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会社員からフリーランス広報へ。そしてペン字との出会いで開いた新たな扉

文●杉山幸恵

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 2025年1月、大阪市本町にあるビルの一室に開業した大人のためのペン字教室「pen.(ペン)」。その代表取締役を務め、自らも講師の一人として生徒に指導している永井玲子さん。彼女がペン字を習い始めたのは、会社員広報からフリーランスとして独立した直後のこと。せっかくだから勤めている時にはできなかったことに挑戦してみようと、思い立ったことがきっかけだった。「もともと会社員至上主義で、まさか自分が独立したり起業したりするなんて夢にも思わなかった」と語る永井さんが、なぜフリーランス広報とペン字教室運営という二足の草鞋を履くことになったのか。そんな彼女のライフシフトのストーリーには、試行錯誤しながら、自分らしい生き方を模索し続けた歩みがあった。

1981年東京生まれの永井玲子さん。2022年に第一子を出産したワーキングマザーでもある

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転職を機に任された広報という仕事が、独立への道しるべとなる

 2004年に京都産業大学外国語学部を卒業後、永井さんが入社したのは、スーパーやコンビニにパンやスイーツを納品している食品メーカー。そこでルート営業として働くことになる。当時は就職氷河期で、企業の多くが総合職と一般職に分かれていて、文系女子が総合職を目指すこと自体がまだ少なかった時代。就職活動をしながらも自分が何をしたいのか、どんな会社に入りたいのか明確ではなかったという。

 「転勤族の家庭で育ち、引っ越しのたびに新しい環境に慣れるのが大変だったので、転勤のない仕事を選ぼうと。まずは関西本社の企業というのを最優先で探していました。次に身近にあるもので自分が好きなものってなんだろう?と考えた時に、ぱっと浮かんだのが〝食べること〟。スーパーやコンビニで手に取った商品を裏返して、どこの会社が作っているのか調べたりしながら、食に関わる企業に的を絞っていきました」

 兵庫県に本社を置く社員数千人規模の食品メーカーで、女性の営業職第2号として永井さんの社会人生活がスタート。スーパーやコンビニの本部バイヤーと新商品の商談をしたり、PB(プライベートブランド)商品の開発にも携わったりと、順調にキャリアを積んでいく。

「配送や店舗応援などもあり、早朝から夜遅くまで働くことが多かったですが、1社目であの経験ができたからこそ、今も仕事でふんばりがきくようになったと思っています」と、当時を振り返る

 スーパーの売り場担当と良い人間関係が構築でき、なにより自身が働く会社のパンが大好き。仕事にやりがいを感じていた彼女だったが、ルート営業という仕事を続けていくうえで、一つどうしても苦手意識から逃れられない壁があったという。それは致命的に運転が不得手ということだった。

 「運転が上手ではなかったのでこのまま続けていたら、いつか大きな事故を起こしてしまうかも…という不安がどうしても拭えず。でも、運転が欠かせない仕事だったので、泣く泣くですが、7年間務めた会社を辞める決断をしました。

 夫が鬱で体調を崩していたこともあり、半年ほどはケアをしながら専業主婦として過ごすことに。でもそのうち、『私、家事に向いてないな…』と改めて気づいて(笑)。それなら、〝お金を生み出す経済活動〟をした方が社会のためなんじゃないかと思い、夫が少し回復してきたころを見計らって転職活動を始めました」

 〝運転しない仕事=事務職〟と考え、転職先を探すも経験がなかったため書類審査すら通らなかった永井さん。そこで視点を変えて、運転を伴わない営業職を探す中で出会ったのが、「小さなお葬式」を運営する「株式会社ユニクエスト」の法人営業の求人だった。

 「このポジションは当時私が一人目で、トライアル採用でした。大手企業の福利厚生として『小さなお葬式』を提案する営業職で、電車移動がメイン。運転が必要ないという点でもぴったりだったんです」

 営業職として転職するにあたり永井さんが大切にしていたのは、前職で自社のパンが好きだったように、〝自分が扱う商品やサービスに共感できるかどうか〟ということ。「まさかお葬式の業界に入るとは思っていなかった」という永井さんだったが、のちに直属の上司となる面接官から聞いた「小さなお葬式」のサービス内容が入社の決め手となったという。

 「相場の半額以下で、プランもとてもわかりやすく、喪主経験のない私でも『これなら安心して紹介できる』と思えたんです。これを知ってもらえたら助かる人が増えるんじゃないか、自信を持って提案できるんじゃないかと確信して、入社を決断。当時、同社はまだベンチャーで前職に比べて規模も小さかったため、最初は不安もありましたが、しっかりと納得したうえで新しい一歩を踏み出せました」

 入社して半年が過ぎたころ、永井さんは法人営業と兼務というかたちで、それまでまったく経験のなかった広報の担当を社長より任命される。同社には広報の知見を持つものが誰もおらず、上司と頭をひねりながらのまさに手探り状態からの出発だった。

