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遠藤諭のプログラミング+日記 第207回

上杉謙信と万世橋とYoのけそうぶみ第2版と文化勲章

秋葉原は「アキバノハラ」だったのか、「アキハノハラ」だったのか?

2026年03月14日 09時00分更新

文● 遠藤諭

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出典:PLATEAU

 毎週、秋葉原や神保町のあたりのどこかに出かけている。神田神保町は、英国『Time Out』の《世界で最もクールな街》に選ばれたばかりだが、秋葉原のほうも粘り強く《世界のアキハバラ》であり続けている。

 しかし、これだけ定着している地域について、その地名の本来の読み方や由来というのはあまり知られているとは言えない。『秋葉三尺坊の大冒険』は、《アキハバラの源流探究記》と副題したとおり、まさにそれをテーマとした私の文字どおり私家本である。それについて、ちょっと補足させてもらいたいことがあってこれを書いている。

 『秋葉三尺坊の大冒険』は、このコラムで秋葉三尺坊について書いたことがそもそも本を作るきっかけになっている。そこでも書いたとおり、秋葉三尺坊は、平安時代末期の修験者で、後に静岡の秋葉山で権現となり火伏の神として祀られるようになった。彼の名が「秋葉原」の地名の原点である。

 江戸時代には、その秋葉三尺坊大権現を祀った秋葉神社が全国に2万もあった(現在も1000以上あるそうだ)。私は、その二大本山の1つ、長岡は栃尾の秋葉神社(上杉謙信が作った!)に小学生のときに遠足で出かけた。小学生の私は、そのときに確実に三尺坊の説明を受けたはずである。ところが、そのことを1ミリも憶えていない。そこで、私の中の秋葉三尺坊を取り戻しに行くことがこの本のテーマになっている。

 つまり、《アキハバラの源流探究記》などとしているが、私のパーソナルな体験をもとに語られ、私なりに調べたことが書かれていて、その由来の地を訪ねて歩いた旅行記にもなっている。コミケに出展するため少しでも見てもらおうとPowerPointを駆使して描いたマンガまで収録されている(薄っぺらな割に豪華な構成)。

1990年代後半、買い物をして秋葉原を歩いている筆者。

 この本の中で「秋葉原」という地名についても言及しているのだが、その《読み方》についてはややあやしいところがある。文字として残されている事実を並べた上で、欄外に「Wikipediaの説明はちょっと違っている」という意味のことを書いたのだった。というのは、この原稿を書いている時点のWikipediaには、次のように書かれている。

 当地区の呼称が「あきはばら」として定着するのは、鉄道駅の開設以降とするのが定説である。後に地名の読み自体も「あきはばら」となる。なお、1890年(明治23年)に開業した時点では「秋葉原駅(あきはのはらえき、英語: Akihanohara Station)」であり、旅客は扱わない貨物専用駅だった。駅の呼称としては「あきはのはら」から「あきははら」に変化した後、1907年(明治44年)に「あきはばら」へと変更された。

 『秋葉三尺坊の大冒険』の中では、私は、1890年(明治23年)にできた日本鉄道の駅名「秋葉原」の発音として「あきばのはら」と書いた。根拠としては、『日本鐵道一覽表』(1892年=明治25年2月調)というものを示している(国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能)。つまり、Wikipediaでは最初の秋葉原駅の読み方を「あきはのはら」としていたのに対して、私は「あきばのはら」と書いている。3文字目が「は」か「ば」の違いがある。

 Wikipediaの根拠は参照として2つあげられていて、1つが「島秀雄 編『東京駅誕生 : お雇い外国人バルツァーの論文発見』(鹿島出版会、東京、1990年、4頁)という本である。この本の扉絵的な部分に「バルツァーの東京首都圏鉄道網想定図」が掲げられていて、その図の中に「Akihanohara」とあるのはたしかだ。しかし、この図の原典は『Mittheilungen aus dem japanischen Eisenbahnwesen und ueber den Plan einer Hochbahnverbindung in Tokio』(Franz Baltzer:日本の鉄道システムと東京の高架鉄道接続計画に関する報告)であって、図の題名のとおり駅の開業時のものではなく構想図である。

まさに秋葉原で山手・京浜東北線と総武線とが十字にクロスする絵を描いたFranz Baltzerの著作と後述の同人誌。さすがに彼も後年、秋葉原がオタクどもの楽園になるとは想像だにしていなかったろう。Baltzerは、日本の古い建築様式にも造詣が深くそうした著作もある。日本のあとはアフリカで仕事をしたようだ。

 Wikipediaのもう1つの参照は、私が示したのと同じ『日本鐵道一覽表』なのだが、2年後の1894年=明治27年6月調のものである。しかも、実際に中身を見ると欧文で「AKIBANOHARA」とある。これを「あきはのはら」とするのは、Wikipediaの記入者の明らかな誤記というしかない(ちゃんと見てよ)。

