高橋幸治のデジタルカルチャー斜め読み 第12回
映画「スティーブ・ジョブズ」を観る前に知っておくと10倍楽しめる
ジョブズ復帰とMac OS X、映画にないドラマチックな秘話とは
2016年02月10日 09時00分更新
暗礁に乗り上げた次世代Mac OSの開発プロジェクト
筆者は1994年末からMacPowerの編集に携わることになるが、当然この頃にもジョブズはAppleにおらず、ただ、当時の編集長の席のそばにジョブズの写真が神々しく飾られていたのを覚えている。
ほかにも当時のジョブズにまつわる記憶と言えば、1995年頃、MacPower誌上で筆者が連載を担当していた批評家の粉川 哲夫さんの事務所によく遊びに行っていたのだが、粉川さんは複数所有するコンピューターのメインマシンとしてNeXT Cubeを使用していた。
映画の中でもジョブズはその筐体の美しさを強調しているが、その佇まいは本当にただならぬオーラを放っており、粉川さん自身も賞賛していたし、筆者も何度か「買ってしまおうかしら……」という誘惑に駆られたことがある。
その頃のAppleのCEOはマイケル・スピンドラーであった。彼はスカリーの退任後、1993年から1996年まで同社の陣頭指揮を執る。
しかし、映画の中でジョブズが再三口にしていた「Macはクローズドな仕様であるべき」という禁を破り、Mac OSを他社にライセンスするいわゆる「Mac互換機」戦略を遂行する。Mac互換機は米国のPower Computing社やRadius社、DayStar Digital社、台湾のUMAX社からリリースされ、国内でもパイオニア、アキア、バンダイ・デジタル・エンタテイメントがMac OSを搭載した多種多様なマシンを発売した。
いまにして思えばこのMac互換機は当時のAppleの迷走状態を象徴するような戦略だったわけだが、さらにその迷走を加速させたのが次世代Mac OSの開発プロジェクトの頓挫である。
1991年にリリースされたOS「System 7」は小数点以下のバージョンアップを細かく重ねながら新機能を追加し進化してきたものの、次第に最新CPUへの適応が困難となり、将来的にも「プリエンプティブマルチタスク」や「メモリー保護」などを完全実装するために抜本的なOSの仕様変更が急務となっていた。
次世代Mac OSの開発コード名は「Copland」と呼ばれ、1994年からApple社内で開発が進められていたものの、その進捗はかんばしくなく、1996年、スピンドラーに代わって同社の再建を任されたギル・アメリオCEO(スターン版の「スティーブ・ジョブズ」にはアメリオが登場する)によってプロジェクトの中止が決定される。
これはつまり、Mac OSの新しい基幹構造を自前で用意することを断念したということであり、よそから次世代OSのための基盤技術を調達しなければならないという危機的な状況を意味していた。
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