 「『プレスリリースというものがあるらしい』という話から、『まずは月に1本、社内でネタを探して書いてみよう』と。平社員ながら役員会議にも出席し、社長や役員と一緒に、世の中に届けたい〝会社のネタ〟を模索する日々が始まりました。

 一方で社外にも積極的に飛び出し、〝広報〟と名のつくイベントを見つけては、当日であっても主催者に連絡して参加。現場で他社の広報担当者たちとつながり、情報交換をしたり、時には相談に乗ってもらったり。こうして得たご縁が、今では共にイベントを開催する仲にまで発展しています」

 さらに新聞や書店で業界関連の話題を探しては、署名記事に記載された記者の名前を見つけて本社に電話。なんとかアポを取り付けても、1時間の予定が実際に話せたのは15分だった…という経験も。うまくいかず、落ち込んで帰ることも少なくなかったそう。

「小さなお葬式」で広報をしていたころ。月に2~3回は東京へ出向き、メディアへ提案をして回っていたという

 完全に手探りで失敗も少なくなかったが、その努力は徐々に成果として現れ始める。しかしながら社内で評価されるも、依然として広報部門は永井さんの一人部署。売上が直接見えにくい業務ということもあり、チームとしての拡大は難しい状況にあったという。

永井さん同様に一人部署で頑張っている他社の広報仲間を訪ね、情報交換をすることも多かったという。写真はその時の様子

 さらに当時、キャリアをステップアップさせるためには、広報とは異なる職種への異動し、部下をマネジメントすることが必須条件だった。意義を見出していた広報という仕事か、さらなるキャリアの構築か。永井さんのなかで迷いが生じ始めていた。

 「新規事業のプロジェクトマネジメントやブランディング業務、さらにはCM制作にいたるまで、当時の社長に評価してもらってさまざまな経験をさせてもらいました。

 でも、メディアさんに共感してもらって、それが世の中に出て、誰かの心に届く。そして、サービスを使ってくださった方から『あの時テレビで見たから助かった』とか『新聞記事を切り抜いて持っていました』と言っていただける。私の広報活動が誰かの役に立っているのかもしれない…そんな原体験が本当に嬉しくて、大きなやりがいを感じていました。やっぱり私は、広報としてキャリアを積んでいきたいんだと実感したんです」

いったん広報を離れて新規事業のプロジェクトマネージャーになった時は、他社の広報仲間がサプライズで壮行会を開いてくれたそう。「他社なのに広報という職種で繋がって、社外の同僚のような存在でした。今でも仲良くさせていただいている方も多いです」と永井さん

 そんな思いを抱えていた頃、永井さんは広報を立ち上げたいというスタートアップとの縁に恵まれる。再び未経験の業界ではあったが、その会社への転職を決意した。

 「妊活か転職か…と、すごく悩んでいたのですが、どちらも諦めきれなくて…。最終的には妊活に理解のある社長だったこともあり、転職という道を選びました」

 2度目にして、広報としては初めての転職。「経験があるから大丈夫」と最初は思っていたものの、実際に飛び込んだ新天地では、予想以上の壁に直面する。業界が違えば情報の出し方もまったく異なるほか、入社当初からフルリモートという勤務体制もあって、社内の情報をうまく拾えない。うまくいかない状況に焦り、自分を責め、どんどん自分で自分を追い詰めていった永井さん。ついには体調を崩してしまう。

 「表情もどんどん暗くなって、ふいに涙が出ることも。自分のことをまったく肯定できなくなっていました。妊活も続けていたけれど授からず…。鬱経験者である夫が、そんな私を見かねて『辞めたほうがいいんじゃないか』と、病院に付き添ってくれて。心身の不調という診断書が出たので、踏ん切りをつける決意ができました」

 こうしてわずか1年でスタートアップを退職した永井さんだが、その少し前から2つの活動を行っていた。一つ目は副業として、会社員をしながら他社の広報支援を請け負うというものだった。

 「本業の合間に社外のクライアントをサポートする難しさ、当時は会社員の給与には届かないことで改めて感じた会社という基盤のありがたさ、自ら価格を決めることの大変さ。限られた時間の中でのコミュニケーションの工夫など、副業を通じて多くの気づきと学びを得る貴重な経験になりました」

 そしてもう一つは、おもに広報初心者に向けたオンラインサロン「広報食堂」の計画だ。現在も広報仲間2人と活動を続けている同サロンだが、まさにこの時期、構想を練り始めた段階だった。

 「会社員広報から独立したり副業したりフリーランス広報として活動済みだった2人に、急に会社を辞めることにしたことを報告。そして、転職活動をしてまた会社員になるのが怖いし、自信がないと吐露したんです。そうしたら『おめでとう!フリーランスは楽しいよ。SNSで宣言してみたら?きっと仕事の依頼がくるよ』との言葉が。

 当時の私は精神的にふにゃふにゃでしたし、正直、仕事の依頼が来るなんてとても思えず。でも、せっかくアドバイスしてくれたし、やってみようと。もしダメだったら、少し休んでからまた転職活動すればいいかなと(笑)」

広報初心者向けオンラインサロン「広報食堂」の運営メンバーと共に。中央が永井さん

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