獣医師としてつかんだ起業という選択。猫と人が共に幸せに暮らせる未来を目指す
猫にとって安全性が高い花だけを取り扱うオンラインフラワーショップ「ネコハナ」。2024年2月22日の猫の日にスタートした同サービスを運営しているのは、園児のころからの夢をかなえて獣医師となった庄野舞さん。動物病院勤務やペットフードを扱う商社で経験を積んだのち、一度はペット業界から離れたことも。しかし、外の世界を見たことがきっかけで、やはり自分は犬や猫のために自分の時間を使いたいんだと、気持ちが固まったという。「『ネコハナ』があるから猫と暮らしてみようかな、と思ってもらえる会社にしたい」。そう語る彼女の挑戦は、まだ始まったばかりだ。
すべての画像を見る場合はこちら動物病院から一般企業へ、自分の〝得意領域〟を確かめるために転職を試みる
2014年に東京大学農学部獣医学科を卒業した庄野舞さんは、通っていた大学の附属病院である「東京大学附属動物医療センター」に就職。幼いころからの「獣医師になりたい」という夢をかなえたものだった。
「園児のころに読んだ『ドリトル先生』シリーズがきっかけです。動物の言葉が話せるドリトル先生が、動物たちと協力して問題を解決していく物語に夢中になり、私も動物と話せるようになりたいなと。その思いから周囲の大人たちに『どうしたら動物と話せるの?』とたずねたところ、『動物のお医者さんが近いのでは?』との返事が。それがそのまま夢になったと記憶しています。今になってみると、動物と深く関わる仕事としては獣医師よりも動物研究者のほうが近かったのかもしれませんが、そのことには気づかないまま、大人になっちゃいました(笑)」
そんな庄野さんが最初の勤務先として選んだ附属病院は、町の動物病院で診断や治療が難しいとされた動物たちが集まる場所。特定の領域を深く学びたい、そしていずれやって来るライフステージの変化にも備えておきたいという考えからだった。
「自分のやっていることに関してきちんと知識をつけたいという自身の志向性と、獣医師として働き続けるにはジェネラリストではなくスペシャリストになった方が女性としてはいいのではないか?という算段がありました。またこのころから、出産について『いつかはするかも』と思っていたので、時間的な制約ができても仕事を続けられる選択をしたいと考えていました」
しかしながら、臨床獣医師だったこの期間について、「正直なところ、つらいことのほうが多かったです」と振り返る。どれだけ努力しても完治しない病気、経済的な事情で思うような治療ができないケース、自分のミスが大きな問題につながる恐怖、昼夜を問わず続く激務による体力的な問題…。働きながら、常に悩みが絶えなかったという。
「特に私が担当していた診療科では、完治という状態がほとんどないような領域を扱っていたので、どうしても最終的には亡くなってしまうことが多く…。それでも、飼い主さんからお手紙をいただいたり、しばらくして『新しい子を迎えました』と報告に来てくださったり、そうした瞬間にとても救われていました」
大学の付属病院で働いて2年が過ぎたころ、精神的にも肉体的にも限界という状態が続いていた庄野さんはある決断をする。一度、病院を離れてみようと…。その理由の一つが、大学時代からのパートナーとの結婚を本格的に意識し始めたことだった。
「動物病院の昼夜を問わない勤務スタイルでは、結婚生活を両立するのが難しいのではと感じてしまい。夜勤や急患対応で予定が突然変わる生活を、この先も続けていくイメージが持てなかったんです。今思えば、ワークライフバランスを重視できる動物病院もたくさんあるので、もう少し選択肢を広げてもよかったのかもしれません」
そして、もう一つの理由が、働き出してから初めて自分の〝得意領域〟がわかってきたということ。幼いころから獣医師を目指してきたため「自分の好きや得意は何か?」ということを、深く考える機会がなかったのだという。
「獣医師だから理系、獣医師だから大学はここ、獣医師だから…。すべての起点が獣医師で、自分がどうありたいか、自分は何が得意なのかをすっ飛ばして生きてきてしまっていました。でも、実際に働き始めてから、自分は全体最適を考えること、社会的に意義のあること、チームで働くこと、目標に向かって研鑽することにやりがいを感じると気づいたんです」
そうした背景から、獣医師としての経験を活かしながら、ビジネス領域に挑戦したいと考えるように。そこで企業で働く獣医師の先輩に相談したところ、ペットフード商社を紹介してくれることとなり、転職を決意した。
「転職先では輸入したペットフードを日本で販売する業務を担当。〝療法食〟と呼ばれる、国内の動物病院専用フードの新ブランド立ち上げに携わり、事業計画の策定から、輸入、倉庫での在庫管理、商品のデザインやECサイト構築、マーケティング、営業、実際の販売や顧客対応まで、幅広く業務を経験しました」
