〈後編〉藤井啓祐教授ロングインタビュー
量子コンピューターは新世界の神になる!?
誤り訂正技術が進化すれば、必要な量子ビットの数を減らせる
―― 量子ビットを並べるタイプの量子コンピューターで、量子ビットを作る方法がいくつか提案されていますが、藤井先生はどの方法が有望だとお考えですか? 前編では、今の技術の延長だけでは100万量子ビット、1億量子ビットは達成できないだろうとおっしゃっていましたが、そのあたりいかがでしょう。
藤井 今、先頭を走ってるのは超伝導です。その次がイオントラップという原子をつかまえる方法。それぞれ一長一短があります。超伝導の場合は、人工物なのできれいに同じ量子ビットを作ることができません。それぞれ個性が違う量子ビットを操らないといけないので、そこが非常に難しくなります。
1万量子ビットくらいまでは工学的な努力でスケールしていくと思いますが、100万や1億の単位にたどり着きたいのであれば、まず冷凍機のサイズが足りません。最近発表されたIBMのロードマップには、1万量子ビットを入れるための冷凍機開発が組み込まれています。
―― 温度はどれくらいまで下げる必要があるのですか?
藤井 動作している量子ビットの先端温度を10mK(ミリケルビン)くらいまで下げる必要があります。なぜかと言えば、量子ビットの制御を妨害するマイクロ波の放出がほとんどない温度がだいたい10mKだからです。量子ビットのエネルギー帯が5GHzから10GHzくらいなのですが、僕らが使っている携帯電話の周波数帯域は……。
―― 今は2GHzや3GHzですね。5Gになると4GHzとか。
藤井 ということは、量子ビットが意図せず制御されてしまうような電磁波が世の中には飛び交っている、と。こうしたノイズを減らすためには、電磁波の放出がほとんど無視できる温度で動かす必要があり、その温度がだいたい10mKなのです。
―― 数K程度でよいなら宇宙空間に持っていけば……と思ったのですが、そこまで冷やさなくちゃいけないのなら無理ですね。
藤井 そうですね。宇宙線もノイズになりますから、究極的に低温で、究極的にクリーンな空間を作らないといけません。そこまでしないと、量子がご機嫌を損ねてしまうのです。
一方、イオントラップの場合は、イオンは原子なので粒は最初から揃っていたり、標準技術(精密な時計)に使われていたりするので精度が高いという利点があるのですが、逆に捕まえている原子が消えてしまったり、電極を使った装置に一度にトラップできるイオンの数が限られるなど、そのままではスケールしません。
1万は厳しく、せいぜい100だと思います。100を超えてスケールするためには光チャンネルでつないで、別の真空チャンバーの中に捕まえたイオン同士を結合するなど、根本的に方法を変えないと。超伝導とイオントラップ、どちらも一長一短という感じですね。
―― あと、どちらの方法でも、量子ビットとして使える時間はすごい短いですよね。
藤井 頑張って延ばしてはいますが、それでも超伝導量子ビットで100μs程度なので、すごく短いです。ただ、それは量子ビット数が増えれば全部解決します。量子ビット自体の固有の寿命を超えて、量子情報を延命させるというのが、誤り訂正という技術なのですが、その誤り訂正には量子ビットが大量に必要なのです。前編でお話した1万量子ビットや1億量子ビットで精度保証ができる量子コンピューターというのは、誤り訂正で寿命を伸ばして、量子情報が守られている量子コンピューターなのです。
その時代までいけば、いわゆる量子の物理的な寿命は問題ではなくなります。僕らが使っている古典コンピューターでも、DRAMの情報は電源オフにしたら消えてしまいますよね。キャパシタに貯まっている電荷が放電したら終わりですが、電源をオンにしてる間は、放電する前にチャージしているから情報が残り続けています。量子ビットもそんな感じで、ぐちゃぐちゃに情報が崩れてしまう前に、情報を取り出して復活させるサイクルを繰り返せば、量子情報は生き残ります。
これの実現が我々の究極的な目標で、そのために100万量子ビット、1億量子ビットがいるというわけです。ただこれは現在のデバイスのレベルと理論を組み合わせると、それだけの量子ビットが必要という話ですから悲観的な数字です。誤り訂正の研究でブレイクスルーが起きたり、物理的にデバイスの性能が上がれば、その分オーバーヘッドが下がって量子ビットの必要数は抑えられます。
―― 藤井先生の研究室ではまさに誤り訂正を研究されていますから、その研究結果によっては、意外と近い将来に誤り訂正ができる量子コンピューターが実現するかもしれませんね。
量子コンピューターは世界を作る神になる!?
―― いわゆるシンギュラリティがいつ来るかという予測はいろいろありますが、だいたい2050年と言われることが多く、すごく楽観的だと2035年です。その時代ならば、先生が仰っていた誤り訂正ができる量子コンピューターも実現できそうです。では、その量子コンピューターはシンギュラリティに関わるのでしょうか?
藤井 シンギュラリティとは、人工知能が自分で人工知能を作り、その予測が人間を超えてしまうような状態、でしたか。
―― それこそターミネーターみたいに暴走するとか。
藤井 量子コンピューターが暴走してくれるといいんですけどね(笑) まあ、シンギュラリティと直接は関係ありませんが、1つ興味深いお話があります。
コンピューターって科学技術の進展にとって非常に重要だったと思うのです。たとえばゲーム理論、ライフゲーム、人工生命などはコンピューターシミュレーションが登場したことによって学問として生まれてきた分野だったわけですし、物理の分野においても必須のアプローチです。しかし1つ残念なことがあって、量子力学のルールと古典コンピューターのルールは全然違うので、何か面白い物理現象を思いついたときに、それをそのまま再現することができません。
ところが100万~1億量子ビット級の量子コンピューターが動き出すと、もはや本当の実験とコンピューターシミュレーションが区別できないレベルで、同じ物理現象で動いてるものの中で箱庭のように動かせるようになります。初期状態を変えてみたり、ルールをちょっと変えるなど、好き放題に実験できる環境が手に入るわけです。これは人間のインスピレーションや体験を大きく変えるでしょう。
―― ちょっと大げさかもしれませんが、世界を作れる神みたいなものですよね。
藤井 それを神と呼ぶかどうかはわかりませんが、物理法則がまったく同じ箱庭を作ることはできます。
―― しかもその箱庭ではさまざまなパラメータを変えることもできる。研究者にとっては夢のような世界です。
藤井 ええ。それが人間を超える知能に到達しうるかどうかまではわからないですけどね。
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