【前編】ソリッド・キューブ原田奈美社長インタビュー
初音ミク、アイマス、ウマ娘の「モーション」を担う会社ができるまで
2022年11月19日 15時00分更新
「アクターで良し悪しが決まる」と思い知った
―― 原田さんとしては、こうした黎明期にお仕事を始めたことで掴んだものや手応えはありましたか?
原田 やはりこれからの時代重要視されるものは「アクター」だな、と。
あの時期、モーションのアクターを務める人はアクション俳優さんかダンサーの方がほとんどでしたが、私は声優業界が長いので、ダンスにも「芝居」の感覚を入れようと思いました。
Project DIVAはミュージックビデオのような形でしたので、ダンスもありつつ、お芝居要素もたくさん入っていました。そのような作品に携われたことで、『芝居とダンスの融合を意識してモーションを作っていこう。それをうちの会社らしさにしていこう!』と、早い段階で方針を定めることができたんです。
―― 当時、同業他社さんはどのくらいありましたか?
原田 当時、モーションアクターの専門会社はまだ少なく、うちと活劇座さん合わせても数社くらいでしょうか。他の事務所さんは格闘ゲームなどの「アクション」や「演技」に特化しており、「ダンス」が求められる場合、フリーのダンサーさんもしくはダンサー事務所さんに頼むことが多く、ダンスモーションを専門にする同業他社さんはほぼいませんでした。
―― 「ダンス」の競合他社がいなかった。それは大きい!
原田 ただ、競合他社がいないから事業を続けていこう、となったわけではないんです。どちらかというと私自身のモチベーションが大きかったと思います。
私がなぜモーション事業に力を入れていくようになったかというと、モーションの仕事が楽しかったことのほかに、「先行者が少ない未開拓な業種」だったことが魅力でした。
―― それは、シェアを奪う他社がいない、ということですか?
原田 それよりも、私は「正しいやり方はこれなんで!」と言われるような決まりきった業界では、私たちのような小さな会社は戦っていけないけど、これからの業界ならチャンスがあるなと思ったからでした。
私はスタイルキューブに入社したときに、『いつか社長になりたい』と思っていました。野口も「原田さん、僕のあとを継いでね」と言ってくださっていて。将来は社長になりたい、というモチベーションで働いていたんです。
でも、初めてマネージャーとして声優業界に飛び込んだとき、業界のことがわからなくて、声優業界では「常識」とされていることを「知らない私」にずっと自信を持てないままでした。
そして『ここでは何をやっても、先に始めた人には勝てないな』と思ったとき、若干がっかりしたというか、将来の展望が見えなくなりました。
でも、モーション業界はこれから始まる業種だから、まだ常識がありません。私たちは、それぞれが「正しい」と思う作り方を追求していけます。
―― 社長として戦える場所としても、始まったばかりのモーション業界は魅力的に映ったのですね。
キャラのダンスはまず「ゲーム」から求められた
―― 先ほど、初音ミクのゲーム『Project DIVA』のお話が出ましたが、2009年当時、キャラクターのモーションは、どんな媒体や作品で求められたのでしょうか? たとえばアニメとか。
原田 当時はほぼゲームですね。モーションはすごくお金がかかるので、アニメ業界では使えるところは限られていたのかもしれません。実際、私たちの仕事も2009年からの2~3年間はゲーム関係のみです。
また、初音ミクのほかにもアーケードゲームでダンスの撮影をすることはありましたが、それは「リファレンス動画」と言って、クリエイターがキャラクターの動きを決める際に参考にするための映像だけでした。
本当にモーションキャプチャースタジオで踊り、その動きを3DCGキャラクターに反映させるという「モーション」を使うのは、初音ミクぐらいでした。ただ、ミクはゲーム以外にもたくさん収録していて、いわゆるCGライブも同じ時期に始まっています。
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