Mr.ウォーカー・玉置泰紀がキーマンに聞く「新しい街づくりのOS」 第4回
【武蔵大学准教授・菊地映輝氏】「エヴァ批評少年から『産学連携の翻訳機』へ——武蔵大・菊地准教授が挑む、フェイクな関係を壊す『セレンディピティの設計』」
街づくり、街おこし、そして都市計画。その最前線には、常に常識を書き換える「キーマン」たちがいる。元ウォーカー総編集長であり、長年日本の街を見つめ続けてきた玉置泰紀が、いま最も話を聞きたい相手に直撃、大きく変容する日本の「新しい街の形」を紐解いていく。
第4回は、武蔵大学社会学部メディア社会学科准教授の菊地映輝氏。文化社会学を専門としながら、一般社団法人メタ観光推進機構の理事や、株式会社Lab.808の代表を務めるなど、研究・実務・コーディネートを縦横無尽に「越境」する人物だ。アニメ聖地巡礼から秋葉原の街づくり、そしてポップアップまで。デジタル技術が地域の固有文化を壊すのではなく、むしろ「増幅」させるための、2026年を見据えた新しい都市のOSに迫る。
【菊地映輝氏プロフィール】
菊地映輝 武蔵大学社会学部メディア社会学科准教授。博士(政策・メディア)。国際大学GLOCOM主任研究員等を経て現職。専門は文化社会学、情報社会論。一般社団法人メタ観光推進機構理事、東京文化資源会議幹事、株式会社Lab.808代表取締役。デジタル社会における文化現象をインターネットと都市空間とを横断しながら、実践的なアプローチで研究している。
批評本、ニコ動、サバイバル――越境する研究者の「計算と情熱」の履歴書
玉置: 菊地さんとは「東京文化資源会議」の3区地図協議会や秋葉原プロジェクト以来、数多くの現場を共にしてきましたが、実はその「正体」をじっくり聞くのは初めてかもしれません。まずは菊地さんのルーツから伺いたいのですが。
菊地: 1987年、札幌生まれです。「北海道出身」と言うと、皆さんもっと音威子府(おといねっぷ)とか弟子屈(てしかが)とか珍しい場所を期待されるんですけど、残念ながら(笑)都会の札幌育ちです。
玉置: 社会学を志したのはかなり早かったとか。
菊地:正直、今も社会学者と自称していいのか悩んでいますが、一応社会学を専門にしています。社会学に興味を持ったきっかけは小学5年生(1999年)頃に見た『新世紀エヴァンゲリオン』です。当時は、人よりもませていて、小学生ながらにエヴァに興味を持ちました。当時はテレビ放送や劇場版の放映も一通り終わっていて、エヴァを見るにはレンタルビデオ店でビデオを借りてくるしかなかった。
でも、茶の間に一台しかテレビがない家だったので、あの過激なアニメを親の前で見られなかったんです。そこで僕が目をつけたのが批評本です。親に本屋へ連れて行ってもらっては、エヴァの「批評本」を読み耽っていたんです。宮台真司さん、大澤真幸さん……当時論壇で活躍していた社会学者たちがエヴァを通じて社会を切り取る言葉に触れて、「自分もこの道に進みたい」と。
玉置: 小5で作品そのものより「批評」にハマる。まさに今の「メタ観光(対象をメタ視点で捉える)」の原点ですね。
菊地: そうかもしれません。その後、中2で明確に「社会学者」を将来の目標として志しましたが、受験は一筋縄ではいかなくて。親が理系の職種だったので、僕を理系に進ませたがったんです。高校でも理系コースに入れられて、全然文系の勉強をしていなかったんですが、まぐれで慶應義塾大学のSFC(環境情報学部)に受かった。2007年の入学ですが、これが人生の転換点でした。この年は、ちょうど「ニコニコ動画」が本格的に始まった年なんです。
玉置: まさに「ニコ動ネイティブ」第一世代。
菊地: 1日8時間はニコ動を見ていました。僕の今の研究テーマは文化がどのように生まれ、育っていくのかに興味がありますが、その原体験はニコニコ動画にあるんです。多くの人がご存知の通り、ニコニコ動画は今の日本のインターネット文化の基盤といっても過言ではありません。
玉置: しかし、研究者としての道のりはかなり泥臭いサバイバルだったと聞きました。
菊地: 大学2年で、ゼミのOBでもあった社会学者・批評家の濱野智史さんが働いていた会社でインターンを始めたんです。インターンと言っても実質的には弟子入りみたいな形で、濱野さんからはいろんなことを教えて貰いました。かなり鍛えられましたね(笑)。でも、正直なところ自分の実力が全然足りなかった。インターンとしてもあまり役には立てなかったように思います。
その後、自分の師匠筋のルートで、国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)との繋がりを得て、今度はそこでインターンを始めました。GLOCOMは、情報社会論という分野ではかなりの名門研究所で、哲学者で後にゲンロンを創業した東浩紀さん主導でised(情報社会の倫理と設計についての学際的研究)というプロジェクトが行われていました。既にインターンでお世話になっていた濱野さんも過去には働いていましたね。そんな名門研究所で今度は働き始めるんですが、濱野さんにしごかれていたせいか、今度は少し活躍できたんです。
そんな感じで人との繋がりの中からチャンスを掴んで、自分から扉を叩きながら、試行錯誤して築いてきたキャリアです。
玉置: 僕と菊地さんが初めて会ったのも、ある種の「殴り込み」でしたよね。
菊地: 2016年頃ですね。博士課程で秋葉原の研究をしていたんですが、東京文化資源会議の発足を知って、当時は若かったこともあり「どうせ秋葉原のことなんて何もわかっていないおじさんたちが秋葉原を語るなんて許せない」と総会に突撃した(笑)。そこで玉置さんと出会い、浅草橋でお茶をして意気投合したのが全ての始まりです。
玉置: 後に東京文化資源会議で秋葉原を対象にした「広域秋葉原作戦会議」プロジェクトが立ち上がり、僕も菊地さんと一緒にそのプロジェクトで活動していきます。その時、東京文化資源会議から菊地さんでは若すぎるからプロジェクトリーダーを任せられないということで、菊地さんの上司的なポジションだった庄司昌彦さん(現・武蔵大学教授)を連れてきたのも戦略的でした。
菊地: 庄司さんの下でインターンをずっとしていて、人となりやご専門はよく分かっていました。庄司さんは産学連携的なプロジェクトもたくさん手掛けられていましたし、庄司さんが過去に秋葉原を対象に勉強会をやっていたのも知っていた。まさに適任と思いました。母校である慶應義塾大学SFCの教育に「問題発見・解決型」の学びというのがあるんですが、そのおかげなのか、企業、街、社会の課題を見つけ、それを解決するにはどのような能力を持った人材をどう配置するかはわりと得意なんです。その能力を活かして、株式会社Lab.808という産学連携を支援する企業もひっそりと経営しているくらいです。
これを言ったら「何を上から目線で偉そうに」と庄司さんからは怒られてしまうかもしれませんが、僕が想像していた以上の活躍を庄司さんにはしていただけました(笑)。広域秋葉原作戦会議プロジェクトは、庄司さんのリーダーシップのもと東京文化資源会議内でも精力的なプロジェクトとして認識されていると思います。
本記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ている場合があります


