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「日本の良さ伝えたい」中国人社長・翁永飆の挑戦

2015年12月23日 09時00分更新

文● 盛田 諒(RyoMorita)

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 キングソフト翁永飆(おう・えいひょう)代表は46歳だ。中国に生まれ、高校生にして日本に行こうと決め、29歳の若さで検索サービスJWordを立ち上げた。GMOが同事業を買収したあとは、キングソフトの代表取締役に就任した。

 その後2006年には動画検索のACCESPORTを起業。さらに昨年には中国人に日本の商品をインターネットで「爆買い」してもらうためのショッピングモール(越境EC)事業を営むインアゴラ社を立ちあげている。

 いくつもの事業を立ち上げては軌道にのせてせた、シリアルアントレプレナーである翁代表。なぜ日本に来て、そしていかに成功してきたのか? インアゴラを通じ「日本の良さや魂を中国に伝えたい」と話す、翁代表の足跡をたどる。

中国で不安を感じ、日本へ

 翁代表が日本文化にふれたのは小学4年生のころ。生まれた町に、初めて9インチのテレビがやってきた。人々はエリアに1台しかないテレビに群がった。

「中国のコンテンツはあまりなくて、日本の映画とか『一休さん』『鉄腕アトム』みたいな日本のアニメとかが流れていたんです。80年代はソニーやパナソニックといった家電の会社が世界をリードしているというイメージもありました」

 日本へのあこがれを抱きながら成長し、中国を出ようと決めたのは1988年、高校生のころ。中国で大人になることに不安を抱いたのがきっかけだった。

「中国では、大学を卒業しても国が就職先を決めていたんですよね。大学に入って伝手でいい配属先を決めてくれたら、上海のような都会に残れるようになる。もう大学に入ったら、その先がなんとなく決まっちゃうんですよ」

 当時は、バブル経済による人手不足から留学生のバイトが解禁された時代でもあった。留学生の受け皿となった日本語学校の数は増え、留学生の数は1983年から1992年までの10年間で1万人から5万人まで増加した(文科省資料より)。

 翁代表も、同じ流れから日本を訪れた留学生のひとりだったのだ。

「後先を考えず、行ったらどうにかなるだろうと考えてました。最悪、物乞いでもなんとか生きていける、というくらいの発想で。深くあまり心配もしてなくて、なんか大丈夫だろうという自信があったんです」

 当時はまだ日本語が上手ではなかったことから「数学・物理・化学・英語だけで受けられる大学」、そしてお金がなかったことから「学費が安い国立大学」という2つの条件で大学を探し、横浜国立大学工学部に進んだ翁代表。

 もとはエンジニアになろう、ソニーのような会社に入りたいと考えて工学部に進んだが、ある意外な出会いから、ビジネスの道を歩むようになった。

最初の起業は大失敗だった

「バイトで通訳をしていたんです。中国進出する日本企業の通訳でした。リアルなミーティングで利害関係を通訳しているうちに、どちらが有利でどちらが不利で、攻め合うシーンがエキサイティングだなと感じたんです。エンジニアとしてコツコツやるより、こちらの方が自分に合うなと思うようになりまして」

 起業するか、勤め人になるか──。

 はじめは中国の情報を日本企業やビジネスマンに届ける情報誌をつくって独立しようと考えた翁代表。しかし、通訳で知り合った社長に相談したところ「まずは企業経験をしたほうがいい」とアドバイスを受け、就職の道を選んだ。

 ビジネスに絡む企業ということで商社を選んだが、留学生採用の企業はほとんどなかった。「三井物産には華僑だったらいいと言われた」と翁代表。唯一対応してくれたのが伊藤忠だ。翁代表は、晴れて初の中国人新卒採用正社員になった。

 就職しても起業志向は変わらない。部長と居酒屋で飲んだとき、なぜ伊藤忠に入ったかと聞かれ「5年後に独立したいからです」と答えた。その予告どおり翁代表は5年後に独立し、構想していたオンライン名刺サービスを始めることにした。

 だが、起業直後は最悪だった。

「マネタイズの手法がなかったんです。あのころはまだ広告もまだとれなかった。ユーザーは数万人集まったものの、すぐに資金がなくなりそうになりました」

 オンライン名刺サービスとは、いまでいうFacebookやLinkedInのようなもの。しかしビジネスモデルの根幹となる広告の技術が未発達だったため、サービスの人気が出るほど赤字が増えるという地獄のような状況に陥った。

 折しも、資金調達をしたのはネットバブルがはじける直前だった。IT銘柄ということでカネは集まったが、すぐにバブルは崩壊。仕方なく受託業務でしのぎつつ、経営危機にどう対処すればいいのか悩みつづけていた。

