「月収5万円」から1500人の組織へ アイレットの成長を見届けた先に進む道
AWS黎明期を駆け抜けた後藤和貴の卒業――東京リージョン開設前夜からAI時代へつなぐ、エンジニアの心得
2026年03月17日 11時00分更新
クラウドのアーリーアダプターたち、シアトルのイベントで出会う
同じ時期AWSにインパクトを感じていたのが、現在AWSジャパンで執行役員を務める瀧澤与一さんだ。当時は大手システムインテグレーターSCSKの技術開発部マネージャーで、OSSを用いたプロダクト開発を手がけていた瀧澤さん。「オンプレミスやパブリッククラウドの環境を管理できるマルチクラウドコントローラーを作りつつ、AWSの事業やプロダクトを調査していました」と振り返る。
当時のシステムインテグレーターからすると、サーバーはデータセンターで運用するのが当たり前だったが、AWSはデータセンター前提のインフラ運用を抜本的に変革するテクノロジーだった。瀧澤さんは、「僕もデータセンターに通っていましたが、だいたい作業は深夜だったし、入ると出られないデータセンターも多かった(笑)。でも、AWSならリモートからサーバーをメンテナンスできるし、案件にあわせて仕様を変更できるELB(Elastic Load Balancer)のようなサービスも真新しかった。サービスの理解を深めながら、より合理的なITの形はこういうものなのかもしれないと感じる瞬間が多かったですね」と振り返る。
そんな瀧澤さんと後藤さんとの出会いは、シアトルでのAWSのイベント。まだAWS re:Inventも始まっていない頃のカスタマーイベントだ。瀧澤さんは、「AWSの社員でありながら、イベント名は忘れているんですが(笑)、パートナーからカスタマーボイスを得て、製品開発に生かすためのクローズドなイベント。たぶん道ばたで後藤さんに会って、イベントで仲良くなったんです」と語る。
このイベントには、AWSやJAWS-UGの認知度向上に寄与したISID(当時)の渥美俊英さんやNRI(当時)の野上忍さんも参加しており、メンバー同士でクラウドの切り拓く未来を共有できたという。「金融機関でAWSを利用するためのFISC安全対策基準はどうあるべきかをみんなでいっしょに議論しました。後藤さんの会社がやるようなエッジの効いた領域は難しいと思っていたので、エンタープライズのお客さまのブロック要因を排除する方向を意識しました」と語る。その後、瀧澤さんはAWSジャパンに2014年に入社し、金融機関や製造業、小売りなどでのAWS導入を推進していくことになる。
待ちに待った東京リージョンの開設 でもその後に
2010年当時のAWS導入の障壁は、最寄りのリージョンがシンガポールだったこと。クラウドのメリットは理解しても、海外にデータがあることに懸念を示すユーザー企業が多かった。後藤さんは「東京とシンガポールリージョン間の遅延は数十ミリ秒程度なので、遅延の問題はそれほど大きくなかった。でも、データを置く場所にこだわる会社はAWSを導入しなかった。もともとインターネットにあるWebサイトやECサイトなどをAWSに置き換えた事例がほとんどで、社内システムや基幹システムをクラウドに置くというアイデアはまったくありませんでした」と語る。
こうした中、アジアで2番目のリージョンとして、2011年3月2日に東京リージョンの開設が発表される。当時、AWSのエバンジェリストの玉川憲さん(現ソラコムCEO)は、ブログに「本日は、日本のIT業界にとっておそらく歴史的な一日となるに違いありません。私自身、この日をどれだけ待ち望んでいたでしょうか。」と書いた記念すべき日だった。
当然、アイレットでもさまざまなキャンペーンを行なって、一気にビジネスを拡大しようと考えたが、約10日後の3月11日に東日本大震災が発生してしまい、東京リージョン開設のお祭りムードは一気に消えた。代わりに立ち上がったのが、震災に際して公益性のあるサイトを優先的にAWSへ移設・復旧するために立ち上がったタイガーチームだ。
東日本大震災では、せっかく募金サイトを立ち上げても、トラフィックが集中して落ちてしまうということがたびたび起こっていたため、こうしたサイトにCDNのCloudFrontを導入したり、場合によってはサイトの作り直しまで担当した。これが実現したのは、玉川さんが米国に許可をとって、災害復旧にAWSが利用できるようになったことがある。
東京リージョン立ち上げ後の活動がまったく消えてしまったcloudpackのメンバーもタイガーチームに参加していた。後藤さんは「Skypeでやりとりしながら、宏康さんがインフラ、僕がミドルウェア、齋藤将平がアプリを担当してました。たとえばCPUロードアベレージが600以上になっていたサイトの復旧のためインスタンスタイプを変更したり、アプリ設定をしていましたね」と振り返る。災害時ならではのイレギュラーなシステムとは言え、クラウドの実力が発揮された瞬間だった。










