戦国LOVEWalker総編集長・玉置泰紀のお城探検 第5回

お城探検第5弾は、山城の中でも屈指の人気を誇る、自然の巨岩を活かした日本のマチュピチュ「苗木城」に行ってきた

文●玉置泰紀(一般社団法人メタ観光推進機構理事)

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 お城探検連載第5弾は、京都新城、二条城、熊本城、大阪城ときて、初の山城、苗木城を探検するぞ。岐阜県中津川市にある人気の山城だが、市内を東西に貫流する木曽川の右岸にそびえる高森山(432メートル)に築かれている。ダイナミックな地形は勿論、特にユニークなのは、全国でも珍しい天然の巨岩を取り込んだ石垣。山城ではよくつかわれる比喩だが、大矢倉のあたりは、まさに”マチュピチュ”を思わせる。筆者も、「苗木城跡案内ボランティアの会」の曽我秀夫会長の案内で豪快な山城を歩いてみた。

 苗木城が築かれたのは、戦国時代のことで、遠山一雲入道昌利が植苗木から高森山に館を移した大永6年(1526年)が始めと考えられる。その後、遠山一族により、館から砦、本格的な城郭へと改修・拡大されていく。その後、武田勝頼と縁戚関係を結んだり、徳川家康と結んで落城したりしたあと、本能寺の変が起こり、織田方の猛将、森長可に城を奪われて、徳川方に身を寄せた。

 しかし、関ヶ原の戦いの前哨戦で、徳川家康の命を受け、慶長5年(1600年)、遠山友政が、西軍についた河尻秀長の苗木城を攻め、18年ぶりに奪還に成功した。この功により、遠山友政は苗木領1万521石(のちに5百石減)の大名になった。遠山氏は、明治に至るまで260余年、苗木領主として初代の友政から12代・友禄まで、この地を治めた。一般的に1万石の大名は城を持たず陣屋に住んでいたが、幕末期の大名のうち、苗木城の遠山氏だけが城持ちだった。

足軽長屋跡からの天守跡の眺め。苗木城の全景を撮るのには絶好の場所

苗木城の頂上、天守展望台の前で筆者。石垣に使われた天然の巨岩が迫力

ついていくのが大変なぐらいの健脚、ボランティアガイドの曽我さん。多いときは一日4回、案内して上り下りすることもあるという

かつての苗木城の再現イラストを使った看板

お城巡りはここからスタート

360度の絶景が楽しめる天守展望台や巨大な馬洗岩、マチュピチュのような大矢倉が春夏秋冬、四季折々楽しめる

 苗木城の石垣は天然の巨岩を活かした、全国でもユニークな山城だが、特に天守台や大矢倉は、岩を抱きかかえるようにして石垣が詰まれており実にビジュアルが強烈。これは逆に築城をした当時は岩山と言う地形による制限があって、利用できる土地に限りがあり、岩に柱を立てる穴をあけたり、清水寺の舞台のように、傾斜が急な崖や渓谷、川の上などに建築する伝統技法である懸造りを採用するなど、さあざまな工夫が凝らされている。天守後に設けられた展望台は、当時の柱穴を使って、構造の一部を復元している。

 昭和56年(1981年)には、小藩ではあるものの、戦国時代の面影をとどめている近代城郭であり、貴重であることから、国史跡に指定された。また、平成29年(2017年)には「続日本100城」に認定され、2018年には、専門誌「日本の城ベストランキング」(晋遊舎)の「山城」部門で1位に選ばれたこともある。

 高森山の山頂にある天守跡から、麓を流れる木曽川までの標高差が約170mあり、天守跡の展望台からは恵那山や木曽川をはじめ、中津川市街を360度見渡せる。春には、城内や隣接するさくら公園に桜が咲き誇り、夏の新緑、秋の紅葉、冬も、条件の良い晴れた日には雪化粧した恵那山と中央アルプスを望むことができ、早春には、ヤブツバキや馬酔木の花が楽しめ、四季折々の風景が楽しめる。