 『Early Japanese Railways 1853-1914: Engineering Triumphs That Transformed Meiji-era Japan』(Dan Free、チャールズ・イー・タトル出版、2008年)という日本の初期の鉄道について書かれた本がある。国会図書館の『日本鐵道一覽表』はどちらも「AKIBANOHARA」だが、この本に出てくる『日本鐵道一覽表』を見て作ったと思われる表(1903年なので10年ほどあと)は、「ば」から「は」になっている。

 秋葉原駅に関しては『秋葉原驛史 改訂版』(サークルTJ1914)という772ページもある凄い本があって古い資料が多数掲載されている。鉄道の歴史に詳しい方々にお聞きしたいのだが、1890年(明治23年)頃は、駅にひらがなやカタカナなどによる公式な駅名の表記はなかったのだろうか?

 駅名以前に地名としての秋葉原の読みも、さまざまな形でゆれていたことがよく指摘されている。国立国会図書館デジタルコレクションでさらってみると呼び名の変遷が見てとれる。「あきばがはら」、「あきはのはら」、「あきばのはら」が、明治の中盤以降。「あきばっぱら」などは、それより後から出てくるように見える(サンプルが少ないのでなんとも言えないが)。1911年(明治44年)に「あきはばら」の駅名となったとされるが(Wikipedia:1907年≠明治44年である)、その影響が大きかった。いまもある武蔵野文化協会の『武蔵野』(1935年11月号)に次のようにある。

 省線電車の交叉するところ、神田の街を見下す高いホームを持つのが秋葉原驛である。そのアキハバラの名も初からさう聞きつけた人には何でもないが、もし驛名が地名によって名附けられたものとすれば一寸意義を挿挟む余地はある。少なくとも神田ッ子はアキバノハラ乃至はアキハッパラと云っていた筈である。すぐそばの萬世橋も最初はヨロヅヨバシと云ひもとの橋柱にもさう書いてあった。交通機関の偉力は大きいから既に今の東京人にはアキバハラ、マンセイバシで何の不思議もない。

 「野の随想」(永田よしの)より

 省線電車というのは、鉄道省によるいまの山手線など近距離交通機関としての電車のことだ。地名としての「あきはばら」は、1930年半ばには定着していたようだ。念のため付け加えておくと「萬世橋」も駅名である。ちなみに、よく見るとこの文章の中で「アキハバラ」と「アキバハラ」が混在している。この本が出た当時から100年近くを経過したいまでも、「あきはばら」を「あきばはら」と言い違える人もたまにいる気もするから、なんとも罪深いネーミングというしかない。

 秋葉原を「あきはばら」と読ませたことに関しては、高田馬場を「たかだのばば」、蒲田を「かばた」などとともに指摘されていた(『図書館雑誌』1928年12月など)。「かばた?」と思われるかもしれないが、たしかに大正時代の文献では「かばたえき」という記述がある。それにしても、萬世橋も「ヨロズヨバシ」だったとは! ヨロズヨバシ警察、肉のヨロズヨになってしまうではないか。

 どうもこれ以上は、私のようなシロウトには手に負えない領域なのは明らかなので、ここまでとさせていただくことにする。欄外に書いたWikipdeiaに関する一文を補足するつもりが、すでにかなり恥ずかしい間違いを書いてしまっているかもしれない。『秋葉三尺坊の大冒険』の本文も次の版で少し表現を変えてみたいと思う。

鉄道庁『日本鐵道一覽表』(1892年=明治25年2月調)。2年後の1894年版もそうだが明確に「AKIBANOHARA」と読める。

『Yo のけそうぶみ -ほぼ復元版-』第2版とアスキー第二本社

 このコラムでも一度紹介させてもらった『Yo のけそうぶみ -ほぼ復元版-』の第2版が間もなく刊行されるようだ。2025年12月、秋葉原で74年の歴史の幕を閉じた万世書房(まんせいしょぼう=ヨロズヨショボウではありません)で発売されていることを伝えたが、その後、品切れ状態になり、なぜか私にも「絶対欲しい!」と相談が来たりしていた。

 あれから3ヵ月、まさにお待たせしましたという感じなのだが、情報統合の会のXのアカウントで告知されるとのこと。ぜひ入手したいという方は、アカウントをフォローしておくことをお勧めする。情報統合の会からは、1980年代『月刊アスキー』の人気コーナーTBNのイラストレーションを担当された井上泰彦さんの作品集も刊行されている。

 さて、その井上さんの『昔々あるところにコンピューター雑誌がありました』とともに、秋葉原は東京ラジオデパートのいかした電子部品店「Shigezone」と山手・京浜東北線ガード下の新しい秋葉原を象徴する拠点SEEKBASEにある「Akiba Robolabo Meetup」で発売されているのが、この原稿の前半で紹介している『秋葉三尺坊の大冒険』だ(こちらは東大池之端門前にある「古書ほうろう」でも売っていただいている)。

