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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第434回

業界に痕跡を残して消えたメーカー ミニコン開発に奮闘したData General

2017年11月20日 12時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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ミニコンピューター市場でシェアを拡大が
NOVAの後継で顧客の期待を裏切る大失敗

 1970年にData Generalは早くも株式公開を行なうが、前述のようにOEMからの安定した受注、さらに株式公開によって得た資金のおかげで、同社は当初まったく債務を負わずに成長できた。

 1970年当時、ミニコンピューター市場の85%はDECが握っており、No.2がいないという言わば独占市場に近かったが、この市場をData Generalは容赦なく切り崩していく。とはいえDECもPDP-11を投入することで対抗しており、そう簡単にシェアを明け渡すのは許してくれはしなかったが。

 それでもData Generalは1975年に売上が1億ドルを超え、1978年には3億7990万ドルを達成、ついにFortune 500のランク入り(ただし1979年のランクは500位)する。

 当然これだけの売上を立てるためにはそれなりの社員数も必要で、結果1974年から1978年の間に7000人もの新規雇用をかけており、1978年末には1万830人にも達していた。つまり1974年から4年で3倍の規模に膨れ上がったことになる。

 ちなみにこの当時ミニコンピューターを含めた業界全体は年率40~50%の規模で拡大しており、Data Generalもこれにあわせて年率30~40%ほどの規模で売上を伸ばしていたが、こうなると市場の規模拡大に微妙に追いついてないわけで、同社のミニコンピューターでのシェアは8~11%程度に留まったのは、致し方ないところだろう。

 シェア拡大のためには、さらに売上を伸ばす必要があったが、Data General自身もすでにけっこう背伸びをしており、これ以上の拡大は難しかったと思われる。実際これが理由で1973年に一度客注を失敗している。

 もっともそれより失敗したのは、NOVAの後継シリーズである。まず同社はEclipseと呼ばれる新しい16bitマシンを1974年に発表する。これは次に出てくるEclpse MV/8000とはまったく別のものである。

 基本はNOVAに似ているが、仮想記憶とマルチタスクの機能を搭載している点が大きく異なる。また命令セットはマイクロコードを利用しての実装だった。事前の評価は高く、同社が1974年にこれを発表すると、既存の顧客から予約が殺到した。

 問題は、このEclipseが1978年まで出荷できなかったことだ。バグやらなにやらの問題が続出し、この修正や対処に4年もかかった、というのはいくらなんでもかかりすぎではないかと思うのだが、この結果として予約した顧客の下にEclipseが届くことはなく、キャンセルならまだしも訴訟を起こされまくることになったのは、地味に同社の体力を奪い、結局注文がDECのマシンに流れることになった。

 おまけにそのDECが1978年にフル32bitのVAX-11/780をリリースすると、さらに流れは加速することになった。もちろん1978年にEclipseが出荷開始されると、いくぶんこの流れは緩和されることになるが、同じ仮想記憶・マルチタスクながら片や32bit、片や16bitとあれば分が悪いのは明白である。これは当然Data Generalもわかっていた。

 Data Generalは1975年にFountainheadというコード名の32bitマシンの開発プロジェクトを立ち上げる。当初のスケジュールでは、1977年中にモノが完成するはずであったが、1979年の時点でもまだ完成から遠い状況であった。最終的にFountainheadのプロセッサー部が動き始めたのは1980年秋、全体の動作デモが行なわれたのは1981年11月のことである。この時点での製品完成予定は1985年とされていた。

 この遅れまくりのプロジェクトの動向は当然同社内でも知られており、これを待っていたら同社のシェアはなくなりかねなかった。そこで、当時ハードウェア担当のエンジニア(後に副社長)だったJoseph Thomas West III氏(一般にはTom Westとして知られている)は、“Eagle Project”として知られるスカンクワークス(秘密プロジェクト)を1978年4月に立ち上げる。

Fountainheadという32bitマシンを開発する裏で
秘密プロジェクトが動く

 これは16bitのEclipseをベースに32bitマシンを仕立て上げるというものだった。ここからのWest氏とそのチームの奮闘は「超マシン誕生」に詳しいので割愛する。当初Eagle Projectの目標とした1979年4月の完成はさすがに無理であったが、1979年中にマシンはほぼ完成、1980年4月にData GeneralはこのEagle Projectの成果物をEclipse MV/8000として発表する。

Eclipse MV/8000。一番左がMV/8000を収めたシャーシ。その右の2つはストレージとテープドライブ用のもの。ただ中央のシャーシにはなにも入っていないようである。撮影用の構成のためだろうか?

 構成によって差はあるが、例えば512KBメモリーと190MBのHDD、24台のターミナル、OSやコンパイラをパッケージにしたミドルクラスのもので25万8000ドルという価格で、NOVAシリーズに比べると一桁価格が上がる感じではあるが、それだけの価値があるマシンであった。

 競合であるVAX-11/780、それとFountainheadで開発されていたマシンの3つの簡単な性能比較によれば、以下のようになっている。いずれも数字が大きいほど高速になる。

競合マシンの比較表
  VAX-11 MV/8000 Fountainhead
Whetstone Single 1133 1307 2626
Whetstone double 725 1039 1595
US Steel Commercial 300 256 1254

 Fountainheadが一番性能が高いとは言え、実物がないのでは話にならない。一方MV/8000はほぼVAX-11/780と互角の性能であり、これは十分競争力があるとみなされた。したがってFountainhead Projectの方はプロトタイプの開発が完了した時点で中止とされた。

 もっとも結果としてEagle Projectが勝者になったとは言え、開発メンバーの少なからぬ人数が燃え尽き症候群に陥り、またEagleとFountainheadの2つのプロジェクトの間でものすごい社内抗争が繰り広げられ、これが後々まで尾を引くことになったあたり、必ずしもEagle Projectは成功とは言い切れなかったようにも思われる。

 とはいえこれにより再びData Generalは売上を伸ばし始める。時期が古すぎて有価証券報告書の情報は入手できなかったが、Fortune 500入りした関係でFortune 500のデータを元に、1978年以降の売上と純利益を表にまとめてみた。

1978年以降の売上と純利益
年度 売上 純利益 Fortune500
ランキング
1978 37億9900万ドル 4億300万ドル 500
1979 50億7500万ドル 4億9800万ドル 441
1980 65億3900万ドル 5億4700万ドル 409
1981 73億6900万ドル 5億700万ドル 379
1982 80億5900万ドル 2億4700万ドル 339
1983 82億8900万ドル 2億3100万ドル 335
1984 116億800万ドル 8億3300万ドル 279
1985 123億9000万ドル 2億4300万ドル 269
1986 126億8000万ドル -2億9000万ドル 255
1987 127億4000万ドル -12億7000万ドル 271
1988 136億5000万ドル -1億6000万ドル 272
1989 132億4300万ドル -11億9700万ドル 290
1990 122億3100万ドル -13億9800万ドル 301
1991 123億7000万ドル 8億5600万ドル 294
1992 112億7000万ドル -6億2500万ドル 328
1993 107億7900万ドル -6億500万ドル 328

 ご覧の通り再び同社は成長を始め、1985年頃まで好景気を享受していたことがわかる。おそらくもう少し早くEclipse MV/8000が投入できていれば、VAX-11シリーズのシェアをもっと喰えたであろうとは思うが、2年の遅れをとったわりには良い業績というべきかもしれない。

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