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業界人の《ことば》から 第212回

銀座ソニーストア営業終了、新ビルは「ソニーファン創造の拠点」へ

2016年09月13日 09時00分更新

文● 大河原克行、編集●ASCII.jp

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今回のことば

 「ソニーファンを創造する拠点として、お客様に愛されるショールーム/ストアにしていく」(ソニーマーケティングの河野弘社長)

ソニーストア銀座が営業を終了

 東京・銀座のソニービルに入居していたソニーショールームおよびソニーストア銀座が、2016年8月28日に営業を終了した。

 2017年3月31日には、ソニービル全体の営業を終了。それに先駆けて、ひと足先に営業を終了した格好だ。そして、9月24日には、銀座4丁目交差点にオープンする「GINZA PLACE」ビルの4~6階の3フロアを使って、リニューアルオープン。銀座からソニーの「灯」は消えることはない。

ソニーショールーム

銀座の玄関として1966年にオープン

 もともとソニービルは、ソニー創業者である盛田昭夫氏の肝入れで建設されたものだ。

 いまから50年前の1966年4月29日にオープンしたソニービルは、「世界一地価が高い贅沢な場所に、電機専業メーカーがビルを建てることは、思い上がりも甚だしいと言われるかもしれない」としながらも、「だが、建てると決めた以上は最大の効果をあげるべく全力を尽くす」と決意。「東京・銀座の玄関として、ソニー本来のショールームの役割とともに、より有意義な建物を建設すべきである」とのコンセプトを掲げた。

銀座のソニービルに入居していたソニーショールームおよびソニーストア銀座が、2016年8月28日に営業を終了

 その結果、「こんな地価が高いところでは、どんな商品を売っても採算があわない」と判断。ソニー製品だけに留まらず、各社の商品が展示できる総合ショールームにすることを決意。自動車メーカーやオートバイメーカー、楽器メーカー、化粧品メーカーなどが、各社のショールームを出店。銀座の玄関を飾るに相応しいビルとしてオープンした。

 ソニーのブランド発信基地としてだけでなく、よりすぐった日本の製品を一堂に展示。このとき、すでに海外展開を開始していたソニーが主導し、銀座を国際的なロケーションへ導くためのショールームビルとして、ソニービルは誕生したのだった。

 もうひとつソニービルの特徴は、「ソニースクエア」と呼ばれるエリアを設けた点だ。

 数寄屋橋交差の角地の建物であるため、本来ならば、角部分に正面入口を設置するのが最適なのだが、ソニービルでは、角部分の33平方メートル(約10坪)に、「ソニースクエア」と呼ぶ屋外公共広場を設けた。

ソニーショールームの様子

 これも盛田氏のこだわりのひとつだ。

 銀座の街との一体化を目指し、様々なイベントを開催。1966年のオープン時には、八丈島などから取り寄せた約2000株のあせび(馬酔木)を植えたり、チャリティーイベントを開催。企業や団体などに貸し出すこともあったほか、四季折々の変化に応じたイベントが開催する場として利用されてきた。定番イベントとして固定ファンも多い、大型水槽を使ったソニーアクアリウムや、美ら海水族館との連動イベントも有名だ。銀座を訪れる人たちを楽しませてきた「ソニースクエア」は、電機メーカーの発想を超えた場所であり、多くの人に価値を提供するためのアイデアといえた。

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