 『秋葉三尺坊の大冒険』について、あまり宣伝がましくなってはいけないのだが、秋葉原にあるアキバピープルの絶対の味方である「書泉ブックタワー」、そして同店の本店である神田神保町にある全国の全オタクどもの味方「書泉グランデ」にて、取り扱いをしていただくことができたことをお伝えしておきたい。

書泉ブックタワー1階で『秋葉三尺坊の大冒険』がKADOKAWAの元Walker総編集長のT氏をしてもビッツラさせたまさかの4冊面陳のようす。

 書泉といえば、私は、40年ぶりにコミケに参戦したと前述コラムで書いたが、その40年前に作った『東京おとなクラブ』を、当時、駿河台下にあった書泉ブックマートで、本当にたくさん売ってもらった。書泉は、最大級の《恩》のある書店さまである。いまも公式ページに「趣味人専用」とあるが、当時の書泉ブックマートは、本当に限りなく日本のコンテンツ文化の発展に寄与してきた。ここで売られていた膨大なバックナンバー等によって多くのクリエイターは育った。文化勲章は、こういう書店に与えられてこそ本物だと思う。

 『東京おとなクラブ』は、神田神保町で全発行部数10,000部のうち10%以上を売っていたが、そのほとんどが書泉ブックマートだった。もう、SFイズム別冊の『まるまる新井素子』と競うようにあるいは仲良く、地下1階の平台正面に並んでいたのが懐かしい。きしくも同書の表紙は吾妻ひでお先生、私の『東京おとなクラブ』も吾妻先生の作品が売りの1つだった。そういう時代である。

 ときは流れて、私はサブカルの世界から足を洗いアスキーの編集者になってパソコン街道をまっしぐらの日々を送ることになる。米国だとサブカルからパソコンの世界へは、ごく自然な流れなのだが、日本だと私ひとりくらいなのではないか(そんなことはないか?)。

正確な撮影年は不明だが本の街神田神保町の書泉グランデの上に「ASCII」のビルボードがのっている図。これを見て一部の関係者は「アスキーの第二本社」と呼んでいた。

 実は、書泉といえば神保町で最初にマンガ単行本を積極的に売りまくったお店でもある(その後、高岡書店などが有名になるが)。担当者だった古田島義和氏は、そのあと理工系書の担当となり、1990年代にはお世話になったエンジニアが本当に多い(私もそうだという人がこれを読まれている人にもかなりいるはず)。オライリーがめずらしかったような時代、とんがったエンジニアがお願いすると洋書もどんどん入れてくれた。

 まだネットもない時代、日本のコンピューター業界にとって間違いなく、これまた文化勲章級の貢献だったと思う。

 そんな書泉さんとも、ながらく不義理にしてしまっていたのだが、『秋葉三尺坊の大冒険』を持って恐る恐る「この本を置いてくれませんか?」とお願いしたところこころよくOKしていただいた。担当のHさんは、秋葉原に関する同人誌を揃えてみたいと思っていたところらしい(なんでも置いてくれるわけではないので念のため)。チチブ電機のおでん缶も忘れられようとしているいま、「新しい秋葉名物にしてください」とお願いした私である。

 こんな同人誌でも、《本》がおりなす人の関係や連鎖的に起こることが面白い。書泉ブックマートの4面陳列は 凄ごすぎる。書泉グランデでは『散歩の達人』の横に並べられていた。先週は、長岡市の職員の方たちが地域活性化センターの「ふるさとイベント大賞」を受賞(「トチオノアカリ」が受賞)したそうで、その帰りに訪ねてきてくれた。

 どうもこの夏の7月24日は、長岡市は栃尾の秋葉神社で行われる秋葉の祭りに出かけ、善男善女が無病息災・家内安全を祈ってやる「火渡り」をしなければならなそうだ(ちょっとヤケドするレベルとのこと=からかわれただけで大丈夫らしいのだが)。

遠藤 諭(えんどうさとし)

 ZEN大学客員教授。ZEN大学 コンテンツ産業史アーカイブ研究センター研究員。プログラマを経て1985年に株式会社アスキー入社。月刊アスキー編集長、株式会社アスキー取締役、株式会社角川アスキー総合研究所取締役などを経て、2025年より現職。MITテクノロジーレビュー日本版 アドバイザーなどを務める。雑誌編集長時代は、ミリオンセラーとなった『マーフィーの法則』など書籍もてがけた。2025年7月より角川武蔵野ミュージアムにて開催中の「電脳秘宝館 マイコン展」で解説を担当。著書に、『計算機屋かく戦えり』、『近代プログラマの夕』(ともにアスキー)など。


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