ストレージ以外でSCSIの用途を模索
企業買収を進め、勢いに乗る
1995年、Adler氏はCEOの座を退き、後任にはCOOを務めていたGrant Saviers氏が就いた。彼は1992年にWDからやってきた。
1986年の段階では売上は1億ドルに届かず、利益もわずかだったが、1995年には売上は4億ドルを超え、利益も1億ドル近くに達していた。特に1992年からは売上が毎年1億ドルずつ増えているような感じで、これにともなって利益も比例して増えていたため、Adaptecにとって未来は明るかった。
とはいえ、1990年の段階で同社の売上げの7割はSCSI関連製品、それもSCSIのストレージ関連に集中しており、このままではSCSIになにかあった場合に急激に会社が立ち行かなくなる恐れがあった。
これに向けて、Adler氏の時代からさまざまな方向性を模索し始める。その1つがイメージング関連で、プリンターやスキャナーをSCSIで接続するというものだ。
昔のドットインパクトプリンターならばいざしらず、高精細なレーザープリンターへの出力や、スキャナーで600/1200dpi以上での画像取り込みは、データ量が膨大なため、従来のシリアル/パラレルポートだと待ち時間が半端でない。
こうした用途に向けてSCSI接続というのは、確かに一時期流行した。実際筆者もSCSI接続のスキャナーやプリンターを使っていたこともある。
その後、Saviers氏の時代になってからは企業を買収してラインナップを拡充する方向に進み始める。1995年にはPower I/O、1996年にはCogent Data Technologiesを買収し、SCSIだけでなくFast Ethernetの製品を投入する方向を見せる。
さらに1998年には同じくSCSIコントローラーを販売していたSymbios Logic Inc.を買収しようとするが、これは最終的にFTC(Federal Trade Commission:連邦取引委員会)に独占禁止法抵触の疑いありということで成立しなかった。
ただそれでもAdaptecの1998年の売上は10億ドルを超え、営業利益も1億7000万ドルを超えていた。
そしてその翌年の1999年、Adaptecの売上は7億ドルまで下落、1329万ドルの営業損失を出すに至る。直接的な理由は、ドットコムバブルの崩壊である。
ATAPIとUSBが台頭
SCSIの終焉とともに会社も終焉
Adaptecの売上はさまざまなサーバーやワークステーション、PCなどの売上に比例するため、これらの機器がバブル崩壊で不調になると、Adaptecも影響は免れない。
これとは別に、Adaptecの市場は足元から崩れ始めていた。まずはデスクトップ機。Macintoshもさることながら、一時期は多くのデスクトップPCがなかば標準でSCSIを装備しているという時代もあった。
ただIDE/EIDEといった、より廉価で同等以上の速度が出る規格が1989年に標準化され、1995年頃にはもうデスクトップ機にSCSIというケースはかなりレアになりつつあった。
光学ドライブもATAPIの普及で、やはりSCSIの出る幕はなくなりつつあった。そしてプリンターやスキャナーは、USBの普及でやはりSCSIのマーケットがなくなっていく。
当初のUSB 1.1は速度の面で不十分だったが、USB 2.0になるとFast SCSIを上回る速度が出るようになっており、はるかに手軽だった。
こうした動向はAdaptecも理解しており、1998年11月にPTS(Peripheral Technology Solutions)事業部をSTMicroelectronicsに7300万ドルで売却している。1998年の売上や利益には、この売却益も貢献していたわけだ。
では同社はなに何で儲けようとしたかというと、サーバー向けストレージにはSCSIが必須であったため、ここに注目した。さらに単なるSCSIコントローラーではなくRAIDコントローラーなど機能の高い(その分価格も高い)製品が必要とされていたからだ。
ところがドットコムバブルの崩壊は、このサーバー市場を直撃した。この結果、同社は売れる製品がなくなってしまった、というのが実情に近い。
この後同社の売上げは急落していく。おなじみForm 10-K(有価証券報告書)から数字を拾ってみると、以下のようになっており、1998年をピークに加速度的に売上を落としている。
Adaptecの売上と営業利益 | |||
---|---|---|---|
年号 | 売上 | 営業利益 | |
1995年 | 4億6619万ドル | 9340万ドル | |
1996年 | 6億5934万ドル | 1億 338万ドル | |
1997年 | 9億3387万ドル | 1億 756万ドル | |
1998年 | 10億0729万ドル | 1億7288万ドル | |
1999年 | 6億4244万ドル | -1329万ドル | |
2000年 | 7億2917万ドル | 1億7079万ドル | |
2001年 | 5億7831万ドル | 3964万ドル | |
2002年 | 4億1875万ドル | -1億9618万ドル | |
2003年 | 4億 811万ドル | -1543万ドル | |
2004年 | 4億5291万ドル | 6291万ドル | |
2005年 | 3億7126万ドル | -1億4511万ドル | |
2006年 | 3億1015万ドル | -1億4843万ドル | |
2007年 | 2億2715万ドル | 3084万ドル | |
2008年 | 1億4550万ドル | -962万ドル | |
2009年 | 1億1477万ドル | -1019万ドル |
RAIDコントローラー以外にこれといって製品がないとまで言うと失礼かもしれないが、同社はNASやSANを提供しようとしたものの失敗しており、事実上RAIDコントローラ専業メーカーみたいな扱いになっていたため、これは致し方ないところか。
2007年には有名なヘッジファンドであるSteel Partnersが経営権を巡ってProxy Fight(株主委任状獲得合戦)を仕掛け、結局AdaptecはSteel Partnersの傘下となる。
Steel Partnersは2010年6月にAdaptecの資産をPMC-Sierraに売却してしまい、Adaptecは実態のない会社となったため、2010年7月に上場廃止となってしまった。
ちなみにPMC-Sierra自身も2016年1月にMicrosemi Corporationに買収されており、現在はMicrosemi Adaptecというブランドで引き続きSASあるいはRAIDコントローラー製品を販売中である。
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