会を設置、検討を開始しました。そして'91年4月に、アセ推の発足となったのです」

「アセ推は発足当初から、採算性はある程度無視してでも社会貢献のために活動を、という意味合いが強い部署でした。ちなみに、私は現在アセ推の室長を務めていますが、日立には研究員として入社しました。まさか自分が福祉関連の部署長になるとは思っていませんでした」

----ALS患者のためのコミュニケーションツール『伝の心』を開発するに至った経緯を教えてください。

「実は、私の身近な先輩が、ALSにかかったことがきっかけだったのです。この方は、発症後半年足らずで亡くなってしまいました。ALSでは症状の進行に個人差があり、発症から死亡するまで数年を経るケースもあります。早い人ではこの方のように半年で亡くなるケースもあるのです」

『伝の心』のシステム。ノートパソコンの左に見えるのがセンサー
『伝の心』のシステム。ノートパソコンの左に見えるのがセンサー



「この先輩の発病と死が、『伝の心』開発の契機となりました。ALSは、徐々に全身の筋肉が衰えていく病気です。脳は正常なのに、やがて文字を書くことも、話すこともできなくなるのです。この患者の方々のコミュニケーションをサポートするシステムを作りたい。そういう願いから開発に着手しました」

『伝の心』はパソコンによる“会話”を可能にする

----『伝の心』のシステムについて教えてください。

「『伝の心』は、パソコンと入力デバイスとで構成されます。パソコンのディスプレーに50音文字表が表示され、その上をカーソルが自動的に移動します。ユーザーは目的の文字に来たところでスイッチを押して、文字を入力します。この動作の繰り返しで、文章を作成します」

「スイッチには、顔やアゴで触れて入力するタイプのものと、顔に貼りつけた磁気パッドの動きをセンサーで読みとって入力するものとがあります。」

「また、文章の入力を支援する機能も用意されています。たとえば、“おめでとう”と入力したいときは、まず、“お”と入力します。するとあらかじめ登録した“お”で始まる定型文の一覧が表示されます。続けて“め”と入力すると今度は“おめ”で始まるものが表示され、その中から“おめでとう”を選択する、といった具合に、省入力化が図れます。また、入力した内容をポケットベルに転送する機能も備えています。外出中の家族とのコミュニケーションが可能になります」

「開発当初はコミュニケーションツールというよりも文書作成ツールというコンセプトで開発していました。しかし、患者への聞き取り調査をしていくうち、求めているのは単なる文書作成機能ではなく、コミュニケーションツールだということがわかってきました」

「筋肉の衰えで寝たきりになり、失ってしまった家族とのコミュニケーションを取り戻したい、というのが患者の願いだったのです。『伝の心』は、そんな人たちの“会話”のためのツールとなりました」

現在は試作段階だが、『伝の心』でウェブブラウジングが可能なシステムも開発されている
現在は試作段階だが、『伝の心』でウェブブラウジングが可能なシステムも開発されている



50万円で販売しても赤字

---システムの価格は50万円と、患者には決して軽い負担ではありませんね。

「この価格は、自治体の補助限度額である50万円を基準に設定しました。この価格なら、補助金の助成を受ければ、患者の自己負担は0で済みます。本当はこれでも赤字なんですよ」

「ただ、現在の規定では、完全に寝たきりにならないと助成が受けられません。つまり、症状が進行中で『伝の心』を必要としていても、寝たきりになっていない患者は自己負担で購入しなくてはならない。まだまだALSという病気には行政の理解が得られていないんです」

「厚生省にこの点について配慮を求めたのですが、現在のところ助成金の給付範囲が拡大されることはないようです」
「また、患者の多くが中高年であり、家族も同様に高齢者が多い。彼らにパソコンがシステムの中心となる『伝の心』の操作方法を教えるのはかなり大変です。現在、パートナー企業と連携して、ユーザーサポートなどの活動も行なっています」

眼球だけが動かせる人にも

----これまでに何台ぐらい出荷したのですか。

「およそ200台を出荷しました。採算は取れていません。赤字です。それでも、採算性よりも社会貢献を重視するというアセ推の存在意義がある以上、提供は続けます。さらに新機能の開発にも取り組んでいます」

「具体的には、タッチ式、磁気センサー式に加え、眼球の動きを読みとって入力することができる第3の入力システムを開発中です。次第に機能を失っていくALS患者の筋肉の中で、比較的最後まで“生き残る”のは眼球を動かす筋肉なんです。この眼球の動きで、『伝の心』を制御できるようにしたい。現在、キヤノン(株)と協力して超小型カメラを応用したセンサーを開発中です」

バリアフリーを目指してアセ推の活動は続く

 小沢氏は現在、『伝の心』普及とALSに対する理解を得るため、全国を行脚している。講演会の依頼があれば、どこへでも出掛けて行くという。やはり、テレビコマーシャルの影響は大きかったようだ。「あのコマーシャルが流れたとたん、問い合わせが殺到しました。予想以上の反響に、驚かされました」

「コミュニケーションを持ちたいと願うのは、ALS患者だけではありません。全国にはさまざまな症状が原因で言葉や聴力を失った方が大勢います。『伝の心』を開発しただけでアセ推の役目を果たしたとは考えていません。」

「手話アニメーションソフト『Mimehand(マイムハンド)』など、パソコンを利用してバリアフリーを実現するための研究を進めています。これからも、情報機器を福祉に役立つツールとして利用するための研究開発を続けていきます」

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