みなさんこんにちは。
2022年の3月で私どもの施設も28周年を迎えます。これまで当館でも様々なお店の紹介や、企画を実施してまいりました。その中で2001年、ラーメン文化や明確なラーメンスタイルが無い地域に、郷土色や食文化を反映させた新たなラーメンの種を巻き、ゆくゆくはその地域にラーメン文化の華を咲かせる事を目的とした「新ご当地ラーメン創生計画」をスタートしました。
その第1弾の地域が沖縄で、プロデューサーには博多「一風堂」の河原成美氏を迎え入れ、出店事業主は、地元で居酒屋を運営されていた「りょう次グループ」の金城良次氏が選ばれました。
店名は琉球新麺通堂(りゅうきゅうしんめんとんどう)。2001年3月から2002年2月まで当館で出店した後、2002年8月に沖縄でオープンを果たしました。その後再出店という形で、現在ラー博で営業をしております。当時沖縄は「ラーメン空白地帯」と言われておりましたが、あれから20年、沖縄ではラーメンが食文化となり、目的通り沖縄にラーメンの花が咲きました。
その通堂さんでは今年20周年を迎え新たなラーメン文化発信として「新・おんな味」を発売しております。
コンセプトは「沖縄県民が心からホッとする味わい」です。本当に美味しいですので是非お試しください!
前回から3ヵ月ほど時間が経ってしまいましたが、このシリーズも今回が最終回となります。
この連載は「ラー博の何故?」と題して、これまで多くの方々からご質問をいただく何故についてお話をさせていただいております。初めて読まれる方はバックナンバーの順に読んでいただけるとわかりやすいかと思います。
第1話 何故新横浜に作ったのか?
https://lovewalker.jp/elem/000/004/051/4051791/
第2話 どのような経緯でラーメン博物館を作ったのか?
https://lovewalker.jp/elem/000/004/054/4054772/
第3話~ 何故?昭和33年の街並みなのか?
https://lovewalker.jp/elem/000/004/058/4058927/
第4話~ どうやってラーメン店を選んでいるのか?
https://lovewalker.jp/elem/000/004/066/4066838/
そして最終回は「どのようにお店が入れ替わるのか?」についてお話させていただきます。
第4話の「どうやってラーメン店を選んでいるのか?」というご質問と同じく、「どのようにお店が入れ替わるのか?」というご質問も多く聞かれます。
「売上が悪くなると入替えるんでしょ?」とよく言われるのですが、それは違います。私どもが選んだお店は惚れ込んでご出店いただいておりますので、常にずっといていただきたいという想いでおります。
その一方で“飛行機に乗らずに全国の銘店の味が味わえる”というコンセプトに則り、お客様に新たなサプライズ(新店舗)を提供したいという想いもあります。」
そのため、前話でお話したように“本店及びその周辺しかないお店“が他の地域に出店する事になるとお客様へのサプライズが薄れてしまいますので、ずっといてほしいという気持ちはありますが、卒業(入替え)という形になります。
ちなみに「卒業」というフレーズは、古くから私たちが使ってきたものです。退店という言葉はどうしてもしっくりきませんので、感謝と敬意をもって卒業という言葉を使うようになりました。今ではアイドル集団などでも退団されるときに「卒業」という言葉を使っておりますが、気持ちとしてはおんなじです(^^)
入れ替わるタイミングはそれだけではありません。
「もちろんラーメン店さんからも“首都圏での役割を果たしたので次のお店に譲りたい“というお話や“もう一度本店のある地元の基盤を築き上げたい“というお話をいただいたりして入れ替わる事もあります。」
「例えば博多 一風堂さんの場合は、今では考えられないかもしれませんが、1994年のオープン時には、博多の本店しかありませんでした。当館への出店後、恵比寿などに店舗を広げられたのですが、店主の河原さんより“店舗を増やしていきたいので、これ以上迷惑をかけられないのでラー博を卒業します“というお話をいただきました。卒業する頃、ラーメンブームも絶頂期で、当館の一風堂さんも、もの凄い売上だったのですが、そのような決断をしていただきました。」
そしてもうひとつは企画店舗としてご出店いただく期間限定店です。
冒頭お話しました琉球新麺通堂さんが生まれた「新ご当地ラーメン創生計画」や、新横浜着全国ラーメン紀行」、「ラーメン登竜門」、「みんなのふるさとラーメン」、「逆輸入ラーメン」等はスタートするときから期間が決まっております。企画によって変わりますが、例えば東日本大震災の復興支援として行いました“かもめ食堂“は、建築制限が解除されるまでの間、首都圏から気仙沼の魅力を発信し、その後、地元気仙沼に帰郷オープンするというプロジェクトでした。」
また過去に出店したお店が再出店することもあります。
これまで、和歌山の井出商店さんや、札幌のすみれさんには再出店していただきました。これはお客様からの多くのリクエストをいただいて実現したものです。すみれさんの場合は1度卒業された後、店舗を広げられたのですが、再出店していただく際は店舗を縮小し、最終的には札幌と当館だけの営業となりました。
これまで約28年間で50店舗のお店にご出店いただきました。50店舗が多いか少ないかはわかりませんが、50人の店主の方のご決断に、この場を借りて感謝申し上げます。そして私たちがお声がけしたお店に、足しげく通っていただいているお客様、そして裏方で支えていただいている取引先の方々、働いている従業員と、皆様のお力添えがあって今日が迎えられております。
私どもはこれからも、日本の食文化としてのラーメンを世界に広げるとともに、知られざるラーメンの歴史を調査し、100年後、200年後の方々に言い伝えられる施設を目指しております。
5話に渡るシリーズをご精読いただきありがとうございました。
次回からはひとつのプロジェクトがどのように誕生し、どのように実施されていったかというプロセスについてお話しできればと考えております。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
新横浜ラーメン博物館公式HP
https://www.raumen.co.jp/
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