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業界人の《ことば》から 第251回

パナソニックのBtoB事業拠点が東京に移るのは当たり前の判断

2017年06月28日 09時00分更新

文● 大河原克行、編集●ASCII.jp

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今回のことば

 「パナソニックには、たまたま私が日本マイクロソフト時代に売り込んだICTのコミュニケーション基盤があり、このツールを私自身が率先してフル活用する」(パナソニック コネクティッドソリューションズ社の樋口 泰行社長)

 2017年4月にパナソニック入りした樋口 泰行氏が、都内で会見を開いた。

 樋口氏は、3月31日付けで日本マイクロソフト会長を退任。4月1日付けで、パナソニックの専務役員に就任。同時に、パナソニックの社内カンパニーであるコネクティッドソリューションズ社の社長に就任した。さらに、6月29日付けで代表権を持つ取締役に就任する予定だ。

 大阪大学を卒業後、1980年にパナソニックに入社し、12年間勤務。パソナニックには25年ぶりの復帰となったが、「25年ぶりに戻ってなじめるかなと心配していたが、出社初日の印象は、ずっと前から在籍していた感じであり、違和感はなかった」と笑う。

 「ありがたいことにパナソニックの社員も、外部のお客様にも歓迎していただいている。パナソニックは関西企業ならではの柔らかさもあり、企業そのものが『愛されキャラ』である。パナソニックに対する期待も大きく、私自身、働きやすい状況にある」

利益率10%超の高収益事業体を目指す

 コネクティッドソリューションズ社にはレッツノートやタフブック、タフパッドを担当するモバイルソリューションズ事業部のほか、航空機向け機内エンターテインメントシステムを担当するアビオニクスビジネスユニット、高輝度プロジェクターなどを活用し、スタジアムやテーマパークでの空間演出ソリューションを提供するメディアエンターテインメント事業部、生産管理システムや小売店での店舗業務を自動化するプロセスオートメーション事業部などがある。

 樋口氏は同カンパニーが目指す基本姿勢を「現場お役立ちのトータルインテグレータ」とし、「単なるベンダーから、困りごとを解決するパートナーへと変革することを目指す。パナソニックの総合力、信頼感、ブランド、人材を持ってすれば、パナソニックにしかできない分野もたくさんある。そうしたポジョニングで、BtoB事業を進めたい」とする。そして「日本マイクロソフトで働いた経験からいうと、水平的なプラットフォーマーは、規模の経済性を追求しており、パナソニックがここに対抗することは難しい。だが、パナソニックが力を発揮できるのは、お客様とのラストワンマイル。痒いところにまで手が届く、あるいはこれで助かったといわれるようなシステムやソリューションを提供できる。これはプラットフォーマーが逆立ちしてもできない部分。実際、この部分に対する顧客からの期待が大きいことを感じている」と語る。

 コネクティッドソリューションズ社の2017年度の業績見通しは、売上高が前年比4.9%増の1兆1030億円、営業利益は36.9%増の690億円。営業利益率6.3%を目指す。

 プロセスオートメーション事業の移管や、ゼテスの新規連結効果によるプラスがあるが、同時にソリューション事業による増収増益効果も見込む。

 また、2018年度の業績見通しは、売上高が7.5%増の1兆1860億円、営業利益は27.5%増の880億円、営業利益率7.4%を目指す。

 「コンサルティング、サービス、コアデバイスのインデクレーションによるレイヤーアップによって収益向上を目指す。レイヤーアップの余地が少ない事業もあるが、そこは製品、地域という観点から、いい立地を探すことになる」とし、「2021年度に向けては、選択と集中を実践するとともに、収益力を持続的に高めることに取り組む。ハードウェアの継続的な差別化による収益確保、ソリューションレイヤーアップ・サービス体制の強化、顧客密着と新しい技術導入による次の柱の創出という3つの観点から取り組み、利益率10%超の高収益事業体を目指す」とする。利益率の高さでは、パナソニックの牽引役だ。

ビジョンや定義よりも、社員が腹落ちするかどうかが大切

 一方で樋口氏は、自らに与えられた重要な役割が「変革」であると言い切る。

 「変わらなくてはいけないというメッセージを打ち出していても、外を経験した人物がいなくては社内が変わりにくいというのは、よく言われることである。実際、米系の企業では、変革を起こすときにはまずリーダーを変えるということを行なっている」と前置きし、「終身雇用が根付き、外からの雇用が少なく、しかも幹部レベルの雇用がほとんどない日本の企業が、これからどう変わらなくてはいけないか、ということを変革し、実践していくことになる」とする。

 だが、樋口氏はこんなことも語る。

 「しっかりとしたビジョンを作り、変革の方向性を打ち出すことが大切であり、パナソニックとしての位置づけをどうするのか、差別化の源泉はどこにあるのかといったビジネスモデルも定義していかなくてはならない。しかし、最も大切なのは、こうしたビジョンや定義ではなく、それが社員に腹落ちしたものでなくてはならないということ。難しいのはビジョンやビジネスモデルを作ることではなく、全員が腹落ちして、その方向に力強く向かっていく体制を作ることである。戦略策定や組織改革を無意味に繰り返すのではなく、地に足が着いた形でステップを踏みたい」とする。

