【ASCII.jp特別企画】 これからはエンジニアが熱い! 第1回
キューエンタテインメント株式会社 水口哲也氏 に聞いた
『クリエイティブ エンジニア時代到来』
2007年10月30日 13時02分更新
ある特定のプロジェクトをスピーディに実現するため、タスクフォース型で仕事を進める企業が増えている。企業の内外を問わず横断的に能力のあるプロフェッショナルを集め、可能な限り最上の結果を出すことを目的にしているのだ。
『セガラリー・チャンピオンシップ』『スペースチャンネル5』『Rez』『ルミネス』などのゲームクリエーターであり、近未来的音楽ユニット『元気ロケッツ』もプロデュース。地球温暖化防止を訴える世界規模のイベント『ライブアース』では、元気ロケッツとアル・ゴア元米副大統領のホログラム映像のジョイントをアレンジするなど、今やオールジャンルで活躍を見せる水口哲也氏(キューエンタテインメント株式会社代表取締役CCO)にタスクフォース型で仕事をする21世紀型のエンジニアのあり方をうかがってみた。
編集部:ずばり水口さんにとってプロフェッショナルの在り方とは。
水口:僕の場合で言えば、セガのプロパーの社員→プロデューサー→独立という流れでここまで来ているのだけれど、どのポジショニングで仕事をしていても、自分のプロフェッションを磨いていって、自分の中に知識や経験、人的なネットワークを蓄積していくことが大切だと思います。
実際、今の僕の仕事を考えても、僕が面白いと発信したことに反応した人が、常に僕の力になってくれている。こうした状況って、ただ会社の中に居てお金のためにって働いていたのではなかなかできないと思うんです。サラリーマン的な発想ではなく、自分で今、何をやらなければいけないかをその時、その時考えて来た結果なんですよね。
編集部:積み重ねの結果が今の水口さんにつながっていると。そういう表現者としての、水口哲也はいつ生まれたんでしょう?
水口:シンプルな選択だったんですよ。学生の時、これから自分が仕事をして生きていかなかければならないなら、自分を表現して生きていくのか、行かないのか? その二者択一だったんですよね。生きていく上でこれからどれだけ自分が表現者として満足して、同時に多くの人に共感してもらえるか。そんな仕事をしたいと思った。
編集部:なるほど。とすると学生時代から、クリエーターを目指していたと。
水口:子供の頃の夢は、新聞記者でしたから(笑)。大学では、文芸学科で小説を学んでいたんですよ。その頃、たまたまメディア美学を武邑光裕さんに学んで、それがとても新鮮だった。この頃自分の原型が完成されたといってもいいでしょうね。色んなものに対する先入観が無くなったんですよ。たとえば印刷にしても、技術の発展と共にいろんなメディアや表現が生まれていく。映像というジャンルにしても、たかだか120~130年の歴史しかなくて、最初はマジックの一つの手段に過ぎなかった映画が、サイレントの白黒の時代を経て音が付き、色が付き、テレビが生まれ変化してきた。メディアが変れば、ベースにしているフォーマットも変る。その時間の中で、様々は変化が起こって、俳優やカメラマン、監督、照明、美術なんて色んな職業が生まれていく。テレビで言えば、代理店やCMのクリエーターもメディアの発達によって生まれてきた職業なわけで、そうして様々なプロフェッショナルが誕生していくわけですよね。
僕は、そんなことを学びながら、表現するメディアはなんでもいいんだ。自分が表現者として最終的に何をキャンパスにしていくのか? それはもちろんテレビではないだろうし、次に来る何かを考えていたわけです。
編集部:それがゲームだったと。
水口:ちょうどその頃、90年代は、ファミコンからスーファミに移行した時代だったんですよ。なんだかテレビも映画も、音楽も内向きな感じがした。これから表に発信していくメディアとしてゲームが魅力的だったんですよね。
最初からゲームは世界に通じていたし、その頃はまだ2Dだったけれど、いろんな可能性を感じていた。
たとえば、CGの未来はどうなるのか?を考えたとき、確実にゲームの時代が来るだろうなんてすぐにイメージできた。
