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中の人が語るさくらインターネット 第11回

「さくらの学校支援プロジェクト」を育てた朝倉恵氏に聞く、支援活動で学んだこと

“元・幼稚園の先生”がデータセンターで働き、プログラミング教育支援に携わるまで

2019年07月30日 08時00分更新

文● 谷崎朋子 編集●大塚/TECH.ASCII.jp 写真● 曽根田元

提供: さくらインターネット

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 「さくらの学校支援プロジェクト」は、2017年にさくらインターネットがスタートさせたプログラミング教育支援プログラムだ。「石狩市への小学校プログラミング教育支援プロジェクト」として始まったこの取り組みは、石狩市内の小学校でプログラミング教育の授業を行えるようにするという当初の目標の達成見通しがついた今、新たな名称で北海道内全域を視野に入れた展開も開始している。

 そんなプロジェクトを立ち上げ、ここまで育ててきたのが、さくらインターネットの朝倉恵氏だ。“元・幼稚園の先生”というIT業界では異色の経歴を持つ同氏に、IT業界に足を踏み入れたきっかけ、プログラミング教育支援プロジェクトに携わるまでの道のり、プロジェクトを進める中で遭遇した驚きや課題などを聞いた。

さくらの学校支援プロジェクトで展開している小学校への「出前授業」

さくらインターネット 技術本部 ビジネス推進グループ さくらの学校支援プロジェクト シニアプロデューサー 朝倉恵氏

幼稚園教諭→Webデザイナー→プログラマー→サーバー管理者→?

 「実は、コンピューターを使う仕事にはずっと憧れがあったんです」。北海道で生まれ育った朝倉氏は、そう明かす。

 地元にある藤女子短大の保育科を卒業後、夢だった“幼稚園の先生”になった朝倉氏。それから通算13年間、幼稚園教諭や保育士として子どもたちの育成に携わってきた。だが、主任となってクラス担任から離れることになったころから、このままでいいのかと将来のキャリアについて考え始めたという。

 そんなときに脳裏をよぎったのが、卒業後にIT業界へ進んだ同世代の友人たちの姿と、コンピューターに興味はあったものの「理系じゃないから」と進路の選択肢から外した当時の自分だった。

 「幼稚園で働いていた当時、ボーナスをためてパソコンを購入したんです。そのときはExcelやWordを少し使う程度でしたが、コンピューターを使うとこんなに仕事が速くなるのか、こんなに便利なんだと気付きました」

 さらにその後、幼稚園でホームページを立ち上げることになり、朝倉氏がその管理を担当することになった。ホームページ制作そのものは外部業者に委託していたが、「ホームページってどうやって作るんだろうと、業者さんが作ったHTMLのソースを見て、中身はこうなってるんだと理解し始めてから面白くなってきました」と、興味は深まるばかりで、昔あきらめた“パソコンを使う仕事”をしたいと、思い切って転職することにしたという。

 当初は札幌市内で職を探したが、一般企業での就業経験がなかったため、そうした仕事への就職は難しく、人材派遣会社にも登録を断られるほどだった。「それならば東京で就職活動をしよう」と引越しを決断。東京で「“体力と気力”が一番のウリで、給料は安くても構わない」と求人募集に手当たり次第応募した結果、ちょうどWeb制作部門を立ち上げようとしていた社員10名ほどのデザイン会社に採用が決まった。

 入社後は「Adobe Photoshop」や「Adobe Illustrator」の使い方を学び、さらにはオンラインでデータ登録を受け付ける動的なページを作るために、人生で初めてプログラミングも経験した。こうした実績を積んだことで、以前は登録を断られた派遣会社にもすんなり登録できるようになり、さらなるステップアップを目指して転職。ケータイコンテンツ制作会社で、当初は派遣社員として、その後は正社員としてプログラマーの仕事をすることになる。

 ところがあるとき、この制作会社から社員が大量に辞めてしまった。ふと見回すとエンジニアとして残ったのは朝倉氏だけ、そして管理者のいなくなったコンテンツ配信サーバーもそこに残されてしまった。サーバー管理の経験などなかった朝倉氏だが、「残されたものはどうにかしないといけない」とサーバー管理の担当を余儀なくされた。「親会社の方に教えてもらいながら、ひたすら見よう見まねでサーバーをお守りしていました」。