 樋口氏はこれまでにボストン・コンサルティング、当時のアップルコンピュータに在籍。日本ヒューレット・パッカード(当時)やダイエー、日本マイクロソフトの3社で社長を歴任してきた。

 「私自身、いままでいろいろな会社を経験してきたなかで、産業再生機構が関与したダイエーの再生がある。これは、国をあげてのプロジェクトだったこともあり、様々なプロが関与した。不動産や事業売却に当たっては、専門のアナリストやコンサルタント、弁護士が集まった。だが、そのときに感じたことは、一人一人のスキルはプロフェッショナルだが、現場の社員から見ると親和性がない人ばかりであったこと。そのため、変革を実行しようとすると、現場の人たちが腹落ちしないままに進んでしまうということがあった」とする。そして「この人が言うことであったらぜひやりたい、と共鳴するリーダーがやらないと変革ができないということを感じた。劇薬のようなリーダーが入ってきて変革を行えば、短期的な増益効果はあるかもしれないが、社員に魂が入らないと本当の成果は出ない」とする。

 だからこそ樋口氏は、自らの役割とする変革の推進において、現場の社員の「腹落ち」を重視する。

入社前から東京にいる必要があることはわかりきっていた

 樋口氏はコネクティッドソリューションズ社の本社機能を、東京に移転することを明らかにした。2017年10月にも実施する予定だ。

 その理由を「お客様の近くにいることを優先するため」と語る。

 「ソリューションビジネスの約9割が首都圏に集中している。ここでの運動量をあげなくてはいけない。また、大阪に本社があるとベンチマーキングがしにくく、時代錯誤に陥りやすい」とし、「もはや『門真発想』では限界がある」と語る。

 BtoB事業では、顧客のそばにいることが極めて重要だと語る。

 「コンシューマーユーザーは、なにが欲しいのかを自ら言ってくれない。そのためスティーブ・ジョブズのような人が、世の中の人たちが欲しがる製品を考えて、当たれば当たる」としながら、「しかしBtoBのユーザーは、自分たちが困っていることを言ってくれる。原始的なやり方だが、全員が顧客の近くにいくことで、指導してもらい、それによって変わっていくことができる」とする。

 「まさに、松下幸之助創業者が打ち出した『前垂れ商法』をそのまま実行し、お客様の力で、我々を生かしてもらいたいと思っている。それを実行するのは、やはり大阪中心ではなく、東京を中心にやっていくことになる」と続ける。

 公式の場で、樋口氏が松下幸之助氏の言葉を引用したのはこれが初めてだ。

 東京への本社機能移転は、樋口氏にとって当たり前の判断だったようだ。

 「BtoB事業をやるからには、東京にいる必要があるというのは、入社前からわかりきっていたことであった。ただ、過去に12年間所属していた会社だとはいえ、入ってすぐに『はい、東京へいきます』とは言いにくい。反発もあるだろうし、社員が腹落ちしなくては共鳴されない。しばらくはこのやり方は封印しようと思っていた。だが、コネクティッドソリューションズ社の拠点となっている南門真地区は売却予定となっており、移転先が大阪市内であることがわかった。大阪市内に移転をするならば、東京に移転した方がいいと考えた。もしこのチャンスを逃し、大阪市内に移転してしまったら、東京に移転するタイミングを逸してしまう。さらに、コネクティッドソリューションズ社傘下のパナソニックシステムソリューションズジャパンの東京・汐留の拠点近くに、オフィスが空くという情報も入ってきた。それで一気に東京移転を決めた」とする。

 コネクティッドソリューションズ社は海外事業比率が高いが、「東京を拠点とすることは、海外戦略を遂行する上でも力を発揮できる」とする。

新しい拠点ではマイクロソフトの手法も取り入れる

 樋口氏は新たなオフィスを完全フリーアドレスにし、そこに、各事業部、デザインセンター、イノベーションセンター、販売組織を融合するという。

 これは、日本マイクロソフト社長時代の2011年2月に、都内5ヵ所に分散していたオフィスを、東京・品川への本社移転とともに統合。それによって、社内のコミュニケーション力を高め、その後の成長戦略の推進につなげた手法を取り入れたものだといえる。実際、日本マイクロソフトはその後、2011年度、2012年度、2014年度と、樋口氏の社長体制のもとで、3回に渡って、全世界で最も優秀な成績をあげた海外子会社となっている。

 そして、日本マイクロソフトでの手法はこんなところにも生かす考えだ。

 「私が日本マイクロソフト時代に、たまたまパナソニックに売り込んだICTのコミュニケーション基盤があり、このツールを私自身が率先してフル活用する。フェイス・トゥ・フェイスでのコミュニケーションを待たずに、直感的な操作でコミュ二ケーションができるような環境をつくる。これにより組織の壁を壊し、顧客との距離感を縮めていく」とする。

 また、日本マイクロソフトが率先して取り組んできたダイバーシティにもついても、パナソニックでも積極化させる姿勢をみせる。

 「これまでの成功体験に根ざしたマインドや固定概念を打ち破るという意味では、ダイバーシティの活用が必要。そのためには外の血を入れたり、積極的なローテーションをしなくてはならない」とする。

 松下幸之助創業者の言葉と、日本マイクロソフトでの経験を組み合わせた変革は、パナソニックの新たなBtoB事業の形を生み出すことになりそうだ。

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