'88年だったかな? 借金してボストン(シーグラフ)に行き、ピクサーのCGとか見るととっても新しいことをやっていたし、この流れが今後どうなっていくのか見極めたかった。たとえば、当時のアメリカでは、バーチャルリアリティが流行っていたのだけれど、その凄さって視覚的映像そのものより、コンセプトにあるんだって気付いたんですよ。そうして20年、30年後の未来を予見できたことで、今やらなければいけないことがなんとなくわかった。この先を考えていけば、その先に飛躍があるなって。
編集部:それでセガに入社されたわけですか。
水口:R360というアーケードゲームを見て、こんなゲーム作る会社ってどんな会社なんだろう? 変なオーラを感じたんだなぁ。セガという会社は面白くてね。最初の面接のとき、「うちに来て何やりたいの?」と聞かれて「別にゲームを作りたいわけじゃない」とか「遊びをクリエイトするっていいコンセプトですよね(実はナムコのスローガン)」「セガのファミコンって(ファミコンは任天堂の商標)」って答えても、笑いながら「お前みたいのが一人居てもいい」って採用してくれたんだから(笑)。それくらいゲーム業界のことはよく知りませんでした。
実際、サラリーマンだったけれど、サラリーマンって感覚で仕事をしたことはないんですよね。自分の好きなジャンルや発想をどうその時のプロジェクトに折り込んで進めていくか。その繰り返しの蓄積をその後のクリエイティブに生かしていくことができたんです。
編集部:その時の経験が今の水口さんを作っているということですね。
水口:僕は天才型じゃないんですよ。その時できることを一生懸命やって、思いついたことを少しずつ熟成させて形にしていくスタイル。同時に、僕が発信することに反応した人がどんどん周りに増えていく。色んな仕事をして経験が蓄積されて、今があるわけです。周りのスタッフに凄く助けられていると思います。
だから。10年前より、今の方がパワフルだし、10年後の方がよりパワフルだと思う。実際、色々な蓄積があるから、昔よりもひらめきも早いし、作るのも早い。そういう意味で、1年がとても長く感じるんだよね。
編集部:普通、歳を取ると1年が早くなるものなんですけどね(笑) 水口さん自身、経営にも携わっているわけですが、ギャップはないのでしょうか?
水口:うち(キューエンタテインメント)の場合は、内海州人が主に経営の面倒を見てくれています。経営とクリエイティブは、いわばアクセルとブレーキなんですよ。僕にも経営感覚が無いわけではないのだけれど、一人で全部をまかなうのは大変なこと。できる人は居るんだけれど、僕には無理です。
たとえば大きな仕事をしたい時、内海に相談する。すると思いもかけない経営的発想が出てくる。うちには、二人を軸にして回りにいろんな才能を持った人が居るんですよ。それが今の会社のフールドの深さに通じているじゃないかと思います。
この仕事に一番合った人は誰なんだ? って常に考えているんです。発想が生み出され、周りに支える人が居る。キャスティングするときは、オール4の人より、ひとつだけ5であとは1の人が揃うといい仕事ができるんです。
編集部:それがこれから仕事をしていく上で重要なポイントですね。
水口:アメリカのクリエイティブの世界で言えば、ハリウッドのCAA(クリエイティブ・アーティスト・エージェンシー)とか、様々なクリエーターをプロデュースするエージェントがある。たとえば、イベントや映画のプロジェクトがあるとすると、どんな人が適切かをパッケージングして売り込んでいく。
日本もこれからは、どんどんそういった流れになっていくのだと思う。これはどんなジャンルの仕事でも同じだと思う。
水口さんのお話をうかがっていると、常に先を見据え、自分の好きなものにこだわりながら、スキルを磨き続けた21世紀型のプロフェッショナルの在り方が見えてくる。 一つの企業で枠組みにとらわれて仕事をするより、より大きな視野でスペシャリストとしてスキルを磨き、より大きなプロジェクトへとステップアップしていく。この繰り返しがこれからの時代のプロフェッショナルに求められる必須の要素に違いない。 その鍵を握るのは、磨いたスキルを活かしてくれるヒューマンネットワークとエージェントとの出会いなのだ。
取材協力:
Qエンターテインメント株式会社
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