“技術を売る”パナランドホッタ
愛知県稲沢市の「パナランドホッタ」は、スーパーパナソニックショップのひとつである。
1981年に「電化のホッタ」として、この地に店をオープンした堀田洋一社長は、「私自身、ナショナルのテレビで育ってきた世代。ナショナルブランドが無くなることには一抹の寂しさを感じる」と語る。
パナランドの名称になったのは、1995年。それでも地域には「ナショナルのお店」で通っている。
「ナショナルだからこそ、長年の安心感から選んでいただいてきたことは見逃せない。とくに高齢者にはその傾向が強い」と、息子であり、同店店長を務める堀田友樹氏は言葉を添える。
1月10日に発表された社名変更、ブランド統一は、テレビのニュースで知った。その後、直系販売会社のパナソニックコンシューママーケティング株式会社LE中部社の担当者から説明を受けた。
「ブランド統一の理由はわかった。だが、なにが良くなるのか、誰にどんなメリットがあるのか。ピンとこなかった」と、堀田社長はその時の印象を振り返る。
むしろ、「海外事業強化」の言葉が、海外生産の拡大による品質の低下や商品供給の遅れ、国内市場が後回しになる施策につながるのではないかと危惧したほどだ。
だが、その一方で期待感もあった。
「ブランドを一本化することで、部門を超えて、高い技術を駆使した商品の創出が可能になるのではないか。そして、これまで以上に、デザイン性の高い家電商品が登場するのではないか」(堀田社長)
実際、店頭にパナソニックブランドの商品が並ぶようになってから、電球やパーツなど一部商品には、ナショナルブランドが残っているものの、ブランドの統一感が出始めている。
店づくりも青を基調とした明るいものとなった。
「これまでナショナルをご愛顧いただいたお客様にも、引き続き、パナソニックをご愛顧いただきたい」
9月に開催した「ナショナルありがとうフェア」に続き、10月からは、「Hello! Panasonic」にあわせたキャンペーンを店頭で実施し、パナソニックのお店としての新たなスタートを切っている。
実は、先に触れたブランド統一による懸念材料とは裏腹に、堀田社長は、ナショナルブランドの白物が、パナソニックブランドに変更しても、同店の売り上げ減少にはつながらないと見る。
次ページ「地域に密着したサービスによって培った信用」に続く
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