丸の内、大手町、有楽町をエモいセンサーで巡る!「レトロさんぽ」 第35回

鉄道ファンなら当然知ってる? 東京駅「栄光と悲劇」の隠れスポット

文●岡田知子(BLOOM)

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 丸の内エリアの古きよきレトロなスポットを巡り、魅力を深掘りする本連載。今回はJR東京駅にある、知る人ぞ知るスポットを巡ってみました。赤レンガ造りの壮麗な丸の内駅舎などが有名ですが、実は駅構内にも多くの“レトロ”がありましたよ!

世界も認める日本の新幹線。この人なくして建設は実現しなかった!

 まずは「東京駅新幹線記念碑(鉄道建設記念碑)」に向かってみました。東海道新幹線の18・19番ホームにあるらしいので、入場券を購入してホームに行ってみましたが、え、そんなのあったかな…? ホームをどんどん歩いていくと、ありました、もう人もいない一番南端、柵の前ギリギリの場所に! 東海道新幹線には今まで何度も乗りましたが、こんなに端っこまで来たことはなかったなぁ。こんなところにひっそりと立っていたなんて。

18・19番ホームの南端にある「東京駅新幹線記念碑(鉄道建設記念碑)」。発着する新幹線を「行ってらっしゃい」「おかえり」と静かに見守っているよう

 記念碑は、JR東京駅の丸の内駅舎を思わせるようなレンガ造りにレリーフが埋め込まれ、なかなか立派です。もっと人通りの多い場所にあればいいのに(笑)。

 レリーフ左上の人物は、第4代国鉄総裁の十河信二(そごう しんじ)さんという人。東海道新幹線の計画を実現させ、「新幹線の父」とも称された人なのだとか。東海道新幹線が計画された当時は、予算や政治的な問題などから反対意見も多くあった中、「夢の超特急」の実現のために尽力したといいます。この人がいなければ、今のように速く、便利、安全に長距離を移動することはできなかったのですね!

第4代国鉄総裁の十河さん。主要幹線の電化や複線化、オンライン乗車券発売システムなども導入し、日本の輸送能力を飛躍的に向上させました

 右下のレリーフには「一花開天下春(いっかひらいててんかはるなり)」という文字が刻まれています。これは十河さんの座右の銘で、「長く寒い冬(苦労や忍耐)に耐えた先に、一輪の花が咲き、天下に春が訪れる」という意味。まさに東海道新幹線の歴史を表す言葉ですね。

 記念碑の裏側にも、いくつかのプレートがありました。刻まれていたのは各新幹線の走行区間と開業年月、キロ数で、東海道新幹線の「東京-新大阪 1964.10 552.6km」、山陽新幹線の「新大阪-岡山 1972.3 180.3km」「岡山-博多 1975.3 443.6km」という文字。東海道・山陽新幹線の東京~博多の運行は今でこそ当たり前ですが、開業当時から少しずつ延伸していったのですねー。

 目立たない場所に立つ記念碑ですが、その姿は、東海道新幹線から始まる日本の新幹線の歴史を体現しているようでした。

記念碑が建立されたのは、鉄道開通100周年の翌年にあたる1973(昭和48)年

東海道新幹線はここから始まる! 出発点となる「0キロポスト」

 記念碑を後にし、18・19番ホームを歩いていると、床面に星の形のようなレリーフが埋め込まれていることに気づきました。あれ? かなりの大きさなのに、今まで何度も素通りしていましたよ…。これは、東海道新幹線の「0(ゼロ)キロポスト」だそうです。「0(ゼロ)キロポスト」とは、鉄道の起点を示す0km地点のこと。つまり、東海道新幹線の走行キロ数はここから計測されているのですね! 長い鉄路がここから始まると思うと、なんだかワクワクします。

8号車付近にある「東海道新幹線0キロポスト」。東西南北を表すコンパスをモチーフとしたデザインです

中央に「新幹線起点」の文字が。レトロな書体がかわいいー。16・17番の東海道新幹線ホームにも同じものがあります

 そして、新幹線の17番線と18番線の間の線路脇にも、小さな0キロポストを発見! どちらかのホームに新幹線が停車していると隠れて見えないので、停まっていないときにぜひ確認してみてくださいね! これも8号車付近です。

線路脇の0キロポストには「0 KM」の文字が記されています

2人の首相が襲撃される悲劇の舞台となったJR東京駅

 新幹線の中央乗り換え口を出て、中央通路に向かう途中、今度は階段近くの床に不思議な印を見つけました。これも初めて見ましたが、なんだろう? 近くの柱に説明書きがあり、「浜口首相遭難現場」と書かれています。わ、なんだかおどろおどろしい雰囲気ですね。

中央の円の中に小さな六角形の印が埋め込まれている「浜口首相遭難現場」

 ここは、1930(昭和5)年11月14日、第27代内閣総理大臣の濱口雄幸(おさち)氏が銃撃された場所だそうです。岡山での陸軍特別大演習を参観するため、特急電車に乗ろうとホームを移動していたところを襲われたのだとか。応急手当と手術によって一命をとりとめ、一時は快方に向かったものの、翌1931(昭和6)年に亡くなったと記されていました。

 現在は新幹線の乗降客や観光客などの多くの人々が賑やかに行き交う場所ですが、そんな歴史があったなんて。あたりが騒然とする当時の光景が目に浮かぶようでした。

 実は、JR東京駅にはもう1つ「遭難現場」が残されています。1921(大正10年)11月4日、第19代内閣総理大臣の原敬(はら たかし)氏が短刀で刺された「原首相遭難現場」です。丸の内南口改札横の券売機前の床面にあるのですが、これは…、かなり小さい。すごーく小さい。気づきにくさは、過去イチかと思われます。

わかりますか⁉ 写真下の中央あたりにある丸い印が「原首相遭難現場」です

 目の前の壁に掲げられた説明書きによると、原首相は襲撃後すぐに駅長室で手当を受けましたが、残念ながら、すでに絶命していたそう。9年間に2回も首相の襲撃現場となったJR東京駅。ひっそりと残されている2つの「遭難現場」は、大正から昭和にかけての激動の時代を物語っているようでした。

 ちなみに、はじめは「東京駅で遭難って…?」と思いましたが、山や海の事故に限らず、「災難に遭う」という意味で、要人がテロや襲撃によって命を落とした場所を指す言葉として使われることがあると知り、納得。またひとつ勉強になりました。

「浜口首相遭難現場」と同じく、これも円の中に六角形の印です

 ということで、第35回の「JR東京駅の細かすぎる歴史スポット」のレポートはおしまい! 何度も利用してきたJR東京駅ですが、未知の歴史やストーリーがまだまだ隠されていますね。「さすが、日本の発展の歴史とともに歩んできた駅だな」と、改めて再認識した1日でした。

横浜生まれ、横浜育ち。おいしいものと旅が大好きなオカダです!

JR東京駅
住所:東京都千代田区丸の内一丁目9-1
時間:いずれも始発~終電時間まで

東京駅新幹線記念碑(鉄道建設記念碑):18・19番(東海道新幹線)ホーム南端
東海道新幹線 0キロポスト:16・17、18・19番(東海道新幹線)ホーム、17・18番線の間の線路脇
浜口首相遭難現場:駅構内1F 中央通路付近 9番・10番ホーム(東海道線)下あたり
原首相遭難現場:丸の内南口改札横 券売機前

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