 また、兵庫県の竹田城跡など、雲海に浮かぶ山城の絶景が人気だが、この苗木城も別称が「霞ヶ城」と呼ばれ、晩秋の早朝などには、木曽川から霧が立ち込め、幻想的な風景が広がる。

 城跡入口付近には、苗木城に関わる貴重な資料を展示している「苗木遠山史料館」があり、城跡を案内するガイドの受付を行っている。個人から団体まで、歴史背景などを聞きながら城跡巡りをしたい人は利用出来る(要予約、12月〜2月冬期休止)。

 赤壁城伝説。

「昔々、苗木城は赤土の壁で白く塗られていなかった。ある時、白く塗られ美しく出来上がったが、突然、空が暗くなり、嵐が一晩中吹き荒れた。朝になって、お城を見ると元の赤壁に戻っていた。再度、更にしっかり美しく白い壁が塗られたが、又も黒い雲が現れ、木曽川から龍が出現しお城を幾重にも巻き、鋭い爪でがりがりと白い壁を削り取ってしまった。こうして、元の赤土の壁になり、それからはずっと赤い土の壁のままになり、赤壁城と呼ばれるようになったとさ」

 実際には、苗木藩が経済的に弱体で漆喰を塗る経費が捻出できなかった事を、こういったお話としたのかもしれない。1万石で城持ちの藩は基本無く、城を維持するのは大変で、廃藩置県のあとは、明治4年(1871年)、苗木城にあった苗木藩庁が元雲林寺、藩校「日新館」へと移されたことから、城の家屋・家具調度まで売却となった。 苗木藩庁は旧幕時代の多額の債務解消が急務であり、解体された柱1本1本がそれに充てられたと言う。

【石垣】城内には、そこここに石垣が残っているが、戦後時代から改修・拡張を重ねていることから、野面積み(のづらづみ)や切込接ぎ(きりこみはぎ)、打込接ぎ(うちこみはぎ)、谷積み(たにづみ)など、年代によって異なる技法の石垣が楽しめる

【巨岩の柱穴】巨岩を利用した石垣の上に建造物を作るために彫り込まれた柱穴

【大矢倉】まるでマチュピチュのような石組。三階建ての大きな矢倉が建っていた。御鳩小屋とも呼ばれていた

【千石井戸】山城で欠かせないのは水源。これがないと籠城は不可能になる。天守近くのかなり登ったところにある井戸だが、今も水が湧き出ている

【天守展望台】展望台からの360度の絶景は素晴らしい。天守の柱を再利用した展望台の骨組みも楽しい

【馬洗岩(うまあらいいわ)】周囲約45メートルの巨大な花崗岩質の自然石。天守台跡の南下にあり、かつて、苗木城が攻められたときに、この岩の上に乗せた馬を水に見せかけた米で洗って、水が豊富であると敵を欺いた事が名前の由来

■苗木城概要(苗木遠山資料館)

住所
岐阜県中津川市苗木2897₋2

開館時間
9時30分から17時00分まで(入館は16時30分まで)

休館日
毎週月曜日(月曜日が祝日等にあたる場合はその翌日)、12月27日~1月5日(臨時休館すること有り)
*休館日にもトイレ等の無料スペースを一部開放している。 開放時間は9時30分から15時30分。ただし、冬季の12月、1月、2月は開放しない

入館料
一般 330円、団体(10名以上)270円、中学生以下無料

苗木城跡ボランティアガイド
一人でも団体でも受ける。希望者は1週間前に、メールまたは電話・ファックスで連絡が必要。日時・参加人数・希望事項(特に見たい所、解説して欲しい事など)を伝える。ボランティアガイドは史料館に常駐していないので、要望に添えない事もあり。冬期(12〜2月)のボランティアガイドはお休み。
・メールは以下のアドレスへ
naegijyo_guide@city.nakatsugawa.gifu.jp
・詳細は以下のリンクへ
https://www.city.nakatsugawa.lg.jp/museum/t/activities/naegijo_guide.html

同館の公式サイト
https://www.city.nakatsugawa.lg.jp/museum/t/index.html

一般社団法人中津川観光協会公式サイトから「国指定史跡 苗木城跡