 追い風が吹いたのは2002年、起業2年目のことだった。

なかったら困るものをつくろう

 グーグルアドワーズやオーバーチュアといった検索連動型広告が上陸したのだ。翁代表はたまたま直前に検索連動広告型のJWordをはじめたばかり。しぜんとビジネスモデルは成立し「すんなり売上がとれるようになりました」(翁代表)。

 その後GMOインターネットがJWord事業を買収しているが、これは熊谷代表の押しに負けての売却だったという。

「あるとき熊谷さんに呼ばれて『このままだとうちが力を入れられないから(取得株式の)シェアを上げたい』と説得されたんです。51%欲しいと。実質事業を譲渡せざるをえないので、断ろうとしたんですが『人生一度何億円も手に入る機会はそうないから真剣に考えてほしい』と、最終的には熊谷さんに説得されまして」

 当時JWordの売上7割はGMOが稼いでいた状態。13時から17時まで4時間にわたる粘り強い交渉に折れ、ついに翁代表はJWordを手放すことにした。

 その後2年間にわたりキーパーソンロックを受け、GMO社内で雇われ社長に。しかしもともと起業志向があった翁代表、サラリーマンでは面白くない。そのときちょうど話が出てきたのが、キングソフト日本法人の立ち上げだった。

「JWordはユーザーにとって“あったら便利的な存在”でもあった。逆に、なかったら困ってしまうような、ユーザーが深く必要とするソフトをインターネットサービス的にしてユーザーから課金せず広告ビジネスにできたら、と考えたんです」

 パソコンを使う上でほとんどのユーザーが使うソフトは何か。OS、ブラウザー、そしてメーラーはマイクロソフトがおさえているが、オフィスとセキュリティーならいける。たまたまその2つを持っていたのが中国キングソフトだった。

 実は中国でオフィスソフトは不振部門だった。「中国では海賊盤にやられていたからです。だから当時のキングソフトはゲームに行っていた」(翁代表)。一方、日本には正規品の流通市場がある。無料ソフトのニーズは大きいと踏んだ。

 以来、10年間にわたり30%超の成長率をたたきだしてきたキングソフト。ただしJWordユーザー4000万人を抱えたまま事業を展開できていたら「もっとすごいことになっていただろう」と、翁代表はちょっと悔しそうな表情も見せていた。

 かくしてキングソフトは、日本に進出した中国IT大手企業としては唯一といえる成功例になった。「バイドゥもひどい失敗の仕方をしていますよね」と翁代表はさらりと言ってのける。キングソフトが成功できた理由はどこにあるのか。

中国語を話せる日本人として

「中国の会社として日本に乗りこんできたら失敗するんですよ」と翁代表はいう。

 日本と中国では市場環境があまりにも違いすぎるためだ。たとえば、海賊盤が流通する中国では有料で売っていたセキュリティソフトを、日本では無料ソフトとして展開する。国に合わせてビジネスモデルを変える必要が出てくる。

 ではなぜ日本の商習慣が分かるのかといえば「ぼく自身日本でしか仕事をしたことがないからです」と翁代表は笑った。

「日本で仕事をしてきたし日本の商習慣がわかってる。けど、逆に中国でやったことはないから、起業できるイメージもない。中国の競争はあまりにもえげつないから、日本の温室で育った羊(翁代表)が行っても死んじゃうんじゃないか」

 ずっと日本でビジネスをしてきた関係、「中国語を話せる日本人」と言われることもあるという。そんな翁代表が新たに立ち上げたのは、まさに日本と中国のブリッジ役にあたる企業インアゴラだ。

 日本の大手企業は中国への輸出・展開を進めているが、中小企業はなかなか手が出せない。そこを中国消費者に直結するオンラインショッピングから切りくずしていこうという話だ。

「成功したら『日本と中国のあいだに立つ楽天』になりますよ。中小企業にとってもチャンスのはず。10%、20%の売上成長率を国内で出すだけでも大変ですが、中国に入ればいきなり数百%にはね上がることもありうるわけですから」

 翻って、日本企業は高度経済成長期、アメリカにモノを輸出して成長してきた。いまや中国は立派な消費市場、日本にとって第2の巨大マーケットだ。

 インアゴラの役割は、良質な日本の製品を中国相手に売っていくことで、日本の良さを中国に理解してもらうことにあるのではないかと翁代表は考えている。

「中国人は日本のいいものが買えることになれば喜びます。日本の文化を知らない人たちが、たとえば買った商品を作っているのが何代続いてる老舗企業で、どういうこだわりがあって……というのを理解するようになれば、日本の良さや、物語、魂が伝わるようになる。それでますます日本を好きになってくれたら、インアゴラは両国にとってすごく意味のある会社になるのではないかと思うんです」

 中国に生まれ、日本で起業し、見事に成功してきた青年実業家。ふたつの国のあいだで新たな関係をつくろうという彼の挑戦は、まだはじまったばかりだ。

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