橋立、筑摩、海風、天龍、河内、鳳翔はこんなフネでした!

WoWs登場艦をガチ解説! 日本ツリーで必ずお世話になる6隻を知ろう

2015年12月26日 18時00分更新

文● 有馬桓次郎 編集●南田剛志、村山剛史/ASCII.jp

『World of Warships』の日本ツリーでほぼ必ず操ることになる6隻について、ゲーム中ではなく現実世界側の知識をどうぞ!

日本ツリーで皆がお世話になる“ビッグ7”ならぬ“ファースト6”

 ミリタリーライター・有馬桓次郎氏による『World of Warships』登場艦解説をお届け。今回はTier1~4で操ることになる日本艦6隻をピックアップ。幕末~WWIにおける日本海軍を知るコラムも!〈連載一覧はこちら

超絶グラの軍艦が入り乱れる大海戦ライフを満喫
海戦ストラテジー『World of Warships』が楽しい!

(C) Wargaming.net

 プレイヤー数1億人超を誇るオンラインタンクバトル『World of Tanks』のWargaming.netが、今秋に正式サービスを開始したPCゲーム、それがオンライン海戦ストラテジー『World of Warships』(基本プレイ無料)。

 プレイヤーは世界各国の軍艦を操り、2組に分かれて最大12隻対12隻の海戦バトルを行なう。すでに日米ソ独を中心におよそ100種類をラインナップ。今後も各国の艦が続々登場予定。リアルさで1つ上に突き抜けた美麗グラフィックは、当連載にご登場いただいた宮永忠将氏をはじめとするミリタリーアドバイザーが世界中から収集した貴重な設計図などを元に作られたもの。かつて海原を暴れまわった艨艟を手軽に操れる爽快感は格別だ!

 会員登録や基本的なプレイ方法については、この連載の第1回「戦艦!主砲!轟沈!『World of Warships』でオンライン海戦を楽しむ方法」を参考にどうぞ!

日本海軍史その1
爪に火を灯してコツコツと……

 徳川幕府が創設した幕府海軍を端緒に、明治維新を経て成立した日本海軍。当時は各藩から明治政府に献上された木造帆船がほんの数隻という弱勢だったけれど、とにもかくにもここから日本の海軍史はスタートする。

 とにかくカネも資源も人材もない超ビンボー国家だった当時の日本にとって、その全てが膨大にかかる海軍力の整備に回せる余裕なんかこれっぽっちもなかった。でも、国際情勢の荒海にこぎ出したばかりの日本が諸外国にナメられないようにするためには、まずは海軍力を少しでもマシにするべしとして、「富国強兵」の旗印のもと文字通り爪に火を灯すようにコツコツと海軍力を増強しはじめたわけだ。

 明治維新から26年後、東アジア最大の軍事力を誇っていた清国と日清戦争で争い、そして勝利したことは1つの奇跡といっていい。当時の清国は、極東最強とも噂されていた2隻の甲鉄艦「定遠」「鎮遠」を擁する第一級の海軍力をもっていて、日本海軍はそれに対抗するために大口径の主砲を1門だけ積んだ「松島」「厳島」「橋立」(Tier1の「橋立」とは別)を用意して海戦にのぞんだ。

 ところが、いざ海戦になるとこの3隻の主砲はほとんど命中せず、中口径以下の速射砲は命中率こそ高かったけれど「定遠」「鎮遠」に一発も致命傷を与えていなかったことが判明。この反省から、日本海軍は日清戦争後の軍備計画において強力な30.5cm砲を複数備えた重装甲の戦艦6隻と、高速で20.3cm砲を搭載した装甲巡洋艦6隻を中心とする「六六艦隊」構想を軸に整備を進めていく。

 そして完成した六六艦隊は、後に日露戦争において圧倒的戦力を持つロシア海軍に歴史的大勝利を収めるという、巨大な果実を日本海軍にもたらすのだ。

Tier1巡洋艦「橋立」
中国沿岸で砲艦外交&輸送船護衛の一隻二役!?

基本的にTierは、数字が大きくなるほど年代が古→新と移っていくが、このTier1に限っては逆転している。なにせ「橋立」が完成した1940年といえば、Tier10の戦艦「大和」が進水した年なのだ。(C) Wargaming.net

 いきなりで申し訳ないけど、この「橋立」は上記した奴ではなく、それからずっと後の昭和15年(1940年)に完成した艦だ。WoWSの中では巡洋艦として扱われているけど、実際の艦種は「砲艦」となる。

 砲艦とは、主に警備目的で使われる軽武装の小型艦のこと。第二次大戦前、激しい内戦が行なわれていた中国大陸には自国の権益を守るために各国から砲艦が送り込まれていて、時に外交の立役者となることもしばしば。武力をちらつかせて相手国に迫る手法のことを「砲艦外交」っていうでしょ?

 でも、昭和10年代の日本海軍における砲艦の位置付けは少々違う。アメリカとの戦争が間近に迫ったこの時期、輸送船を護衛するための艦艇が不足していた日本海軍は、本来なら警備を任務とする砲艦も近海用の護衛艦艇として使おうって発想したわけ。そうして生まれたのが、通常の砲艦よりも少しばかり航続力を延ばした橋立型砲艦だ。

 しかし実際の戦争では日本海軍が予想していたよりもシーレーンが広大になり、橋立型程度の航続力ではあまり有効な護衛戦力とはならなかった。近場でしか使えない砲艦よりも、より航続力が大きくて武装が強力な海防艦を使ったほうがいいってことで、橋立型砲艦は大量建造が予定されながらたったの2隻しか作られなかったんである……。

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Tier2巡洋艦「筑摩」
日本巡洋艦初の蒸気タービン推進艦!

じつは2代目筑摩(正確には利根型重巡)も年内実装が予定されている。(C) Wargaming.net

 日露戦争後の明治40年(1907年)度海軍力整備計画で誕生した、日本海軍最後の防護巡洋艦がこの筑摩型。もちろん、後年の利根型重巡2番艦とは別なので念のため。

 当時は装甲板の技術がまだまだ未熟でとても重量があり、全体に満足な装甲を施せるのは戦艦のような大型艦だけ。足の速さを武器とする艦については機関部の周辺だけ装甲をほどこして、その他の部分はばっさりと装甲をあきらめていたわけ。その種の艦のうち巡洋艦クラスの艦のことを「防護巡洋艦」と呼ぶ。

 筑摩型防護巡洋艦は、機関部に加えて舷側の一部にもある程度の装甲を施した艦だった。加えて、日本海軍の巡洋艦としては初となる蒸気タービン推進艦でもある。蒸気タービン機関とは高温高圧の蒸気を羽根車に当てて回転を生み出す機関のことで、通常のピストンを上下させて回転軸に伝えるレシプロ機関よりも断然効率が違う。よって筑摩型は最高速力26ノット超を達成していて、当時としては異例の足の速さを誇っていた。

 同型艦は3隻。いずれも第一次世界大戦から日中戦争まで参加し、その内の2隻は練習艦となって、日本本土で太平洋戦争の終結を見守ることとなる。

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(次ページでは、「ワンチャンものにしたのもつかの間、2つの衝撃が海軍を襲う」)

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