 サーバー管理を手がけるようになったことをきっかけに、朝倉氏はデータセンターにも出入りするようになる。もちろんわざわざデータセンターに足を運ぶのは何かトラブルが起きたときなのだが、朝倉氏は「なぜかトラブル対応の“火消し”が楽しく、快感になってしまいました(笑)」と語る。この経験から、いずれはデータセンター関係の仕事に就きたいと考えるようになったという。

 その後、現在はさくらと様々なプロジェクトで協働しているjig.jpにサーバー管理者として転職した朝倉氏は、同社が利用するさくらインターネットとの連絡窓口担当になった。1年ほど経ったあるとき、さくらが石狩市にデータセンターを新設すると知り、朝倉氏は、実家のある北海道でデータセンターの仕事に就けるチャンスだと考えさくらに猛アピール。「すぐには新規採用予定はなかったのですが、その後もずっと入りたいと言い続けていたら、面接することになって、就職が決まりました」と笑う。

 石狩データセンターが開業した2011年11月からほぼ半年後の2012年6月。朝倉氏はさくらインターネットに入社し、石狩へと飛んだ。

偶然の連続で、これまでの経験を生かせるプロジェクトに携わることに

 石狩データセンターで朝倉氏は、シフトメンバーの業務管理や育成、見学者向けの設備説明といったセンター長の補佐的な業務を担ったのち、運用リーダーに任命された。まだ出来たばかりのデータセンターであり、細かなルールなどが整っていない部分をひとつずつ調整していった。石狩データセンターで立ち上げた「リモートハウジング」サービスのプロジェクトに参加し、同サービスの設定手順や運用ドキュメントも策定した。

 4年間ほどデータセンターのオペレーション業務に携わった後、今後のキャリアをどうするか上司に聞かれ、そのほかの業務にも幅を広げてみたかったこと、またデータセンター運用に携わるスタッフの教育やスキルアップの枠組み作りをやってほしいと請われたことから、朝倉氏は東京への転勤を決めた。

 新たな立場で石狩に出張していた2016年10月、同じく出張で石狩にいた社長の田中邦裕氏とランチをとっていたところ、偶然にもその日、朝倉氏の中学校時代の同級生である石狩市役所の担当者と田中氏がミーティング予定であることがわかった。「田中さんに『朝倉さんもミーティングに入らない?』と言われて同席しました。ただ、何のミーティングかは知らなかったのですが」と朝倉氏は笑う。

 ミーティングの内容は、石狩市とさくらのつながりを生かして何かできないかというものだった。その具体的な活動候補の1つとして「学校のプログラミング教育支援」という話があり、ちょうどコンピュータソフトウェア協会(CSAJ)のプログラミング教育委員会でこのテーマに取り組んでいた田中氏にとっても関心の深いものだったようだ。そして田中氏がこう言った。

 「そういえば朝倉さん、幼稚園の先生だったよね。やってみない?」

 かつて朝倉氏は、田中氏も参加していた飲み会の席で、現在のキャリアでは幼稚園教諭や保育士としての経験やノウハウが無駄になっているかもしれないと漏らしたことがあるという。「もしかしたら、田中さんはそれを覚えていてくれたのかもしれません」。

 子どものプログラミング教育支援ならば、これまでの幅広い経験を存分に生かせるうえ、新たなチャレンジもできる。朝倉氏は即答でやってみたいと答えた。こうして「石狩市への小学校プログラミング教育支援プロジェクト」は始まった。さくら社内でのプロジェクト立案/計画や役員へのプレゼンテーションは、すべて朝倉氏が担当した。役員プレゼンなど初めてで、わからないことも多かったが、他のグループマネージャーからのサポートがうれしかったと振り返る。

 地元小学校での取り組みを進めるためには、市役所だけでなく石狩市教育委員会との協力関係も必要だ。しかし当初は、教育委員会に話をしても、何がやりたいのかが具体的に伝わらなければ「企業に何ができるのか」といぶかしがられるのではないかという危惧があり、議論はなかなか前進しなかった。そんなとき、かつて勤務していたjig.jpが福井県でプログラミング教育のイベントを開催することを耳にした。市の企業誘致担当を誘ってイベントを視察したところ、その内の1人がその後、偶然か必然か教育委員会に異動。これで議論もスムーズに進むようになり、現在では市役所/教育委員会/さくらの三者が一丸となってプロジェクトを推進している。

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