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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第422回

業界に痕跡を残して消えたメーカー スマホの原型を築いたPDAの最大手Palm

2017年08月28日 12時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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資金を得て開発したハードウェアが完成
PDAシェアの3分の2をおさえる大ヒットを記録

 U.S.Roboticsからの資金を得てPalm Computingが1996年3月に発表したのが、Palm Pilot 1000/5000である。ちなみにこのPalm Pilotという名前は日本のパイロット萬年筆(現パイロットコーポレーション)に商標権侵害で訴えられている。

 最終的には名前から“Pilot”を落としたPalmに変更しているが、当時はまだPilotの名前が使われているので、本稿はこのまま表記する。このPalm Pilot 1000/5000がどんなものか? というのは筆者が書くよりも塩田氏のこの記事を読んでいただいたほうが早いので割愛する。

U.S. Robotics「Pilot 1000/5000」

 Palm Pilot 1000と5000の違いは搭載メモリー(1000:128KB RAM、5000:512KB RAM)で、Palm Pilot 1000が当初の予定どおり299ドルだったのに対し、Palm Pilot 5000はややお高めな369ドルという価格であった。

 なお、少し後の1996年9月にマイクロソフトはWindows CE 1.0を発売する。このWindows CE 1.0は当初STB(Set Top Box)向けとして開発されていただけに意外な感はあったが、さまざまなメーカーがこれを搭載したPDAを手がけることになった。

 それにもかかわらずPalm Pilotは1996年末までに35万台、発売後18ヵ月で100万台を売るヒットになり、PDAのマーケットシェアの3分の2をおさえる勢いとなった。

 これを受けてマイクロソフトはWindows CE 2.0をリリースするとともに、これに“Palm PC”なる名前をつけて販売したことで、当然Palm Computingから訴えられることになり、あわてて引っ込めるといった騒ぎになっている。

 この間にU.S.Roboticsは3COMに買収され、Palm Computingは3COMの傘下で引き続き製品を出荷していく。塩田氏の記事にもあるように、1997年からはOEMビジネスも盛んになり、IBMやQualcomm、SONYなどが製品を出荷することで、PalmはPDAの一大勢力になった。

 1998年3月にはPalm IIIを発表、Palmは累計で160万台を出荷し、シェアは80%にまで高まっていた。1998年末には、ワイヤレスを搭載したPalm VIIも出荷されている。

 この頃になると、Hawkins/Dubinsky氏のコンビは3COMの傘下でビジネスを続けていくのが難しいと感じたようだ。1999年(1998年5月〆)と2000年(1999年5月〆)の3COMの有価証券報告書を比較してみると、1年の間に“Palm IIIx/Palm V/Palm VII/Palm OS/Palm.Net”といった商標が追加されているのがわかる。

 Palm VやPalm VIIはPDA製品だが、Palm.NetはPalmからwwwにアクセスするための通信サービスで、こうしたものは2人の創業者にはあまり気に入るものではなかったらしい。結局2人は1998年8月にPalm Computingを辞め、新しくJD Technologyという会社を興し、すぐにHandspring, Inc.に社名を変更する。

 このHandspringはPalm ComputingからPalm OSのライセンスを受け、Visorという低価格(149~179ドル)なハードウェアを発売した。

Handspring社のPDA「Visor」

 話をPalm Computingに戻すと、同社は1999年12月に新しいCEOとしてCarl J. Yankowski氏を迎え入れる。同氏の前職はReebok International Ltd.の運動靴部門マネージャーのトップだが、その前にはソニーやペプシコ、ポラロイド、General Electricなどを経験してきた、ある意味マーケティングのプロである。

 この1999年というのは競合メーカーの攻勢が厳しくなってきた時期でもあり、例えば1999年9月にはCOMPAQのAero 1500やHPのJornada 430などが、同程度の価格でより機能を充実させて投入されてきたが、その1999年9月におけるPalmの市場占有率は85%以上、年末には少し下がったがそれでも70%以上を占めていた。

 折りしもインターネットバブルが盛り上がっていた時期であり、親会社の3COMとしても本業とあまり相乗効果が見出せないPalm Computingを傘下に置いておくよりも、新規株式公開で売却益を得たほうが得だと判断したらしい。

 結局同社は200O年3月に新規株式公開を実施する。目論見は1株38ドルだったが、株式が公開されるとピークで165ドルに達し、終値は95ドルだった。この時のPalmの時価総額は530億ドルに達しており、これは親会社だった3COMを280億ドルも上回るものだった。

 なにせGeneral MotorsやMcDonaldを上回る金額であり、いかにバブルがすさまじかったかわかろうというものだ。この際3COMは8億ドルを上回る現金を手にしたため、U.S.Roboticsの買収金額の1割あまりをこれで回収できたことになる。ちなみに新規株式公開に際して、社名は再びPalm Inc.に戻った。

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