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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第520回

多数の部門を抱える大規模組織に成長したHP 業界に多大な影響を与えた現存メーカー

2019年07月22日 12時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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多数の部門を抱える大規模組織に成長

 HPは、コンピューターメーカーの仲間入りはしたものの、別にコンピューター専業というわけではなく、計測機器やマイクロ波、医療、電卓など多数の部門を抱えていた。1970年代末の状態で言えば、アメリカ国内だけで以下の部門が存在していた。

HPの各部門
部門 概要
New Jersey HPが1959年に買収したBoonton Radio Company(当初はBoonton Radio Divisionという名前だったが、その後移転してRockaway Divisionに改称)と、1962年に買収したHarrison Laboratories(こちらはHarrison Division)が1971年に合併したもの。Rockawayは航空機向け計器類や測定器関係を、Harrisonはテレビカメラ関連機器などを主に扱っていたが、合併後はこれに加えてMultiprogrammerと呼ばれる、コンピューターに周辺機器を接続するためのI/Fを手掛けるようになる。
Loveland コロラド州の製造拠点。最初は電源ユニットの製造を手掛けており、(前回触れた)HP 9100Aやその後継製品の開発と製造を1977年まで続けている(1977年に、これらはFort Collins Divisionに移管された)。ちなみに1981年の時点でLoveland Divisionは3000人以上の従業員と、全世界の売上比率で5%以上を担っており、しかもその売上の8割は電圧計およびソースアナライザーという計測機器系製品だったそうだ。
Neely Sales 1962年に買収したNeely Enterprisesがそのまま部門となった。ここは顧客への製品直販を担った。
Colorado Springs CRTを中心とした映像関連製品を手掛ける部門。当初はオシロスコープを製造していたが、これによってCRTへの知見を得たことで、コンピューター向けCRTのビジネスが急速に発展し始めていた。
Mountain View 1965年に買収したDatamec Corporationのビジネスを引き継ぎ、テープドライブやディスクドライブの製造が中心であった。
San Diego 1958年に買収したF.L. Moseley Companyが元で、当時はMoseley Divisionだったが、1970年に拠点をSan Diegoに移転。Moseley Division当時のXYプロッターなどを含む記録機器と、電卓の製造も担っていた。1979年には熱転写プリンターの製造も開始している。
Cupertino コンピュータの製造拠点として立ち上げられ、HP 2000シリーズの開発・製造に携わった。後にMountain View Divisionと合併し、Data System Divisionに生まれ変わる。
Advanced Products HP-35からスタートする小型電卓の開発・製造を担った。ただ1974年には1億1200万ドルもの売上を立てたものの、1970年代後半にはTIとの価格競争に陥り、1978年には7000万ドルまで売上が落ちている。後に拠点をオレゴンに移し(当初はカリフォルニアのクパチーノにあった)、Corvallis Divisionになる。
Data Systems 1972年にMountain View DivisionとCupertino Divisionが合併して成立した。HP 2000シリーズやHP 3000シリーズ、さらにはSpectrumの開発がここで行なわれていた。
Boise もともとはData Systems Divisionが1973年に開設した拠点であり、当初はテープドライブなどを製造していたが、後にインパクトプリンターやレーザープリンターなどの製造拠点となる。
General Systems Data System Divisionから1975年に分離した部門で、当初はクパチーノに拠点を置いていたが、後にサンタクララに移動する(その後、再びクパチーノに移動した)。ここはHP 3000 Series II以降のマシンの製造と、HP 2000シリーズの製造、さらに低価格なHP 300シリーズの開発・製造などを担っていた。
Data Terminals 1975年にData Systems Divisionから分離した。主にターミナル(端末)を製造していた。後にData System Divisionの一部と合併して、Personal Office Computer Divisionを構成することになる。
Disc Memory こちらはBoise Divisionから1976年に分離した。主にHDDの製造を担っていた。
Corvallis Advanced Products Divisionがオレゴンに移転して新たに結成された。当初こそ価格競争のあおりを喰らって業績が低迷していたが、LCDを搭載したHP-41Cのおかげで再び息を吹き返す。1980年代に入ると、まずHP-80シリーズを手掛けていた部隊がPersonal Computer Divisionとして分離し、その後にCorvallis Divisionと再び合併してPortable Computer Divisionとなる。
Fort Collins 1977年にLoveland Divisionのそばに開設され、当初はHP-250シリーズのミニコンピューターを開発・製造していた。1978年にはLoveland Divisionから電卓関連製品の開発を移管されてDesktop Computer Divisionに改称、1979年にはHP-250シリーズの製造を逆にGeneral Systems Divisionに移管する。
Direct Marketing もともとは1976年に部門を超えてHP製品全体のサポートを担うCustomer Service Divisionが構成されていた。これに加えて1978年にはComputer Supplies Operationというサプライ品のカタログ販売がスタートした結果、この2つがDirect Marketing Divisionという独立部門に構成され直した。

 他にも本社直轄部門などがいくつかあった(昔からの測定機器などは直轄部門でハンドリングされていたらしい)ようだが、いかに大規模化していったかがわかる。

 ちなみに海外拠点としては日本のYHP以外にBoeblingen(ドイツ)、South Queensferry(イギリス)に部署が置かれ、製造拠点としてはシンガポールもあった。これらは営業所ではなく1つの部門として扱われるほど大規模な陣容になっていた。

※お詫びと訂正:Vancouverはカナダに置かれた海外拠点と紹介しましたが、正しくは米ワシントン州(ポートランドの北4kmほどのところ)でした。記事を訂正してお詫びします。(2019年8月5日)

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