ペットフード商社での仕事はとても充実していたことから、「もしかしてペットという領域は関係なく、ビジネスそのものが楽しいのでは?」と思い始めた庄野さん。自分の中で立てた仮説を検証すべく、知人の紹介もあったことから、キャリア支援系の企業への転職を試みる。
「その時々でいろんなことを考えて選択してきましたが、一度ペット関連外の会社に行ったのは自分の中でも大きな経験でした。ここでの業務は楽しかったものの、改めて『やはり犬や猫のために自分の時間を使いたい』と強く思うように。動物病院を経営する企業へ転職し、再びペット領域に戻ることになりました。この時、一度外を見たことで、自分のやりたいことへの迷いがなくなり、最終的に起業へとつながったんだと思います」
猫と人、どちらにも優しいフラワーショップを立ち上げるために副業として起業
2023年8月、庄野さんは会社員を続けながら副業として「株式会社ネコハナ」を立ち上げる。猫にとって安全な花だけを取り扱う、猫オーナー向けのオンラインフラワーショップだ。
「一般的に、多くの植物は猫にとって有害とされていますが、なかには安全性が確認されている品種も。私たちは、それらの花を低~無農薬で栽培することで、猫にとって安全性が高いと定義しています」

「ネコハナ」ではアメリカ動物虐待防止協会が指定している「cats safe flowerリスト」より品種を厳選。口にしたり触れたりすると命にかかわることもあるユリをはじめ、チューリップやアジサイ、カーネーション、ポインセチアなど、日本でよく見かける花も猫にとっては毒性がある
起業のきっかけとなったのは、「猫と暮らしているけれど、お花を飾りたい」という友人からの相談だったという。その友人の後押しもあり、一緒に共同創業する形で「ネコハナ」を立ち上げた。そんな庄野さんにとって起業は「決意する」というよりも、「小さいころから仕事の選択肢として常にあるものだった」と語る。
「母が起業していたこともあり、『いつかは自分も独立したりするのかな』くらいの感覚で捉えていたんです。だから、正直なところ大きな不安や迷いはありませんでした。会社員を続けながらの副業起業かつ、信頼できる友人との共同創業だったというのも大きいです。一気に負荷をかけるのではなく、生活の見通しが立つまで副業として取り組むことは、起業を考えている方にとってもおすすめできる方法だと思います」
不安や迷いはなかったが、起業に際して苦労がなかったわけではない。オンラインショップで販売するための花を栽培する農家を探すのは、容易ではなかったという。
「猫にとって安全性が高い品種は国内で限られていますし、さらに農薬配慮して育ててくださる農家さんと出会わなければなりませんでした。現在、契約している2軒の農家さんはどちらも、お花や自然、生き物を心から愛する素晴らしい方々です。そんな彼らと一緒に仕事ができていることをありがたく思うと共に、日々『もっと頑張ろう』と鼓舞されています」
2025年1月に、庄野さんは動物病院の運営会社を退職。こうして「株式会社ネコハナ」の代表取締役として完全独立を果たしたが、動物病院勤務をはじめ4社の経験は現在にも活かされているという。
「〝泥臭く地道に業務を遂行すること〟の大切さをしっかり学びました。どれだけ立派な事業計画があっても、現場で必要なのは地道な積み上げ業務です。計画を立てるのも実行するのも自分、という環境だったため、この思考が当たり前になったのはとても大きな財産だなと。起業というと、キラキラとしたものに思われるかもしれませんが、実際はがむしゃらです。そんな毎日を愛せているのは、この経験が大きいと感じています」
猫と暮らす人が〝猫の安全や快適さを守ること〟〝自分の生活を我慢せずに過ごせること〟という、2つの両立をサポートする事業・サービスを目指しているという「株式会社ネコハナ」。現在は花だけでなく、猫が舐めても安心な人用ハンドクリームの販売や、猫が遊んでも倒れない花瓶の開発も行っている。
「成長のきっかけは日々の積み重ねの中にありますが、最も大きな転機は『株式会社ネコハナ』のミッションを決めたことです。会社としてどんな世界を作りたいのかを考える過程で、共同創業者に私の半生や想いを整理してもらい、それを言語化。その結果、自分のエネルギーの源泉が明確になり、『ネコハナはどんなことがあっても一生やり続ける』と覚悟を持つことができました」
そう覚悟を決めた庄野さんにとって、「株式会社ネコハナ」として最も大切していることは「猫も人も諦めない」ことだという。
「『株式会社ネコハナ』のテーマは、〝猫にとって科学的に安全な環境をできる限り確保すること、そして、それによって生まれる人間の我慢を極力なくすこと〟。これらをかなえるために頭を振り絞って考えなければなりませんが、事業はどんどん生み出していきたい。だからこそ、慎重になりすぎず、スピード感を持って進めることも大切にしています」
