エンジニアから陶芸作家へ、何度も訪れた人生の転機を乗り越えて新しい道を模索
異なる素材をはめ込んで模様を作る象嵌(ぞうがん)技法。最も古い工芸装飾の一つとされており、金属や木工、漆器などさまざまな工芸に用いられてきた。この象嵌を独自にアレンジし、開発した〝波象嵌(なみぞうがん)〟という技法で陶芸作品を手がけているのが、愛知県瀬戸市にある「クラフト工房 Lazuli(ラズリ)」の海月(みづき)さん。国立大学の工学部からエンジニアに、そして30代になってから陶芸作家の道へ進んだという異色の経歴の持ち主だ。何度も訪れる人生の波をゆらり、ふわりと乗り越えてきた現在地。ここにたどり着くまでは、女性ならではの苦労や試練も少なくなかった。
すべての画像を見る場合はこちら医学部志望からエンジニア、そして陶芸家に。2度の〝成り行き〟で人生が変化
エンジニアになったのは、実は〝成り行き〟だったという海月さん。もともとは医学部を志望していたが、一浪の末にかなわず、母の勧めにより追加募集枠で静岡大学工学部に進学。その後の就職活動では、就職氷河期に突入した時期だったこともあり、企業の対応に男女格差があることに愕然とする。
「女性が仕事を続けるにはやはり有資格職がよいと考え、いったん就職して貯金し、大学を再受験しようと。勉強の時間をつくりたかったので一般職を希望したのですが、紆余曲折を経て三菱電機に入社し、名古屋製作所開発部に配属されることに。でも、最初の3年ほどは自身の実力不足もあると思いますが、あまり仕事を任せていただけず、同期から『暇そうでいいな』とからかわれることもありました」
その当時は仕事にやりがいも見い出せず、再受験の勉強をしながら働く日々を送っていた。そんな中、LD(高出力レーザーダイオード)搭載のレーザー加工機開発プロジェクトに抜擢され、製品化に貢献。これを機に「エンジニアを一生の仕事と考えられるようになった」という彼女に不測の事態が訪れる。
「実はプロジェクトの終盤から、たびたび腹部に激しい痛みがあり…。でも、忙しさのあまり病院に行く時間が取れず、痛み止めでやり過ごしていたんです。プロジェクト終了後に受診すると、原因は子宮内膜症で、ホルモン療法を開始。ところが、今度は副作用による更年期障害のような症状が現れ、次第に思考力が低下。以前は1日でできた仕事が数日かかっても終わらず、新しいことを覚えるのも難しくなり、気持ちがどんどん沈んでいきました」
「もうこの仕事は続けられない…」と感じた海月さんは辞職を決意。しかしながら、周囲の応援を無下にしたくない、決して仕事が嫌で辞めると捉えられたくない。その気持ちをどうしたら伝えられるか思いあぐねた彼女は、「陶芸家になります」と宣言する。
「何か理由を…と考えて、以前、瀬戸に陶芸の訓練校(現在の名古屋高等技術専門校 窯業校)があると聞いていたことを思い出し。『以前から陶芸をやりたかった』ということにして退社の意向を伝え、これもなにかのきっかけと思い、訓練校を受験しました。『まさかあなたが辞めるとは思わなかった』と何人もの方に言っていただき、申し訳ないのと同時に少し報われた気持ちもありました」
ところが、有給消化中に子宮内膜症の治療が終了すると、驚くほど心身が回復。医師からは「ホルモン療法の副作用で鬱状態だった可能性が高い」と告げられる。
「当時は知識がなく、まさか治療が精神面にも影響するとは思っていなかったので、その可能性について医師から事前に説明があったら…と。そうすればエンジニアの仕事も続けられたのに…と」
しかし、すでに陶芸の訓練校に合格していた海月さんは、もう後戻りはしないと決意。30歳にして、新たな道へと踏み出したわけだが、不安などなかったのだろうか。
「前職の経験から『自分はモノづくりが好きだ』という確信があったので、不安よりも『きっと楽しめるはず』という期待のほうが大きかったです。ホルモン療法に苦しんだ半年を乗り越え、体も気持ちも軽くなったタイミングだったこともあり、『よし、いっちょやるか!』と前向きな気持ちで新たなスタートを切れました」
これまた〝成り行き〟での入学ではあったが、「まさに〝嘘から出たまこと〟という形で、陶芸の世界にのめり込んでいきました」と語る海月さん。訓練校での学びは、ただただ楽しい時間だったという。
「一度社会に出たからこそ、学ぶ機会のありがたみを実感し、吸収できることはすべて吸収しようと前向きに取り組みました。社会人経験者が集まるクラスだったので、20代から60代まで多様な経歴を持つ仲間たちと学べたことも刺激的で。実技は初めてのことばかりで思い通りにいかないことも多かったですが、それすらもおもしろく、毎日夢中になっていました」
訓練校卒業後は、岐阜県多治見市の窯元で修行を積み、2004年には瀬戸の貸し工房を借りて独立。屋号を「海月窯(みづきがま)」として活動を開始したが、そこで直面したのは〝作品を売ることの難しさ〟だった。
「窯元での修業も貸し工房もご縁がつないでくれたものでした。独立後はアルバイトをしながら、作品づくりに試行錯誤。でも、作ること以上に〝作品を売ってお金に変えていくこと〟の難しさを思い知ることに…」
問屋を紹介してもらったものの、単価が安く、さらに値引きされてしまったことも…。そんな自身の交渉力のなさを悔しく思うことも少なくなかった。
「これまで仕事について少し自信を持っていたけれど、〝井の中の蛙〟でしかなかったんだなと。自分の考えが甘く、いかに世間知らずだったかに気づきました」
陶芸を仕事として成立させるために、何を作り、どう売るべきか模索しながら、グループ展の開催や『せともの祭り』での販売など、できることは手あたり次第に挑戦した。そのように悪戦苦闘しながらも、年月を追うごとにますます、陶芸のおもしろさや奥深さに魅了されていった海月さん。陶芸は自分に向いていると確信し、この道を続けるのだと決意を新たにする。
「夫の理解も得て自宅の横に工房を作ることにしました。当時は夫の会社の社宅に住んでいましたが、すぐに土地探しを開始。名古屋近郊でさまざまな物件を見た結果、瀬戸でいいご縁があり、自宅と工房を同時に建てることにしたんです」
独立してから3年後、先に完成した自宅の横に工房の建設を始めるも、そこで予想だにしなかったトラブルに見舞われる。縁あって古民家再生を手がける内装工2人組を紹介された海月さん。実験的な施工を取り入れることやモデルハウスとして工房を紹介することを条件に、格安で木造2階建ての工房を建ててもらえることに。しかしながら、〝材料が現金買い付けのため〟と、代金の2/3を前払いしていた大工が行方をくらましたのだ。
「外壁の下地と屋根が付いただけという状態で、建設は中断。知り合いの工務店から『外壁を仕上げないと建物が腐る』と指摘され、どうすることもできないまま、自分で続きを仕上げられないか?とネットで検索をしてみたり(笑)。胃の痛い日々でした」
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