幼いころからの「獣医師になりたい」という夢を貫き実現させた庄野さんだからこそ、〝猫と人、どちらも幸せになる暮らし〟の実現に向けて、これからも突き進んでいくに違いない。そのためにどんな目標を掲げているのか聞いてみた。
「振り返ると、これまでのライフシフトは『生き方を変えるぞ!』と決意して取り組んだものではなく。その時々のご縁に恵まれ、自分にとって必要だと思う選択をしていたら、自然と今の形になっていました。なので、これからもあまり決めすぎずに過ごしていきたいです。余白が人生の振れ幅を作るのかなと思うので。
そのうえで現在の目標は、『株式会社ネコハナ』を猫と暮らす人々に広く認知される会社にすること、そして花による中毒で病院に運ばれる猫の件数を減らすことです。さらに、『ネコハナがあるから猫と暮らしてみようかな』と思ってもらえるような存在になりたいと考えています」
会社員から起業家へとライフシフトをした現在、「自分の想いと事業が完全にリンクしていて幸せです」と語る庄野さん。最後に同じようにライフシフトをしたいけど、最後の一歩が踏み出せない、そんな人にメッセージをもらった。
「私の場合は、とにかく周りの人に恵まれて、たくさんのご縁をいただいて今があるので、あまり偉そうなことは言えないのですが…。ただ、おそらく他の方からしたら驚くような選択に見えるものもあったかもとも思っていて。でも、それは自分の中ではごく自然な流れでした。だから、肩肘張らずに、『どちらにしても何とかなるし、だったら自分の思うように生きよう』くらいの感覚でいいのかもしれません。私もまだまだこれからです。一緒に、自分がつくりたい世界に近づいていきましょう!」
すべての画像を見る場合はこちらこの記事の編集者は以下の記事もオススメしています
-
ライフシフト
運命の出会いが人生を大きくシフト!ミニチュア粘土から広がる新たな挑戦 -
ライフシフト
苦労も失敗もすべての経験を糧にして切り拓いた時短家事アドバイザーとしての道 -
ライフシフト
〝好き〟という気持ちを大切に!旅への愛と情熱をカタチにすべくオーダーメイド旅行の会社を起業 -
ライフシフト
愛犬との出会いが導いた明るい未来。引きこもりを経てペット専用WEBメディアを開設 -
ライフシフト
エンジニアから陶芸作家へ、何度も訪れた人生の転機を乗り越えて新しい道を模索 -
ライフシフト
〝幸福国〟を巡る旅で得た経験を生かし、元広告プロデューサーが子どもたちの未来のために起業 -
ライフシフト
瞳ゆゆによる挑戦の物語、元タカラジェンヌが宝塚OGの未来を切り拓くべく奮闘 -
ライフシフト
ドイツ移住のきっかけは〝保活〟の失敗⁉ フリーランス&海外生活7年目にして 初書籍を出版 -
ライフシフト
専業主婦から一念発起!〝現代テーブル茶道家〟として新しい茶の湯のスタイルを探求 -
ライフシフト
将来は海外にも出店したい! 元国際線CAのアラフォーママがベーグル専門店を開業 -
ライフシフト
一人起業からわずか1年で急成長!製薬会社からの転身で金継ぎというサステナブルな伝統技術を継承 -
ライフシフト
会社員からのライフシフト、「生涯かけて全うしたい」と掴んだのは伝統工芸・伊勢型紙職人という仕事 -
ライフシフト
伝統工芸の世界にダイブ! NHKアナウンサーから伊勢根付職人にライフシフトして見つけた幸せ -
ライフシフト
海外でのワーケーションも満喫!アラフォーで手に入れた〝複業〟フリーランスという働き方 -
ライフシフト
自身の顔の衰えに驚いたのが転機! 主婦から表情筋トレーナーへ華麗なるライフシフト -
ライフシフト
ほかにないなら自分で作るしかない!会社員からの起業で女子キャンプブームの立役者に -
ライフシフト
売り上げビリの営業職から起業家への逆転ストーリー。強みを見つけて手に入れた〝自分らしい働き方〟 -
ライフシフト
ダイエット迷子から脱却して起業。経験と知識を武器に多くの女性を支えるダイエットコーチに -
ライフシフト
幾度となくぶつかった壁、トライアンドエラーを重ねて金沢きっての水引体験教室へと成長 -
ライフシフト
〝知多藍〟を知多半島の新たな産業に!会社員からの転身で藍染職人という道を邁進 -
ライフシフト
会社員からフリーランス広報へ。そしてペン字との出会いで開いた新たな扉 -
ライフシフト
自然と生きて、香りを紡ぐ。ホテル女将の経験が導いたフレグランスデザイナーとしての道 -
ライフシフト
好きなことが導いた出会いのバトンリレー、つむいだ縁を大切にカメラマン&講師として起業 -
ライフシフト
勇気と覚悟を持って66歳で起業家に!発酵食品がくれた、人生をもう一度歩き出す力 -
ライフシフト
銀行員からフローリストへ。フランス留学というチャレンジで花開いた新しい生き方